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パトリシア・マクラクラン(金原瑞人訳)『のっぽのサラ』(徳間書店)を読みました。straighttravelさんのブログ「Straight Travel
」で紹介されていた本です。
大人は大人で仕事をしなければならなかったり、子供の世話を見たりと大変ですが、子供だって大変です。特にどちらか片方の親がいない場合は変に気を回したり、再婚相手との関係に色々悩みを抱えたり。
そうした物語で、とりわけ印象的なのが、トム・ハンクスとメグ・ライアンが共演し、1993年に公開された映画『めぐり逢えたら』。
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妻を病気で亡くして、落ち込んでいたトム・ハンクス演じる父親を心配し、息子がラジオに電話をかけ、そのラジオを聴いていたメグ・ライアン演じる女性が何故か心動かされるというラブストーリーです。
運命の二人がなかなか出会わないという珍しい作品ですが、トム・ハンクス、メグ・ライアンがそれぞれハマり役で、思わず引き込まれる映画になっています。面白いので、まだ観たことのない方は、ぜひ。
ある意味では『めぐり逢えたら』によく似た設定の小説が、児童文学の有名な賞であるニューベリー賞を1986年に受賞した、今回紹介する『のっぽのサラ』。母親が亡くなってしまった一家の物語です。
父親が新聞に出した広告を見たサラという女性がやって来て、結婚するかどうかはともかく一ヶ月暮らしてみることが決まったのでした。
アンナとケイレブという幼い姉弟は、はるばるメイン州からやって来るサラに、自分たちが気に入ってもらえるか、心配でたまりません。
「メイン州って、どれくらい遠くにあるの?」
「知ってるでしょ、ずっと遠くよ。海のそば」
「海を持ってきてくれるかなあ」
「ばかねえ。海は持ってこられないわよ」
羊がまきばで、かけています。ずっとむこうでは牛が、まるで亀みたいに、のっそり池のほうに歩いています。
「ぼくたちのこと、気に入ってくれるかなあ」ケイレブが、ぽつんといいました。
家畜小屋のむこうに、タカが輪を描いて、舞い降りました。
ケイレブがわたしを見上げました。そして、自分で答えました。
「だいじょうぶだよ」
それから、「ぼくたち、いい子だもん」といいたしたので、わたしは、くすっと笑ってしまいました。(42ページ)
はたしてサラは一体どんな女性なのでしょうか。そしてサラはアンナとケイレブ姉弟のことをどう思うのでしょうか。ありふれた日常風景が描かれた作品ながら、姉弟がいじらしく、思わず引き込まれます。
児童文学らしい児童文学なので、大人が読んで楽しめるかどうかは分かりませんが、アンナとケイレブが暮らす草原とサラが暮らしていた海辺の対比が美しく、印象的な言葉や場面がたくさんある作品です。
作品のあらすじ
こんな書き出しで始まります。
「ママはいつもうたってたの?」ケイレブがたずねました。
「うたわない日はなかったの?」ケイレブは、ほおづえをついて暖炉わきの椅子にすわっています。もう、夕暮れどき。暖炉わきの床石はあたたまっていて、その上にうちの犬が二ひき寝そべっています。
「そう。いつもいつもうたってたわ」こう答えるのは、今週になって二度目。今月になって二十回目。今年になって百回目くらい? 二、三年前、ケイレブがこのことをききだしてからだと、もう何回目になるかしら……。(7ページ)
〈わたし〉アンナの弟ケイレブはママのことを覚えていないため、いつもママのことばかり尋ねます。ケイレブが覚えていないのも無理はありません。ケイレブを産んだ次の日の朝に亡くなったのですから。
ケイレブはママが産まれたばかりの自分を「ほらアンナ、かわいいでしょう」(11ページ)と言って〈わたし〉に手渡したという話を聞いているので、自分はとてもかわいい赤ん坊だったと思っています。
