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ジェリー・スピネッリ(千葉茂樹訳)『スターガール』(角川文庫)を読みました。
岩波書店のヤングアダルト(中学生、高校生向け)小説の叢書「STAMP BOOKS」に、ジョン・グリーンの『ペーパータウン』という作品があります。突然姿を消した幼馴染を探して旅をする物語。
ペーパータウン (STAMP BOOKS)/岩波書店
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その幼馴染マーゴは学校での人気者ですがちょっと変わっていて、おかしなファッションをしたり、突拍子もない言動をしたりする女の子でした。『ペーパータウン』もいい小説なので、機会があればぜひ。
その『ペーパータウン』を読んでいて、マーゴという奇抜なキャラクターから連想したのが、今回紹介する『スターガール』。マーゴと同じか、それ以上にとにかく変わっている女の子が出て来る物語です。
ぼくが中学生、高校生の頃は今ほどヤングアダルトという概念は定着していなくて、本屋や図書館などにもコーナーはありませんでした。なのでぼくはほとんどヤングアダルト小説を読まずに来たんですよ。
それでもたまたま機会があって何冊か読んだ中で一際印象に残っているのが『スターガール』。かなりぶっ飛んだキャラクターの登場する物語ながら、同時に「あるある」と共感も出来る不思議な作品です。
最近よくニュースでとりあげられているのが、子供とスマートフォンの問題。友達関係を維持するためにtwitterやLINEなどSNSから離れられず、ストレスになったり、ネット依存になったりが話題ですね。
ぼくが子供の頃はスマートフォンはおろか携帯も誰も持っていませんでしたが、根底にあるのが「みんなやっているから仲間外れにされたくない」という思いならば、その問題はいつの時代も変わりません。
さて、『スターガール』に登場するスターガール・キャラウェイは明らかにみんなとは違う変わった女の子でした。化粧をせず車のヘッドライトにたじろぐ鹿の目のような大きな瞳をしているスターガール。
今までずっと学校には来ていなかったのですが、突然ウクレレを手に高校に通って来るようになり、どこで調べて来たのか誕生日の人の所で歌を歌ったり、歴史の授業で北欧神話のトロールの質問をしたり。
本当はスーザンなのに、自分でつけた”スターガール”を名乗るスターガールは注目され、あっという間に、学校中の人気者になりました。
ところが周りとあまりにも違いすぎるスターガールはいわゆる”空気を読む”ことが出来ずに周りからバッシングを受け始め、やがては学校中から”沈黙の刑”、つまりシカトされることになってしまい……。
学校は小さな社会。社会には暗黙のルールがありみんなはそれに従って生きているような部分があります。型破りなスターガールの行動はいい面悪い面その両方について、改めて気付かせてくれるのでした。
みなと違うことでもてはやされ、みなと違うことで総スカンを食ってしまったスターガールが、ボーイフレンドのレオの目から語られる物語。人と違うことを恐れるすべての人に読んでもらいたい作品です。
作品のあらすじ
ハイスクール二年生としての新学期が始まった日〈ぼく〉レオ・ボーロックは誰に会っても「あの子には、もう会った?」と聞かれます。一年生のスターガールという女の子が、注目を集めていたのでした。
おばあちゃんのウェディングドレスといってもいいような白のロングドレスを着てウクレレを奏で、「なくした四つ葉のクローバーを、わたしはさがしているのです」(12ページ)と歌ったスターガール。
ある日の午前中に、ここいらではめったに降ることのない雨が降った。彼女は体育の授業中だった。先生はみんなにすぐに校舎に入るよう指示した。次のクラスにむかう途中、みんなは窓の外の光景に釘付けになった。スターガールはまだ外にいた。どしゃぶりの雨のなか、彼女は踊っていた。
ぼくたちは、彼女のことを定義したかった。ぼくたちがおたがいにやっているように、どこかの分類にあてはめたかった。でも、彼女はどこにもあてはまらない。「不気味なやつ」「変人」「イカれてる」どれもちがう気がした。彼女はこちらのバランスまでぐらつかせた。学校の上に広がる雲のない空に、ひとつの記号が浮かんでいた。
? (21~22ページ)
学校のフットボールチームの試合でハーフタイムにバンドが演奏しているとスターガールがフィールド現われゴールポストからゴールポストまで走ったり、つむじ風のようにクルクル回ったりし始めました。
