ポケットマスターピース11『ルイス・キャロル』 | 文学どうでしょう

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ポケットマスターピース11(鴻巣友季子編)『ルイス・キャロル』(集英社文庫ヘリテージシリーズ)を読みました。

 

たとえば、謎めいた男モーフィアスが物語の主人公トーマス・A・アンダーソンに、赤と青二つの錠剤のどちらを飲むかで不思議な世界の真実を望むかどうかを選ばせる映画『マトリックス』における様々な引用から。

 

 

あるいは、荻野千尋という十歳の少女がトンネルを通り抜けた先で不思議な世界へと迷い込んでしまう宮崎駿監督の映画『千と千尋の神隠し』のようなファンタジーの文脈で。今なお、ルイス・キャロルの影響は数多くの作品に見ることができます。

 

 

とりわけSFの領域に関してそうだと思うのですが、ルイス・キャロルが生み出した「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」は最早「物語」というものに触れる際には必須の、一般教養になっている感じがします。知っていて当たり前だよね、というような。

 

たとえば「鏡の国のアリス」の中の詩に登場するジャバウォック(今回の翻訳では邪馬魚狗/じゃばうおく)という怪物(?)は、詳しい描写がないが故により一層興味を掻き立てられるのか、ゲームやマンガなど様々な物語に登場しています。

 

そんな風にとにかく影響力が強いので、ルイス・キャロルの作品をもしもまだちゃんと読んだことがないよという方は、SFやファンタジー、あるいは文芸作品における教養というか、基礎知識として一度は履修しておくのがおすすめなのです。

 

「ポケットマスターピース」のこの『ルイス・キャロル』の巻には、「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」、そして「不思議の国のアリス」を幼児向けに書き直した「子ども部屋のアリス」の全訳が収録されています。

 

「不思議の国のアリス」は今や多くの出版社から多種多様な翻訳が出ているので、手に取りやすいのから手に取ってもらえるとよいと思いますが、これは一冊で両方読めるし、「解説」も丁寧なのでおすすめですよ。(全部で800頁くらいあるので、持ち運びには不便そうですけれど)

 

その他には「シルヴィーとブルーノ」そして「シルヴィーとブルーノ 完結篇」というお話が、どちらもダイジェストをはさんだ抄訳(一部分の翻訳)ではあるものの収録されています。「完結篇」の方は、なんと本邦初訳とのこと。

 

あとは「驚異的写真術」と「運命の杖」という、どちらも実験的な手法が模索された短編も収録されていて、ぼくもルイス・キャロルといえば「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」しか知らなかったので、それ以外の作品が読めてとても興味深かったです。

 

作品のあらすじ

 

不思議の国のアリス(芦田川祐子訳)

 

絵も会話もない本を読んでいるお姉さんの隣に座っていたアリスが退屈していると、「やあ、大変だ! 遅れちまう!」(13頁)と白ウサギがぶつぶつ言いながら現れて、懐中時計を取り出して目をやると、ウサギ穴へと飛び込んでいったのでした。

 

興味をひかれたアリスは自分もトンネルを思わせる深い穴へと落ちていき、白ウサギを追いかけ続けるアリスは、「ワタシヲオノミ」という薬を飲んで小さい体になったり「ワタシヲオタベ」というケーキを食べて大きい体になったりします。

 

イモムシに「お前さん、何者かね?」(51頁)と尋ねられたアリスは、うまく答えられず、しょっちゅう体の大きさが変わらない、ありのまま自分でいたいと言うのでした。体の大きさを変えられるキノコの切れ端を手に入れたアリス。

 

やがてアリスは公爵夫人から赤ん坊を預かりますが、赤ん坊はいつの間にかブタに変わってしまって、トコトコと森へ逃げていってしまいます。木の枝にチェシャ猫が座っているのを見かけたアリスは、どの道を行ったらいいか教えてほしいと頼みました。

 

「そりゃあ大方、どこに行きたいかによるね」と猫は言いました。
「別にどこでも――」とアリス。
「じゃあどの道だって構わんだろ」と猫。
「――どこかに着けるのであれば」とアリスは説明を加えました。
「ああ、そりゃ着くさ」と猫。「ある程度、歩きさえすればね」
 確かに、と思ったので、アリスは別の質問をしてみました。「この辺に住んでるのはどんな人たち?」
「あっちには」と猫は言って、右足でぐるりと指し示しました。「帽子屋が住んでる。そしてあっちには」と逆の足で指して、「三月兎が住んでる。お好きな方を訪ねな。どっちも頭がおかしいよ」
「でも頭がおかしい人たちのところには行きたくないわ」とアリスは言いました。
「ああ、そりゃどうしようもない」と猫。「ここじゃみんな頭がおかしいんだ。おれはおかしい。あんたもおかしい」
「なぜわたしがおかしいってわかるの?」とアリス。
「おかしいに決まってるさ」と猫。「でなけりゃここに来るはずがない」(70~71頁)