ところが実は、初めて見た時にはぶさいくで、くさくて、ぎゃんぎゃん泣きわめいてうるさいと感じたのでした。ひどい顔をした赤ん坊だと思い、ママに「おやすみなさい」も言わずに寝てしまったのです。
「ほらアンナ、かわいいでしょう」がママが〈わたし〉に言った最後の言葉になりました。胸に大きな穴があいたような〈わたし〉を慰めてくれたのが、頬に触れて、無邪気に笑ったケイレブだったのです。
ママが死んで以来パパは歌わなくなりました。しかしある夜、ずっとそのことを考え続けていたケイレブが少し責めるような口調でそのことを聞くと、また歌えるようになるかもしれないと言ったのでした。
子供たちの世話をしてくれる人がいなくて困った隣のマシューさんが新聞に広告を出したら、テネシー州に住んでいた、髪がカブみたいに白くてよく笑う愉快なマギーさんが、お嫁さんに来てくれたのです。
そこで、マギーさんみたいな人に来てもらいたいと思ったパパも「助け、求む」という広告を、いくつかの新聞に出しておいたのでした。
その広告を見たメイン州に住むサラ・エリザベス・ウィートンという女性から手紙が届きます。今まで結婚したことはなく、兄が結婚することが決まったので、家を出て行くことにしたと書かれていました。
パパと〈わたし〉とケイレブはそれぞれサラに手紙を書き、サラはそれぞれの問いかけに答えます。髪を編めること、好きな色は海の色なこと、飼っているネコの名前はアザラシちゃんということなどなど。
正式に結婚を決める前に一ヶ月ほど一緒に暮らしてみることになりました。目印に黄色の帽子をかぶっていくこと、「わたしはのっぽで、ぶさいくです」(35ページ)と書かれた、サラの手紙が届きます。
自分たちのことを気に入り、パパと結婚する気になってくれるかどうか、不安でたまらない〈わたし〉とケイレブでしたが、サラがおみやげに海の石と潮の香りのする巻き貝を持って来てくれたので大喜び。
何故なら、この辺りは草原ばかりで海はないからです。二匹の犬ロッティとニックはすぐにサラに馴染み、〈わたし〉とケイレブもサラの歌う歌を好きになり、サラとずっと一緒にいたいと思い始めました。
マギーさんも新しい友達が増えると喜び、サラに花の種をくれます。
「植えてもらおうと思って」おばさんがいいました。「あなたの花壇にね」
「わたしの花壇ですって?」サラはかがみこんで、箱のなかの草花にさわりました。おばさんがいいました。
「ヒャクニチソウとマリーゴールドとナツシロギクよ。いいこと、どこに住むにしても、花壇だけは作らなくちゃだめ」
サラはほほえみました。
「メイン州のうちの花壇には、ダリアとオダマキソウを植えてたの。それからキンレンカもよ。キンレンカは、夕日のような色の花をつけるの。このあたりでも育つかしら」
「やってごらんなさいよ」マギーおばさんがいいました。「とにかく花壇だけは作らなくちゃね」(94ページ)
しかし、〈わたし〉は気付いてしまいました。サラが時折さびしそうにしていること、そして、「わたしは海が恋しいわ」(92ページ)とぽつりと漏らしていたこと。サラは故郷を恋しがっているのです。
やがて、馬に乗る練習をするようになったサラは、〈わたし〉とケイレブに何も言わずに、一人でどこかへ出かけていってしまって……。
はたして、〈わたし〉たち一家と、サラをめぐる物語の結末は!?
とまあそんなお話です。草原しか知らない〈わたし〉たち一家と、海しか知らないサラとでは、育ってきた環境がまるで違います。〈わたし〉たち一家は海を知らず、サラは羊など動物のことを知りません。
見知らぬ他人のぎこちない距離感から少しずつ打ち解けていった〈わたし〉とケイレブ、サラの関係の行方から、目が離せなくなる物語。
ケイレブの何気ない言葉や日常にありふれた描写にきらりと光るものがあって、思わずはっとさせられる感じがありました。130ページほどの短い作品なので、興味を持った方はぜひ読んでみてください。
次回は、エドワード・ホーガン『バイバイ、サマータイム』を紹介する予定です。