エリック・シーガル『ラブ・ストーリー ある愛の詩』 | 文学どうでしょう

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エリック・シーガル(板倉章訳)『ラブ・ストーリー ある愛の詩』(角川文庫)を読みました。

 

この本が今ではもう絶版になっていて、ほとんど誰にも読まれていないし、これからも読まれることはないであろうことを思うと、なんだかこう、ベストセラーの宿命というようなことについて色々と考えさせられてしまいますね。

 

今この作品が読まれていないのにはいくつか理由があると僕は思っていて、第一に似たようなプロットの作品は他にもたくさんあること。とりわけ日本では何年かおきの周期で、この作品と似たようなプロットの恋愛小説がブームになって映画化されている印象があります。

 

それは必ずしもこの作品の影響力が強いという意味ではなくて、それだけシンプルな、ある意味ではよくある、言わば黄金パターンのプロットの作品なのです。なので、積極的にこの小説が読まれる理由はあまりないのでしょう。

 

そして第二の理由としては、映画版が素晴らしくて、どちらかと言うと小説よりもそちらの方が歴史、というか人々の記憶には残っているから。"Love means never having to say you're sorry."(愛とは決して後悔しないこと)の名台詞で有名な、『ある愛の詩』(1970年公開)です。

 

 

名作『ある愛の詩』自体、今ではもうあまり観られているかどうか分からないのですが、愛についての(そして愛するが故に避けられない事柄の)普遍的なテーマが扱われているので、これはぜひ観てもらいたい映画です。小説版とあわせて、ぼくの大好きな作品なんです。

 

前述した通り、よくあるプロット、黄金パターンの作品ではあるのですが、『ある愛の詩』には、他の類似作品ではなかなか見られない二つの大きな魅力があります。第一に、交わされる会話がウィットに富んでいてユニークなこと。

 

ヒロイン、というか主人公のオリバーが愛することになる女性ジェニーは結構生意気というか口が達者なタイプで、二人は口喧嘩に近い感じでずっとやり取りをするのですが、その言葉の応酬が面白く、また微笑ましい感じで、物語にぐいぐい引き込まれます。

 

いかに物語の主役である男女に共感させられるかというのが、ベストセラー恋愛小説の要で、そこで読み手や観客にそっぽ向かれてしまうと心底どうでもいい話になってしまいます。そういう意味ではオリバーとジェニーはとても共感しやすく、思わず応援したくなるカップル(カップルって、もはや死語かもしれませんが)なのです。

 

そして他の作品とは異なる『ある愛の詩』ならではの第二の、そして僕にとって何よりの魅力としては、これが恋愛を描いた作品であると同時に父子の不和を描いた、すなわち子供が父親を乗り越えて、一人前の男になろうとする物語でもあること。

 

個人的にはそのことがむしろ恋愛要素よりも印象的で、それ故にこの作品のことをずっと忘れられないでいます。

 

作品のあらすじ

 

ハーバード大学の四年生の〈ぼく〉オリバー・バレット四世はラドクリフ女子大の図書館へと向かいました。次の日に歴史の授業の試験があるのに全然勉強していなかったから、そのための参考書を借りに行ったのです。

 

すると貸出係をしていた二人の内、眼鏡をかけた女の子が自分の大学にも図書館はあるだろうと言い、〈ぼく〉のことを半人前のお坊ちゃんを意味する「プレッピー」と呼んでからかったのでした。〈ぼく〉の家は実際はお金持ちですが、冗談で反論します。

 

「きみも目がないね」とぼくも負けずに言い返した。「言いたくはないけど、貧困家庭の秀才なんだよ、ぼくは」
「あら、プレッピー、貧困家庭の秀才というのはあたしのことよ」
 彼女はまっすぐぼくを見つめていた。褐色のきれいな目をしている。まあいいだろう、一歩ゆずってお坊っちゃんとしておこう。でもラドクリフの女子大生に、頭が弱いとかどうとか言われる筋合いはない。たとえ、その子の目がかなりイカすとしてもだ。
「きみが秀才だなんて、どうして言えるの?」ぼくも言ってやった。
「あなたみたいな人と、お茶をつきあったりしないもの」彼女は答えた。
「冗談じゃない。きみをさそったりするもんか」
「でしょうね」彼女は言った。「あなたがばかなのはそのせいよ」(8~9頁)

 

それをきっかけに〈ぼく〉はその女の子ジェニファ・キャブラリと食事に出かけることになったのでした。ジェニーが身につけていた、奇抜なハンドバッグみたいなしろものをけなさなくてよかったと〈ぼく〉は思います。後でそれは彼女自身のデザインだと分かったから。

 

ジェニーが音楽を勉強していることを知り、〈ぼく〉が出場するアイスホッケーの試合を応援しに来てもらうなどして、〈ぼく〉とジェニーは距離を縮めていきます。そして、アイスホッケーの試合には〈ぼく〉の父親も見にきていました。