 

チェシャ猫は尻尾からゆっくりと消えていって、体が消えた後もにやにや笑いはしばらく残っていたのでした。その後トランプの形をした兵士を見かけたアリスは、「こやつらの首をはねよ!」(89頁)というのが口癖の女王様(クイーン)と出会い、裁判に巻き込まれて……。

 

鏡の国のアリス(芦田川祐子訳)

 

鏡の国の空想を子猫に話しかけていたアリスは、自分がいつの間にか炉棚の上にいて、鏡が明るい銀の霧のように溶け始めていることに気付きます。そして次の瞬間、鏡を抜けて向こう側の部屋に降り立っていたのでした。

 

テーブルの上の本に書かれた文字は読めませんが、鏡の国の本なのでさかさになっていると思いついて鏡に映すと、そこには「邪馬魚狗記(じゃばうおくき)」という詩が書かれていました。庭に出て、喋る生花たちと知り合います。

 

やがて赤の女王様(クイーン)と出会ったアリスは、一緒に丘の頂上へと行き、国土が小さな緑の垣根によってチェス盤そっくりに四角く区切られていて、チェスの試合が行われていることを知ります。自分も駒となって参加したいとアリスは思うのでした。

 

赤の女王様とアリスは移動のために一生懸命走りますが、どんなに走っても元いた場所から動いておらず、驚くアリスに赤の女王様は、「よいか、ここではな、同じ場所に留まるためには、全力で走ることになるのだ。他の場所に着きたいのなら、少なくとも二倍は速く走らねばならん!」(173頁)と言います。

 

やがてアリスは、肩を組んでいる二人組トウィードルダムとトウィードルディーに出会いました。二人は、蒸気機関車の音のようないびきをかきながら眠っている王様(キング)はアリスの夢を見ていて、目を覚ますとアリスは消えてしまうと言い張るのでした。

 

「いいや!」とトウィードルディーは軽蔑したように言い返しました。「いなくなるのさ。だってあんたなんか、王様の夢の中のもんに過ぎないからね!」
「もしあすこにいる王様が目を覚ましたら」とトウィードルダムが言い添えました。「あんたは消える――プツッ!――ろうそくみたいにな!」
「消えないわよ!」とアリスは憤慨して叫びました。「それに、わたしが王様の夢の中のものなら、あなたたちこそいったい何だって言うのよ?」
「同じ」とトウィードルダムが言いました。
「同じ、同じ!」とトウィードルディーがわめきました。
 これがあまりの大声だったので、アリスはつい、「シーッ! そんなに騒いだら、起こしちゃうでしょ」と言わずにいられませんでした。
「いいや、あんたなんかにゃ王様を起こせるわけがない」とトウィードルダム。「王様の夢に出てくるもんの一つに過ぎんからな。自分でもよくわかってんだろ、ほんとはいないんだって」(201~202頁)

 

やがてアリスは、先に痛がり、実際にピンで指を刺してしまった時は平然としているなど、後ろ向きに生きる白の女王様(クイーン)や、誕生日ではない日にもらえる非誕生日プレゼントを自慢げに見せるハンプティダンプティなどと次々に出会っていくこととなって……。

 

子ども部屋のアリス(芦田川祐子訳)

 

「むかしむかし、アリスという名前の女の子がいた。アリスはとてもふしぎな夢を見たんだ。どんな夢を見たか、聞いてみたい?」(301頁)という書き出しで始まる、「君」に語りかける形式の、幼い子向けに書き直されたバージョンの「不思議の国のアリス」です。

 

シルヴィーとブルーノ 抄(芦田川祐子訳)

 

友人の医師アーサーのすすめで、アーサーが暮らすエルヴェストンに療養しに行くこととなった〈僕〉は、列車の中で一人の女性と出会います。それは伯爵閣下の娘ミュリエル嬢で、後にアーサーの想い人であることが分かりました。

 

〈僕〉は時折自分では「妖しの」と呼んでいる不思議な感覚にとらわれることがあり、その空想の中では妖精の世界に行くことができます。そこではミュリエル嬢によく似た妖精のシルヴィー、そしてそのやんちゃな弟ブルーノの冒険を見守っているのでした。現実と空想が入り乱れながら物語は進んでいきます。

 

