栗本薫『絃の聖域』 | 文学どうでしょう

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新装版 絃の聖域 (講談社文庫)/講談社

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栗本薫『絃の聖域』(講談社文庫)を読みました。

みなさんのお好きな名探偵は誰でしょうか。日本の三大名探偵と言えば江戸川乱歩の明智小五郎、横溝正史の金田一耕助、高木彬光の神津恭介。島田荘司の御手洗潔や内田康夫の浅見光彦なども有名ですね。

ぼくにとって最も思い入れのある名探偵が、今回紹介する栗本薫の伊集院大介です。名探偵には超人的なタイプと見た目はさえないけれど地味に鋭いタイプがいますが、後者のさえないけれどすごいタイプ。

事件の捜査で伊集院大介と出会った山科警部補が、伊集院大介を観察する場面があるので見てみましょう。もうかなりさえない感じです。

 おかしな青年である。――ひょろひょろと背がたかく、驚くほどほっそりとしている。きわめて華奢なからだつきで、ちょっと猫背で、胸がくぼみ、長い細い脚はどういうわけか、なんとなくガニ股気味に曲がってみえた。
 細くて長い脚の上に細くて長い胴、その上に、細くて長い首がほっそりとのっている。およそ運動や肉体労働には不向きであろう、そのからだに、上についている顔もまたぴったりとつりあったものだった。
(中略)
 色白な細おもて、ちょいとみそっ歯で、ほっそりした鼻ばしらに銀ぶち眼鏡がのかっている。秀麗な額に、長い前髪がふわりと垂れかかるのを、細い指でかきあげながら、ほとんどあどけない――とでも云いたいような、目もとをくしゃくしゃにした笑顔をうかべている。この青年をみているうちに、山科警部補は、なんだかひどく愉快になってきた。
 誰かに似ている――と思う。そうだ、フォーク・シンガーの、さだまさしとかいう歌い手に似ている。(153ページ)


たった一人の生徒しかいない塾の経営をしている伊集院大介は、その生徒の家で殺人事件が起こり、生徒が塾に通って来れなくなったことから、家庭教師をするためその家に顔を出すようになったのでした。

いかにもさえない見た目で、初登場作なだけに警察の扱いもぞんざいで、可哀相な伊集院大介ですが、物語が進むに従って、控えめな態度ながら、持ち前のずば抜けた推理力を発揮していくこととなります。

さて、栗本薫の伊集院大介のシリーズにハマるかどうかは、おそらく読者の今までの推理小説の読書傾向にかなり左右されるだろうと思います。みなさんは、江戸川乱歩や横溝正史などはお好きでしょうか。

最近のミステリは殺人事件が起こり、それをいかに論理的に解決するかという、いわゆるパズルみたいなものも多いですが、江戸川乱歩や横溝正史は物語自体があやしく、おどろおどろしい雰囲気なんです。

伊集院大介のシリーズは意図的に江戸川乱歩や横溝正史の雰囲気を取り込んでいるところに大きな魅力があるシリーズで、たとえば今回紹介する『絃の聖域』はまさに横溝正史の作品を思わせる旧家が舞台。

そして『天狼星』やその続編のシリーズなどでは、江戸川乱歩の明智小五郎と怪人二十面相との対決を彷彿とさせるような、伊集院大介と変装の達人シリウスとの心躍る対決が描かれていくこととなります。

なので、江戸川乱歩や横溝正史の独特の世界観が好きだという方に特におすすめできるのが伊集院大介シリーズだということになります。

ぼくにとって、どうして伊集院大介が最も思い入れのある名探偵かというと、実をいうとほとんど初めて読んだ推理小説だったからです。冒頭から、少年同士の同性愛の描写が出て来る、あやしい物語世界。

愛憎うずまくおどろおどろしい雰囲気の小説は、それまであまり読んだことが無かったので、とても強い印象を受けたのを覚えています。おかげで、後に横溝正史の作品世界にもすんなり入っていけました。

古い時代の本格推理小説と綾辻行人以降の新本格の流れを繋ぐと言っても過言ではない伊集院大介のシリーズ。古い推理小説はちょっと抵抗があるという人はこのシリーズで試してみてはいかがでしょうか。

作品のあらすじ


昭和五十×年十月十七日。夜闇に包まれた純和風の広壮な邸。十七歳の少年智は十六歳の少年由紀夫の部屋に忍び込んでいました。二人は接吻し、ナイフで切って血を混ぜあう儀式をすることを約束します。

数日後、山科警部補は雨天続きを愚痴りながら、長唄で有名な安東家で起こった殺人事件の捜査をしていました。安東喜之菊という弟子が撥(バチ)を握ったまま、稽古場で背中を刺されて殺されたのです。

