ヒュー・ロフティング『ドリトル先生航海記』 | 文学どうでしょう

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ドリトル先生航海記 (新潮モダン・クラシックス)/新潮社

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ヒュー・ロフティング(福岡伸一訳)『ドリトル先生航海記』(新潮モダン・クラシックス)を読みました。

阿川佐和子訳による「くまのプーさん」、A・A・ミルンの『ウィニー・ザ・プー』の記事でも触れましたが、翻訳家ではない著名人による古典の新訳シリーズがこの「新潮モダン・クラシックス」です。

単行本なので文庫本に比べると高いですが、コンセプトが面白く、装丁や本文イラストが魅力的。子供におすすめというより懐かしの児童文学をもう一度読み返したい大人の本棚にふさわしいシリーズです。

100%ORANGEによる新しいイラストの『ウィニー・ザ・プー』に対して、『ドリトル先生航海記』はヒュー・ロフティングによる挿絵がそのまま使われています。中には岩波少年文庫にはないカットも。

「ドリトル先生シリーズ」の定番である、その岩波少年文庫の翻訳を手掛けていたのは「山椒魚」などで知られる井伏鱒二でした。最近では、角川つばさ文庫から河合祥一郎による新訳も刊行されています。

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今回紹介する『ドリトル先生航海記』は「ドリトル先生シリーズ」でいうと本当は『ドリトル先生アフリカゆき』に続く第二作ですが、シリーズで最も知名度が高く、また人気も高い一冊だろうと思います。

それには大きな理由があって、客観的に描写されていた『ドリトル先生アフリカゆき』に対し、『ドリトル先生航海記』はドリトル先生の助手になるトミー・スタビンズ少年の目から物語が語られるのです。

水辺の町バドルビーで人間以外の生物とも話が出来るドリトル先生と出会い、やがてドリトル先生と一緒に大海原へ冒険へとくり出すスタビンズ君。第一作に比べ、感情移入がしやすい作品になっています。

ところで「ドリトル先生」と言えば1998年に公開され、後にシリーズ化されたエディ・マーフィ主演のコメディ映画版もあります。

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映画では「動物と話せる」というのは突然手にした能力として描かれますが、原作のドリトル先生は特殊能力ではなく勉強して色んな生物の言語を習得するというのが語学好きのぼくにとってはツボでした。

『ドリトル先生航海記』では、どうしても貝の言葉が理解出来ずに壁にぶち当たるドリトル先生の苦悩も描かれているのです。ドリトル先生と貝の言葉をめぐるエピソードにも、ぜひ注目してみてください。

さて、「新潮モダン・クラシックス」の大きな特徴なので訳者の福岡伸一についても少し。ご存知の方も多いと思いますが、ベストセラーになった新書『生物と無生物のあいだ』などを書いた生物学者です。

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「生命とは何か?」をテーマにした読みやすく面白い新書で、DNAの研究にまつわる知られざる出来事など、まさに目から鱗の一冊でした。興味のある方はぜひ『ドリトル先生航海記』とあわせてどうぞ。

作品のあらすじ


水辺の町パドルビーの靴職人ジェイコブ・スタビンズの息子として生まれた〈私〉トミー・スタビンズ。九歳と半年の頃は、船乗りたちが船荷を岸に下ろしているのを、波止場から眺めるのが大好きでした。

いつか自分も航海に出て色んな世界を見たいと、憧れを抱いたほど。家が貧乏で学校に通えない〈私〉は、生き物が好きなので、鳥の卵や蝶を集めたり、川で魚を釣ったり、森を散策して過ごしていました。

ある日、タカに襲われていたリスを助けてやります。しかしリスはタカの鉤爪で後ろ脚にひどい怪我をしてしまっていたのでした。友達の貝採り名人のジョーはこれはドリトル先生しか治せないと言います。

町の反対側のオクソンソープ通りで暮らしている偉大なハクブツ学者ジョン・ドリトル先生。友達のネコ売りのマシューは、秘密めいた声で、ドリトル先生は動物の言葉が話せるのだと、教えてくれました。

「動物のことば?」私は思わず大きな声を出しました。
「ああ、そうだ。どんな動物も何かしらことばを持っているからな。ぺちゃくちゃとおしゃべりなやつもいりゃあ、無口なやつもいる。それに、身ぶりで話すやつもいる。まあ、手話みたいなもんだ。だが、ドリトル先生はそういうことばを、いくつもわかるんだ。鳥のことばだってわかる。でも、このことは秘密だぞ。先生とおれだけの秘密なんだ。なぜって、こんなことを言ったって、たいていのやつらは冗談に決まってるって笑いとばすだけなんだから。そうそう、ドリトル先生は動物のことばを話せるだけじゃない、書くことだってできるんだぞ。飼ってる動物に本の読み聞かせもしている。先生はサル語で歴史の本を書いて、カナリヤ語で詩を書いて、カササギに歌わせる愉快な歌詞も書いてる。嘘じゃないぞ。今は、貝のことばの研究に夢中だ。といっても、それはものすごくむずかしいことばで、おまけに、頭を水の中に突っこんでなけりゃならないから、ひどい風邪をひいちまうんだそうだ。これでわかっただろう、ドリトル先生がどれほど偉大かってことが」
「ほんとうにすごいや。先生が家にいてくれるといいな。そうすれば、ぼくも先生に会えるから」(19~20ページ)


