ポケットマスターピース04『トルストイ』 | 文学どうでしょう

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ポケットマスターピース04(加賀乙彦編)『トルストイ』(集英社文庫ヘリテージシリーズ)を読みました。

 

トルストイはぼくのとても好きな作家で、以前(2011.09.22)代表作の『戦争と平和』を紹介したことがありますが、なんていったって長い長い作品で、ぼくが読んだ藤沼貴訳の岩波文庫が全六冊。とにかく登場人物がめちゃくちゃ多いです。

 

 

それだけの大長編をこの「ポケットマスターピース」はなんとか紹介しようと無謀なことに挑戦したわけですが、当然のことながら収まりきるはずもなく、まさかの基本すべてが小説家の加賀乙彦によるダイジェストで、ごく一部だけ本文が載っているという驚きの形式になっています。

 

仮にも文学全集なのにほぼ全部がダイジェストでの収録(しかも1979年に出版された世界文化社の『世界の文学』からの再録)は、正直賛否が分かれて当然だとは思うのですが、巻を通して読んでみて、これは意外と、悪くない選択だったのではと個人的には思いました。

 

というのも、もちろんダイジェストではトルストイの文章そのものには触れられず、描写力が味わえないさみしさというかむなしさというか、とにかくまあそういった物足りなさがあるわけですが、その気持ちに応じるような作品もまた同時に収録されているからです。

 

激しい戦闘の場面を描いた「五月のセヴァストーポリ」や、史実を元にした歴史小説の趣がある「ハジ・ムラート」などで、トルストイの描写のすごみのようなものを、確かに感じることができます。(むしろ怖すぎるほどに)

 

そうした他の作品を通して、ああ、『戦争と平和』では、こうした描写力が活かされているんだろうな、と感じられる仕組みになっているので、ダイジェストを読んだ後の物足りなさみたいなものは大分解消されるのです。

 

そして、それだけではトルストイの魅力が残酷さだとか、シリアスな方に傾いてしまいがちなところを、童話として有名な「イワンのばか」や「壺のアリョーシャ」のような、ほのぼのとしているけれど考えさせられる短編も収録されているのがこの本のよいところ。

 

そんな風に、結構バリエーションが豊富というか、色んなテイストのトルストイの作品が収録されているので、とにかく全体のバランスがいいんですね。それ故に、トルストイの名前は知っているけれど読んだことがないという方に、結構おすすめできる一冊と言えます。

 

いきなり『戦争と平和』に挑戦してもなかなかに挫折しがちだと思うので、この巻のダイジェストを読んで、全体の流れと主要登場人物を把握した上でいよいよ実際に読んでみるというのも、案外よい手なのではないかと思うようになりました。

 

作品のあらすじ◆

 

戦争と平和 ダイジェストと抄訳(加賀乙彦ダイジェスト、原久一郎/原卓也訳)

 

ベズウーホフ伯爵の私生児であり、父の死によって莫大な遺産を受け継いだピエール・ベズウーホフはやがてヴァシーリイ公爵の美しい令嬢エレンと出会い、周りからの期待にこたえるようにして結婚しました。

 

しかしやがてエレンが情夫を作っているという噂が流れ、ピエールはその相手と決闘します。情夫との関係を認めず、ピエールを軽んじるような態度を取るエレンとの関係は最悪なものとなり、別れることを決意したピエールはエレンの元を去ったのでした。

 

一方、ロシアきっての名門貴族の長男であるアンドレイ・ボルコンスキイ公爵は、イリヤ・ロストフ伯爵の令嬢ナターシャと出会って心惹かれます。アンドレイはナターシャとの結婚を決意しますが、父からは反対を受けてしまいました。

 

父親は三つの理由をあげます。第一に結婚相手として門地、財産、地位が自分たちの家柄とはあわないこと。第二に青春期を過ぎたアンドレイに対してナターシャは若すぎること、第三にそれ故に、アンドレイと亡き妻との間に生まれた幼きニコーレンカの母親役はつとまらないであろうこと。

 

父親は一年の間アンドレイが外国へ療養にいって、その間にお互いの気持ちが変わらなければ、その時は結婚するといいだろうと言いました。そうしてアンドレイとナターシャは、秘密の婚約を交わしますが、アンドレイがいない間、ナターシャにアナトーリという男が近付きます。

 

ヴァシーリイ・クラーギン公爵の次男で、ピエールの妻エレンの弟にあたるアナトーリによって、情熱の気持ちを呼び起こさせられたナターシャは駆け落ちをすることを決意してしまいますが、それは未然に防がれ、ピエールからアナトーリの許しがたい真実を知らされたのでした。

 

