サマセット・モーム『夫が多すぎて』 | 文学どうでしょう

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夫が多すぎて (岩波文庫)/岩波書店

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サマセット・モーム(海保眞夫訳)『夫が多すぎて』(岩波文庫)を読みました。

戦争は多くの悲劇を生みましたが、物語でたまに描かれるのは、戦死したはずの夫が帰って来るというもの。妻が信じて待っていた場合には感動の再会となりますが、もう既に再婚していることもあります。

二人の夫と一人の妻、この複雑な関係性にはジレンマがありますから様々な小説や映画になりました。しかし、その戦争が生んだ悲劇と言うべき複雑な関係性を喜劇として描いたのが『夫が多すぎて』です。

第一次世界大戦直後のイギリス。フレデリック少佐は親友であり、戦死したウィリアム少佐の妻ヴィクトリアと結婚しました。子供にも恵まれましたが、数年してウィリアム少佐が生きて帰って来たのです。

思いがけない運命のいたずら。びっくり仰天したウィリアム少佐とフレデリック少佐でしたが、やがて考え始めたことは同じでした。これ幸いと、ヴィクトリアを相手に押しつけてしまおうと思ったのです。

というのも、ヴィクトリアは美しく魅力的な女性ではあるのですが、たとえばウィリアム少佐にあげたプレゼントを、そのままフレデリック少佐に使い回すなど打算的で、自己中心的な考えの持ち主だから。

つまりヴィクトリアとの生活はぎゅぎゅう締め付けられ続ける、窮屈で苦しいものなんですね。そこで、ウィリアム少佐もフレデリック少佐も口では美しくいいことをいいながら相手に押しつけあって……。

『夫が多すぎて』は日本でも今なお上演される喜劇なので、機会があれば舞台を観にいってみてはいかがでしょうか。今年の秋にも日比谷にあるシアタークリエで大地真央主演で上演される予定のようです。

さて、亡くなったはずの夫が帰るというのは、昨日紹介したテニスンの物語詩『イノック・アーデン』と共通するのであわせて読んでもらいたいと思いますが、また少し違うテーマの作品も紹介しましょう。

戦地から戻って来た男が夫や恋人に姿はよく似ているけれど性格や態度が違い、本人かどうか分からないというおすすめの映画を二作品。

まず一本目は、リチャード・ギアとジョディ・フォスターが共演した1993年公開映画『ジャック・サマースビー』。南北戦争に出かけた夫が以前は冷たかったのに、優しい人柄になって帰って来る物語。

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妻は以前とは違う夫に戸惑いながらも次第に惹かれていきますが、やがて、思わぬ出来事をきっかけに、夫が本物か否かを問われることになって……という物語。非常に引き込まれる、印象に残る作品です。

もう一本は、ジム・キャリー主演の2001年公開映画『マジェスティック』。記憶を失った脚本家が見知らぬ町に流れ着き、戦死したその町の英雄と間違われ、壊れた映画館を再び作ることになる物語。

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戦死した英雄の恋人は戸惑いながらも主人公に惹かれていくこととなり……。『マジェスティック』は、映画好きにはぜひ観てもらいたい一本。それというのもまさに、映画界の光と闇を描いた作品だから。

単に、記憶喪失の男が希望の光を人々の胸に灯す、感動の物語というだけでなく、やや難しく感じられるかも知れませんが、実はハリウッドで実際にあった、”赤狩り”が重要なテーマになった作品なのです。

1950年代のハリウッドは、アメリカが社会主義国家であるソ連と冷戦状態にあったこともあって、社会主義者を弾圧して、映画界から追放しようという動きが生まれたんですね。それが、”赤狩り”です。

社会主義者の認定が密告という形をとったこともあり、映画界には様々な悲劇が生まれました。そういう映画界の闇を正面から描いている作品で、同時に、小さな町の映画館の再生という光も描いた作品。

『ジャック・サマースビー』と『マジェスティック』はテーマもストーリーも、それぞれにとても面白いので、ぜひ観てみてください。

作品のあらすじ


優雅な家具があり、鏡台には沢山の化粧品が並び、火が赤々と燃える暖炉のあるベッドルームでヴィクトリアはマニキュア師のミス・デニスにマニキュアをしてもらっていました。会話の内容は結婚のこと。

ヴィクトリアは戦死した夫ウィリアム少佐を愛していたが、再婚した今の夫であるフレデリック少佐も愛しており、今の夫がもし死んでしまったら悲しいけれど三番目の夫も心から愛するだろうと言います。

二人の息子フレデリックとウィリアムを持つヴィクトリア。フレデリックは前の夫ウィリアムの子供で、夫の親友の名前をつけ、ウィリアムは今の夫フレデリックの子供で、前の夫の名前をつけたのです。