安東家の人々に会って話を聞いていった山科警部補は、この一家からある種異様な感じを受けます。猪首でたくましく、蛸入道のような醜男の安東喜之助と、冷ややかで生気にとぼしい無表情なその妻八重。

その娘で十九歳の美しい少女安東多恵子と、姉よりもさらに美しいほどの繊細な目鼻立ちの由紀夫。やがて喜之助は元芸者で愛人の江島友子を、その息子の智とともに邸に住ませていることが分かりました。

「なるほど。――では、改めて確認しますが、この家に実際住んでおられるのは、安東流の家元である喜左衛門氏と内縁の喜千世さん。そのお嬢さんである八重さん、娘婿の喜之助さん、お二人のあいだの、多恵子さんと由紀夫さん。お手伝いの松田吉子さん。そしてこの――」
「この家の敷地に二軒長屋をたてまして、いっぽうにはこの横田、もういっぽうに智と母親――がおります」
「ははあ。そして父上とその――喜千世さんは別むねでやっておられ、母屋には五人で住んでおられる、そして弟子はくぐり戸を使って稽古場へ出入りする、とこういうことですね?」
「そうです」
「なるほど」
 そうきけば、大したことはないのに、実際にその人びとを見ているとなぜこうももつれた糸のかたまりを見るように納得のいかない気がするのだろうと、警部補は思った。
 だが、あとは、一人ひとりにあたってゆっくりと糸のもつれをほぐしてゆくだけだ。(57ページ)


番頭の横田から安東家について色々と話を聞いていた山科警部補は八重が家のために望まぬ結婚をしたこと、生まれた子どもは恋人との子であり、今も左近弥三郎という鼓打ちの愛人がいることを知ります。

殺された喜之菊と喜之助の間に関係があったらしいことから山科警部補は真っ先に八重を疑いますが、自分も愛人を持っているなら夫の愛人を嫉妬で殺すわけがなく、疑いは根拠のないものに変わりました。

やがて安東家に伊集院大介と名乗る青年が訪ねて来ます。塾の教師ですが、生徒は由紀夫一人。「その、由紀夫くんが来ないと、ぼく、何もすることがないのです」(155ページ)というわけなのでした。

詳しいことは何も知らないはずなのに、殺人事件や安東家について鋭いことを口にする伊集院大介に山科警部補は思わず感心させらます。

「そういう気がどんどんするんなら、あんた、ちょっとした占い師ぐらいならつとまりますよ」
「ええ。実をいうとぼく、この塾がうまくいかなくなったら、街頭易者に転業しようかと思っていたんです」
 伊集院大介は、あくまで大真面目である。
 山科はからかうつもりで、笑いながら、
「そういうことなら、ちょうどいい――この事件の犯人と、これからどうなるかでも、千里眼で占ってみちゃどうです。いったい、こんどは、どんな気がしますかね」
「そうですねえ」
 大介は、目を見張って、しばらく考えこんでいたが、
「犯人なんて、もちろん、誰が死んだかもわからないのに、わかりっこないですけど、でも、この事件――これっきりっていうことは、たぶんないでしょうね」
「次の事件が起こるといううことですか!」
「ええ。それも、ひとつではすまないんじゃないかな――こんども、この家で起こるかどうかは、わかりませんけどね。ぼく、どうも、何かまちがったんじゃないか、という気がするんです。犯人ももし、そう思っているんだとすれば――遠からず、まちがいをたださなくちゃなりませんよね。いまのところまだ、全体の模様、といったものは出てきていない――ええ、ぼく、なんとなくそんな気がするんです」(161ページ)


やがて、客弟子を交えた下ざらえの稽古のために借りた席の控え座敷で番頭の横田が殺されました。胸を鋭い刃物でひと突きされたのですが、すぐに絶命はしなかったらしく一枚の紙を握りしめていました。

卓の上の本から一ページちぎりとったもので、「綱館」という曲のはじまりの一節のようです。警察は意味をつかめませんが調べを進める内に「綱館」は殺された喜之菊の演し物であったことが分かり……。

はたして、安東家に起こった惨劇の、驚くべき真相とはいかに!?

とまあそんなお話です。旧家で起こった殺人事件ですから、通り魔の犯行のはずがありません。一体どんな動機で犯行は行われたのでしょうか。愛憎入り混じるおどろおどろしい謎に伊集院大介が挑みます。

旧家という設定やそれぞれの登場人物の激しすぎる個性などは、最近のミステリと比べて大げさすぎるきらいはあるものの、まさにそれこそが魅力で、古き良き時代の本格推理小説を彷彿とさせる作品です。

伊集院大介は残念ながら今はあまり知られていない名探偵になってしまった感じもあるので、興味を持った方はぜひ読んでみてください。