弟が皇帝の座を奪おうと陰謀を企む中、総督は姿を消してしまいました。総督の子供であるシルヴィーとブルーノは乞食のおじいさんに食べ物を分けてあげようとおじいさんを追いかけていき、やがてそれは父親の変装だったことが分かります。父親はハート型のロケットを二つ取り出しました。

 

一つは「みんながシルヴィーを愛するだろう」と書かれた青い宝玉のもの、もう一つは「シルヴィーはみんなを愛するだろう」と書かれた赤い宝玉のものでした。父親は、「色と言葉が違う。一つ選びなさい。どっちでも好きな方をあげるよ」(382頁)とシルヴィーに言って……。

 

シルヴィーとブルーノ 完結編 抄(芦田川祐子訳)

 

エルヴェストンに残してきた友人たち、そして「二人の妖精――もしくは夢の子どもたち(二人が何者であるかという問題がまだ解けていないので)」(543頁)を思いながら都市生活を送る〈僕〉は、友人の医師アーサーがまだ国を離れていないことを知ります。

 

というのもアーサーが思いを寄せるミュリエル嬢には婚約者がおり、心破れたアーサーは国を離れる予定だったからです。再びエルヴェストンに向かった〈僕〉は、現実と空想とが入り混じったかのように、妖精界での教授を思わせるドイツ紳士など、様々な人々と出会います。

 

やがて婚約が破棄になったことによってミュリエル嬢の心をつかんだアーサーでしたが、近くの小漁港で熱病が流行していることを知らされました。伝染病に苦しむ人々を救うためにアーサーは、愛するミュリエル嬢を置いて、小漁港へと向かうことを決意して……。

 

驚異的写真術(芦田川祐子訳)

 

「最近、写真術を精神の働きに応用するという驚異的な発見によって、小説書きの技は単なる機械労働と化してしまった」(751頁)あるひ弱そうな若者の心を紙に現像することによって、様々な文体の小説を次々と生み出していく技師の実験が行われて……。

 

運命の杖(芦田川祐子訳)

 

自分の詩によって城の主を眠らせたミルトン・スミス氏は仲間と二人で金庫を盗み出しますが、中に入っていたのは杖一本だけ。それではマグズウィグ男爵は満足しないと思いますが、男爵はことのほか喜んで、「あと足りないのはヒキガエルだけだ!」(773頁)と言って……。

 

とまあそんな七編が収録されています。「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」はまたいつかどこかで触れることもあると思う(というか近い内にアリスも収録されている「福音館古典童話シリーズ」の読破企画をやろうと思っている)ので、「シルヴィーとブルーノ」の話を。

 

「シルヴィーとブルーノ」は、完結篇にいたってはちゃんとした紙の翻訳がなかったということからも分かる通り、手放しで面白いと言える作品ではなくて、まずそもそも現実と空想が入り混じって行ったり来たりするという手法が、なかなかに読みづらい感じがあります。

 

それは文章の途中で急にふっと妖精の世界のことが書かれたりする混然一体さという点でもそうですし、また、シルヴィーとブルーノが子供の姿で現実世界にやって来たりと、どこまでが現実でどこからが空想なのかよく分からない物語の筋としてもそうです。

 

よく言えばその曖昧さに魅力がある作品だと、そう言おうと思ったら言えないこともないわけですが、アリスのようにシュールとかナンセンスさに振り切っている感じではないので、アリスを想像すると物足りなさを感じざるをえない作品だと思います。

 

ただ、随所でやはり光る所はあって、とりわけ時間をめぐる描写は非常に面白かったです。たとえば妖精界の教授は語り手に「外国(とつくに)の奇怪時計(奇怪に傍点)」(504頁)を紹介します。なんと針を動かすと時間がそれにあわせて動くもので、すなわちその持ち主は時間を操れるのです。

 

また、完結篇にて登場する、妖精界の教授を思わせるドイツ紳士は世界中を旅しており、「無駄な時間を貯めておいて、別の機会に、余分の時間が必要になったら、再び取り出す」(592頁)国の話をします。ただその仕組みは、残念ながらこの国の言語にはその概念を伝える言葉がないからできないのだと。

 

時間を自由に操れたり、要らない時間を貯めておけたりしたらどんなに便利だろうと思いますよね。それだけでSFになりそうないくつものアイディアが、物語の中で特に活かされているわけではないのですが、そういう風な、面白い発想の宝庫と言える作品ではあると思います。

 

一部分の翻訳を載せていることが多い「ポケットマスターピース」は、大体の巻が入門向けというか「お試し版」という感じなわけですが、この『ルイス・キャロル』の巻に関しては「最強のベスト版」と言っても過言ではないと思うので、興味のある方は手に取ってみてはいかがでしょうか。