 

曾祖父の寄贈によって、一族の名を冠したバレット講堂がハーバード大学にあるほどバレット家は名門で、父親のオリバー・バレット三世もまた、銀行をいくつも抱える立派な人でした。ところが、自分に対する期待度が高くそれを感じてしまうからか、〈ぼく〉は父親と打ち解けて接することができません。

 

久しぶりに会っても、「どんな様子だね?」で始まり、「なにかしてやれることはないのか?」という型通りのやり取りで終わる、盛り上がりのないお決まりのディナー。〈ぼく〉は父親のことを、大統領の顔が刻まれているラシュモア山を思わせる、まるで石のように冷たく、堅苦しい人間だと思っていたのでした。

 

ある時、ジェニーをデートに迎えに女子寮に行った時のこと。ジェニーが電話ボックスで電話相手に「ええ、もちろん! ぜったいよ。まあ、あたしもよ、フィル。あたしも愛してるわ、フィル」(44頁)と言っていたので、〈ぼく〉は謎の男フィルにやきもちを焼きます。

 

ところがそれはすぐにジェニーの父親のことだと分かったのでした。妻を自動車事故で亡くし、パイ屋を営みながら男手ひとつで育てた父親とジェニーの仲の良さを知って〈ぼく〉は驚きます。自分のところの父子関係とはまるで違ったから。

 

やがて〈ぼく〉とジェニーは深く愛し合う仲となりますが、ジェニーがいずれ自分と別れてパリに留学するつもりだと知って〈ぼく〉は驚きます。「オリー、あなたは百万長者のプレッピーで、あたしは社会的にはゼロなのよ」(64頁)とジェニーは悲しそうに言うのでした。

 

学生時代はとても楽しいけれど、それはおもしろおかしいおもちゃを詰め込むことのできるクリスマスのサンタの袋のようなもので、クリスマスが終わったら袋の中身を全部出して、それぞれの持ち場に戻らなければならないものなのだと。その言葉を聞いて〈ぼく〉はジェニーとの結婚を決意します。

 

そうしてジェニーを実家に連れていって家族に紹介した〈ぼく〉でしたが、父親は〈ぼく〉がただ反抗しようとしているだけだと言うのでした。ちゃんと一人前になるまで待つようにという父親の言葉に耳を貸さず、〈ぼく〉は自分たちの力だけで生きていくことを宣言したのですが……。

 

とまあそんなお話です。すべて〈ぼく〉ことオリバー・バレット四世のバイアスのかかった目線(歪んだ見方のことです)から物語は描かれるので、父親であるオリバー・バレット三世が、実際になにをどう思っていたかはよく分かりません。

 

なので、なぜこの父子関係がうまくいっていないかの理由を明確にするのは難しいというか、はっきりとはよく分からないのですが、いつだって二人の仲を取り持とうとしていたジェニーは、「あなたっておとうさまにコンプレックスをもってるのよ」(51頁)と指摘していました。

 

父親は立派な、完璧すぎる人で、それ故に自分も同じような生き方を望まれているとオリバーは思うわけです。そのことに窮屈さ感じ、また、父親の高い期待に応えられるかどうか分からず、そこにかすかな不安があって、それを打ち消すために反抗的な態度を取っているという感じでしょうか。

 

一人前として認めてもらいたいけれど認めてはもらえないというジレンマのようなものがオリバーには見え隠れします。実際、客観的に見たら、オリバーと父親のどちらに非があるかと言えば反抗的な態度を取り続けるオリバーの方だという風に見えるのではないでしょうか。

 

オリバーが素直になって父親の胸に飛び込めばおそらく不和はすべて解決するわけですが、しかし、それではそのまま父親の庇護下の、つまり弱い立場であり続けることを意味します。だから、立派な父親に気圧されず、尊敬される一人前の男として認められるためには、オリバーはあえて反抗しなければならないのです。

 

そういう意味では『ある愛の詩』は、オリバーとジェニーの恋愛を描いた作品であると同時に、オリバーが父親に対する幻想を越えて(すなわちコンプレックスを克服して)、一人前の男になろうとする物語でもあり、その懸命にもがく姿はやはり胸を打つのです。

 

僕自身が年齢を重ねると、父親の方の目線や考え方でも物語を読み取ってしまう(父親が言っていることも一理あるなという風に)のですが、なにより、やや独りよがりで時に反抗的な態度を取るオリバーに若い頃の僕自身を重ねて、その態度が尖っていれば尖っているほど妙に共感してしまうのです。

 

今は本自体が手に入りづらいのですが、単なる恋愛小説というだけではなくて、軽妙なやり取りや父子の不和など、魅力的な要素がたくさんある作品なので、興味を持った方はぜひ読んでみてください。もちろん映画版もおすすめです。