ナターシャの裏切りを知って絶望したアンドレイ、親友の許嫁であったナターシャにいつしか想いを寄せるようになっていったピエール、そしてナターシャの兄ニコライやその許嫁と目され、ロストフ家で育てられたソーニャ、アンドレイの姉マリヤなど、様々な人物の運命は戦争に翻弄され、思いがけず変わっていくこととなって……。

 

五月のセヴァストーポリ(乗松享平訳)

 

病気になった中尉の代わりに、志願して稜堡へ行くこととなったミハイロフ二等大尉は、自分の死の予感に囚われていました。それが十三回目の稜堡行きだったことも大きな理由です。これは名誉であり義務でもあることだと考えて自分を落ち着かせます。

 

前線壕にいるミハイロフの元に、伝令を伝えにプラスクーヒン騎兵大尉がやって来て、持ち場を離れて山のふもとで待機中の連隊に合流するように言います。お互いに相手を面倒な存在だと考えながらミハイロフとプラスクーヒンは移動を開始しますが、砲撃を受けてしまったのでした。

 

「伏せ!」だれかの怯えた声が怒鳴った。
 ミハイロフは腹ばいに倒れ、プラスクーヒンは思わず地面に屈みこんで目を細めた。どこか間近で砲弾が固い地面にガツンとぶつかる音だけが聞こえた。一時間にも思える一秒が過ぎた――砲弾は爆発しない。プラスクーヒンはびっくりして、自分はいたずらに臆病風に吹かれたのではないかと思った。砲弾がじつは遠くで、信管がそばでしゅうしゅう鳴っているのはただの気のせいかもしれない。彼は目をひらき、足下でミハイロフがじっと地面に伏せているのを見て自己満足を覚えた。だが次の瞬間、彼の目に飛びこんできたのは、自分から七十センチばかりのところで回転している砲弾の信管の火花であった。
 恐怖――ほかのあらゆる思考と感情を押しのける冷たい恐怖――が彼の全存在を捉えた。彼は手で顔を覆って膝から倒れこんだ。
 さらに一秒が過ぎた――感情、思考、希望、記憶の一大世界が彼の想像のうちに展開した一秒だった。(355~356頁)

 

一瞬の間に、プラスクーヒンの頭の中を様々な考えがかけ巡ります。ミハイロフと自分とどちらが近くてやられるか。あるいは両方か。ミハイロフに借りている十二ルーブリのこと。足だったら切断しても生きていられるが頭だったら? もしかしたら不発かもしれない。やがてその一瞬の時が過ぎて……。

 

吹雪(乗松享平訳)

 

駅から橇(そり)での移動を始めた〈私〉ですが、どんどん道の雪は深くなっていきます。暗闇で視界は悪く、御者はやみくもに進んでいるようでした。「行かないほうがいい、ひと晩中さまよって道で凍え死ぬことになりますよ」(376頁)という駅長の言葉が頭によぎります。

 

 吹雪はひどくなる一方で、上空から落ちてくる雪は乾いた細かなものになった。凍てついてきたようだ。鼻と頬はますますかじかみ、毛皮のコートの下に頻々と冷たい隙間風が吹きこむので、襟をかきあわさねばならない。雪が吹きはらわれて剥き出しとなった地表の氷に、ときどき橇がぶつかる。私はどこにも泊まらずに五百キロ以上走破したあとだったから、この迷走の結末がおおいに気になってはいたのだが、つい目を閉じてまどろんだ。ふと目を開けた瞬間、白い平原を煌々と照らし出すように見える光に私は心打たれた。地平線がはるかに広がり、低く垂れこめた黒雲はふいに消え、斜めに降る雪の曳くいくつもの白い線が四方に見えた。前を行く橇の姿も明瞭になり、上空に目をやると最初、雪が散って雪だけが空を覆っているような気がした。私がまどろむと同時に月が昇り、薄い雲と雪をとおして、冷たくも眩しい光を投げかけたのだった。(386~387頁)

 

〈私〉は子供の頃の夏のある日、溺れた人を大勢が池から救い出そうとしていた騒ぎのことを思い出します。乗っていた橇では馬の力が足りないということで、別の橇へと乗り換えた〈私〉は、「凍え死ぬくらいなら溺れ死ぬほうがいい、網で引っ張りあげてもらえる」(408頁)などと考え、時折まどろみながらも吹雪の中、橇に乗り続けて……。

 

イワンのばか(覚張シルビア訳)

 

昔々あるところに、戦士セミョーン、太鼓腹のタラス、イワンのばかと呼ばれる三人の息子と、口のきけない妹のマラーニヤが暮らしていました。この一家に目をつけた老悪魔は三人の小悪魔を呼ぶと、仲違いをするように仕掛けさせます。

 

食うに困るようにさせればいいと三人の小悪魔はそれぞれの兄弟の元に向かいました。セミョーンとタラスの元へ向かった小悪魔は成功をおさめますが、一方おなかを痛めさせ、畑の土を石のように変え、犂(すき)を壊してもイワンは畑を耕し続けることを決してやめずに……。