ところが門に鍵がかかっていて、ドリトル先生は航海から帰っていないことが分かります。マシューは金の首輪をしたジップという犬に、月曜と木曜に届けるようドリトル先生から頼まれた食料を渡します。

四月も終わりに近付いた頃、おとうさんに頼まれて、ベローズ大佐に修理した靴を届けた〈私〉は帰り道で土砂降りの雨にあい、おまけにシルクハットをかぶった小太りの男の人にぶつかってしまいました。

男の人は道が水浸しで危ないから、うちによって服を乾かしていきなさいと言ってくれます。一体誰だろうと思っていると、ポケットから鍵束を取り出してドリトル先生の家に入っていくではありませんか。

そう、そのやさしげな男の人こそ、〈私〉が会ってみたいと思っていたドリトル先生だったのでした。家の中は真っ暗、マッチは濡れていて使い物になりませんが、ドリトル先生に慌てた様子はありません。

火のついたロウソクを持ってダブダブというアヒルがやって来て、家の中には、たくさんの動物がいることが分かりました。やがて五年ぶりにオウムのポリネシアが帰って来たのでドリトル先生は喜びます。

リスの怪我を治してもらったことで〈私〉はドリトル先生のことが大好きになりました。動物の言葉にも興味があり、〈私〉はドリトル先生の所へ通うようになりますが、両親からは反対されてしまいます。

そんなにしょっちゅうドリトル先生の家に行って、おまけに食事までご馳走になるなんて、きっとご迷惑に違いないというのです。そこで〈私〉は正式な助手になりたいとドリトル先生に申し出たのでした。

「なるほど、だが、博物学者になってもお金持ちにはなれないよ。いや、実際、ぜんぜんお金にならない。優秀な博物学者の多くは、まるでお金を稼いでいない。むしろお金を使ってしまう。虫捕り網や鳥の卵を入れるケースなんか買ってばかりいる。わたしだってこれまで博物学者として長いこと生きてきて、わずかばかりのお金を稼げるようになったのはつい最近だ。書いた本がようやく売れるようになったからね」
「ぼくはお金なんていりません。とにかく、ぼくは博物学者になりたいんです。今度の木曜日に食事をしにうちに来てくださいませんか? 実は、そうしてくれるように、ぼくから先生にお願いすると、おとうさんとおかあさんにもう言ってあるんです。そして、今の話を先生からおとうさんとおかあさんに話してほしいんです。それから、もうひとつ・・・・もしぼくがここに住んで、家のことや先生の仕事をきちんと手伝ったら、今度、先生が旅に出るときに、一緒に連れていってもらえますか」
「なるほど」ドリトル先生はにっこり笑って言いました。「つまり、きみはわたしと一緒に旅に出たいというわけだね? こりゃ愉快だ」
「先生が旅するところはどこだってついていきたいです。たくさんの虫捕り網やたくさんのノートを運ぶ助手がいたほうが、先生だって便利ですよね? そうでしょう?」(78~79ページ)


願い通りドリトル先生の助手になることが出来た〈私〉は世捨て人ルカの事件に巻き込まれたりしながら日々を過ごしていきます。やがてムラサキゴクチョウのミランダが、思わぬ知らせを持って来ました。

目に涙をためて、くちばしを震わせていたミランダは、赤い肌のインディアンで読み書きは出来ないながら、驚くべきほどの生き物の知識を持っているというロング・アローが行方不明になったと言います。

ブラジル沖にあるクモサル島付近で最後に目撃されたというロング・アロー。ロング・アローを失うことは人類の知識のとって計り知れない損失だとドリトル先生は嘆きますが、どうすることも出来ません。

しかし、新しく航海に出る先を決めるために地図の適当なページを開き、鉛筆を三回まわしてから〈私〉が指したのは、クモサル島だったのでした。これはなにか大きな運命が動いているとしか思えません。

ドリトル先生と〈私〉はロング・アローを探すために船出して……。

はたして旅路の果てでドリトル先生と〈私〉が目にしたものとは!?

とまあそんなお話です。もしかしたら最近の児童文学と昔の児童文学の大きな違いと言えるかも知れないのですが、昔の児童文学にはわりと主人公の子供たちを教え導く存在が登場していたように思います。

江戸川乱歩の「少年探偵団」シリーズにも、いざとなれば小林少年らを助けてくれる名探偵明智小五郎という頼りになる存在がいました。

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最近の児童文学では、いかに行動するべきかをさりげなく教えてくれる存在が登場するような作品は少なく、現実の問題と大きく関わる、等身大の少年少女の姿が描かれている作品が多いような気がします。

それだけに物語を読んでいて、あたたかいドリトル先生をなんだか新鮮に感じましたし、ドリトル先生を敬い、自分のやりたいことに対して一生懸命な主人公スタビンズ君にもぐっとくるものがありました。

インディアンの描写に関してなど、問題が指摘されることもありますが、知的好奇心を刺激してくれる今なお色褪せない名作。「新潮モダン・クラシックス」でもう一度手にとってみてはいかがでしょうか。