一体なんだろうと思って見ているまばらな観客。演奏が終わってもスターガールは残っていて、出て行くようホイッスルを吹かれるとボールを奪って相手チームのベンチに投げ込むと、姿を消したのでした。
会場は大爆笑の渦に巻き込まれこのパフォーマンスがウケて、スターガールはチアリーダーのチームにスカウトされます。話題のチアリーダーを見にフットボールの試合にはかつてない観客が集まりました。
いつもより熱い応援があると当然選手たちは張り切ります。それは結果に結びつき、チームが強くなると応援にも一層熱が入るのでした。
そして、もっと不思議なことが起きようとしていた。とつぜん、負けることにがまんができなくなっていたのだ。負け方を忘れてしまったといってもいい。この変化はまたたくまに広がった。ぼくたちには見習い期間も、学習の期間もなかった。勝利者としてのあり方を教えてくれるものもなかった。かつては、敗者であることに満足し、無関心だったぼくたちは、突如として、熱狂的なファンになり、観客席で足を踏み鳴らし、顔をグリーンや白に塗りたくり、何年もそうしてきたかのようにウェーブをした。
ぼくらはチームに恋をしてしまったようだった。それまでチームをさすときに「あいつら」といっていたぼくたちは、いまや「ぼくら」と呼ぶようになっていた。(86~87ページ)
スターガールの周りにはたくさんの人が集まるようになり、何故かスターガールから気に入られてしまった〈ぼく〉も、スターガールとの距離を縮めていきます。ところが思いがけない事件が起こりました。
スターガールは前から、自分のチームだけでなく、相手のチームも応援してしまうので顰蹙を買っていたのですが、チームが負けるとその責任をおしつけられ、チアリーダーを追い出されてしまったのです。
しかもスターガールを置き去りにしてそのままバスで帰ってしまうというひどいやり方で。これをきっかけにスターガールの人気は凋落しスターガールの周りには、誰も集まらなくなってしまったのでした。
誰かの誕生日を歌で祝ったり、街の人々にカードを送ったりする、スターガールの変な所にも、スターガールが飼っているネズミのシナモンにも慣れた〈ぼく〉はどんどんスターガールに惹かれていきます。
ところが〈ぼく〉とスターガールの気持ちが近付くに連れて、今度は〈ぼく〉もみんなにシカトされ始めてしまったのでした。スターガールへの愛か、それともみんなとの調和かの選択を迫られる〈ぼく〉。
「ねえスターガール。なにもかもを自分のやりかたでやるっていうわけにはいかないこともあるんだよ。ずっと学校に通ったことがなかったんだから、しょうがないのかもしれないけど。人はだれでも、朝起きた瞬間から、世界中のほかの人たちがどう思うのかを考えながら生きてるんだよ」
彼女は目を大きく見開いて、まるで小さな女の子のように、泣きだしそうな声でいった。「あなたもそうなの?」
「そうだよ。世捨て人でもないかぎりはね」
彼女はぼくのスニーカーにかかった彼女のスカートの縁を、指で弾いてほこりをはらうような仕草をした。「でもどうやったら、世界中のほかの人のことまで考えていられるの? わたしなんか、自分のことだってよく考えられないのに」
「そんなにむずかしいことじゃないさ。きっとわかるよ。だって、きみも世界とつながってるんだから」(233~234ページ)
〈ぼく〉に言われて初めてみんなから嫌われていると気付いたスターガールは、スターガールであることをやめ〈ぼく〉のアドバイスを受けながら、普通になってみんなから好かれようとするのですが……。
はたして、スターガールはみんなと仲良くなることが出来るのか!?
とまあそんなお話です。スターガールは相当な変わり者ですし、その変わり者から意味もなく好かれるラブストーリーでもあるので、そういった意味では、ファンタジックな雰囲気を持つ小説だと言えます。
しかしそれでいて、みんなからシカトされて辛いとか、周りにあわせたいけれどあわせ方がよく分からないという、胸に突き刺さるような人間関係のシビアさがリアルに描かれている作品でもあるのでした。
ぼくら読者が、スターガールと”みんな”の、どちらの目線に近いかと言えば、明らかにみんなの方でしょう。スターガールは変わり者であり、集団の和を乱すおかしなヤツであり、排除すべき存在であると。
ところが、スターガールの言葉に耳を傾け、スターガールの気持ちを知っていくに連れ、本当に”みんな”の方が正しいのかどうかあやふやになって来ます。そうした意味で色々と考えさせられる作品でした。
キャラクターは個性的、ストーリーは面白く、テーマに胸打たれる物語。スターガールのことが気になった方はぜひ読んでみてください。
次回は、マーク・ハッドン『夜中に犬に起こった奇妙な事件』を紹介する予定です。