 

セルギー神父(覚張シルビア訳)

 

近衛重装騎兵連隊中隊長にまで出世していた、輝かしい才能の持ち主ステパン・カサーツキー公爵は、伯爵令嬢コロトコワへの求婚も受け入れられ、明るい未来が約束されていたはずでした。しかし、愛するコロトコワがかつて皇帝の愛人だったことを知ってしまいます。

 

何もかも捨てて修道院に行ったカサーツキーは、やがて修道司祭となってセルギーの名を与えられ、たゆまぬ修行を続けて、奇跡を起こすことのできるセルギー神父として評判になりました。噂を聞きつけた商人が病を抱えた娘を連れてきますが、それは肉づきのよい娘で……。

 

ハジ・ムラート(中村唯史訳)

 

一八五一年の終わり、歴戦の勇者として知られるハジ・ムラートがロシアに投降しました。ハジ・ムラートはロシア軍に協力することを約束しますが、一つだけ条件を出します。捕虜と交換して自分の家族を助け出してほしいと。

 

しかしその交渉が進む前に、教主シャミールはハジ・ムラートの家族を捕らえ、特にハジ・ムラートが息子を溺愛していることを知っていたので、もし戻って来て再び忠誠を誓わなければ息子の首を討つと連絡させたのでした。ハジ・ムラートは悩みます。

 

『どうすべきか? シャミールを信じて、彼のもとに帰るべきか?』ハジ・ムラートは考えていた。『奴は狡猾だ、欺くに違いない。もし奴が欺かないとしても、あの赤毛の騙りに服従するわけにはいかない。ひとたびロシア側についたからには、いずれにせよ奴はもう私を信じないだろう』とハジ・ムラートは思うのだった。
 彼は山間部に伝わる、捕らわれて人間のもとで暮らした後、故郷の山に戻ってきた鷲の物語を思いだした。鷲は鈴のついた足枷をつけたまま、故郷に戻ってきたが、故郷の鷲たちは彼を受け入れずに言った。「お前は銀の鈴を付けられた場所へと飛んで行くが良い。私たちは鈴も要らぬし、足枷も要らぬ」鷲は故郷を捨てたくはなかったので、居残ったが、他の鷲たちは受け入れずに、つつき殺してしまった――。
『そのように、私もつつき殺されるだろう』とハジ・ムラートは考えた。
『ここに残るか? カフカースをロシアの皇帝に従わせ、栄光と官位と富を得ようか?』(713~714頁)

 

家族を守るために、罠にかかって討たれる覚悟で教主シャミールの元に戻るか、それとも心から愛する家族を捨てて、ロシアに協力してそこでの出世を目指していくか、心揺れるハジ・ムラートが下した決断とははたして……。

 

舞踏会の後で ――物語――(中村唯史訳)

 

みなで、人に悪影響を与えるのは環境だから環境を変えなければならないと話し合っていた時のこと。イヴァン・ヴァシリエヴィチはすべては偶然だと言い、自分の体験を話し出したのでした。若き日のイヴァンは、ヴァレニカ・B嬢に恋をしていました。

 

舞踏会でヴァレニカと踊り、楽しい時を過ごします。陸軍大佐の階級章をつけた立派な姿をしたヴァレニカの父親にも紹介されました。早朝近くになってしまった舞踏会からの帰り道、イヴァンは兵士たちが逃亡したタタール人を取り囲み、痛めつけている現場に遭遇して……。

 

壺のアリョーシャ(覚張シルビア訳)

 

おつかいで運んでいた牛乳壺を割ったことから「壺」というあだ名のついた末っ子のアリョーシャは、兵隊に行った兄の代わりに商人の家で働くことになります。料理女のウスチーニヤと親しくなりますが、周りからは結婚を反対されてしまって……。

 

とまあそんな八編が収録されています。「戦争と平和」はそもそもがダイジェストなので、さほど読みごたえはないというか、登場人物それぞれの深い心理までは触れられない感じがありますが、ナターシャ、ピエール、アンドレイを中心に、主要な登場人物の把握はできるだろうと思います。

 

そうした、押さえておくべきところだけ押さえておけば、実際に「戦争と平和」の本編を読む時に大分楽になるというか、そこさえ押さえられれば、あれだけの大長編でも意外とすらすら読み進められると思うので、この巻を足掛かりに「戦争と平和」に挑戦してみるのもよいのではないでしょうか。

 

ダイジェストではあるものの、久々に「戦争と平和」に触れて、僕もまた読み返してみたくなりました。もつれた人間模様が興味深い作品というか、単純に「この人とこの人の関係性は、これからどうなっていくんだろう」という、物語の筋の面白さを改めて感じました。