やがてヴィクトリアの母シャトルワース夫人が訪ねて来てヴィクトリアにはむしろレスター・ペイトンと結婚してほしかったと言います。戦争中は軍人が一番ですが、戦争が終わればお金持ちが一番だから。

ちょうどそこへ当のペイトンが訪ねて来ました。ペイトンはヴィクトリアの美貌に夢中で、普通の人だったら手に入らない生活必需品を手に入れてくれるのでヴィクトリアもペイトンを邪険には扱いません。

やがて、フレデリックが帰って来ました。しかしランチに連れていってもらえるという約束だったのに、フレデリックが約束の時間に帰って来なかったのでヴィクトリアはお冠。事情を聞こうともしません。

(しだいに興奮してきて)私が要求がましいことをする女じゃないってことは、神様がご存じだわ。あなたを幸せにするために、できる限りのことをしているっていうのに。私は忍耐の権化よ。私がわがままな女じゃないってことは、私の最悪の敵だって認めてくれるはずだわ。(フレデリックは口を開こうとする)なにもあなたは私なんかと結婚する必要などなかったのよ。私のほうから頼んだわけじゃないんだから。あなたは私を愛してるなんて言い張った。ビルのことがなければ、あなたとなんか結婚しなかったでしょうよ。あなたはビルの親友だった。ビルの思い出をあなたがとても美しく語ってので、私はあなたを愛するようになったんだわ。(フレデリックはまたもや口をはさもうとするが、ヴィクトリアは容赦なく話つづける)それが間違いのもとよ。私はあなたを愛しすぎたんだわ。あなたはそのような大きな愛にふさわしくない人だっていうのに。(36ページ)


自分を愛してくれたビル(ウィリアムの愛称)に帰って来てほしいと嘆くヴィクトリアにフレデリックは言います。それを聞いてうれしい「三分後にはここにビルが到着するはずだから」(37ページ)と。

戦死したはずのウィリアムから連絡があったというので怒るヴィクトリア。「さっき家に帰って来たとき、なぜすぐに話してくれなかったのよ。くだらないことなんかしゃべってないで」(43ページ)と。

ヴィクトリアが気にしていたのはウィリアムが自分とフレデリックが結婚したことについてなんと言っていたかでした。しかしフレデリックは、「僕がなにを伝えたときにかね」(44ページ)と聞きます。

わずか三分間の電話だったこともあり、フレデリックはまだウィリアムにそのことを伝えていなかったのでした。当然のことながらウィリアムは自分の妻と子が待つ家庭に帰って来るつもりでいるわけです。

やがて「やあ諸君、お待たせしたね」(47ページ)と元気よくウィリアムがやって来ました。ウィリアムはフレデリックが到着を待ってくれていたので喜びます。電話でそれを頼むのを忘れていたのだと。

ウィリアムは頭の怪我で記憶喪失になり、今までずっとドイツ軍の捕虜になっていたのだと話しました。本当は夜にこっそり帰って来て驚かそうとしたと言われて、フレデリックとヴィクトリアはどぎまぎ。

近況を尋ねながら今までのフレデリックの女遊びの話をウィリアムがするものですから、フレデリックは大慌てです。やがて赤ん坊の泣き声がしたので観念したフレデリックは自分の子供だと告白しました。

ウィリアム 君だって。まさかきみ、結婚したっていうんじゃないだろうな。
フレデリック 結婚している男は沢山いるぜ。戦争中は結婚が大流行だったんだから。
ウィリアム なぜ僕にしらせてくれなかったんだ。
フレデリック そんなこといったって、君。君はこの三年間死んでたんだぞ。しらせようがないじゃないか。
ウィリアム (フレデリックの手をつかんで)おめでとう。本当にうれしいよ。君だっていつかはつかまっちまうだろうと僕は思っていたんだ。もちろん、君はぬけ目のない古ギツネではあるけどね。だけど、おれたち男は結局みんな女房持ちになってしまうのさ。心からお祝いをいうよ。
フレデリック どうもありがとう。それでね、僕はその……ここで暮らしてるんだよ。
ウィリアム ここでだって。そいつはすばらしいなあ。奥さんもいっしょかい。
フレデリック そのへんがちょっと説明しにくいんだ。
(65ページ)


フレデリックはなんとか察してもらおうと遠回しに話をもっていきますが、ウィリアムはシャトルワース夫人と結婚したと思い込むなど全く状況を理解しません。ついに、はっきりと状況を告げたのでした。

ウィリアムは予備のベッドルーム、フレデリックは客間のソファで一晩を過ごします。朝起きるとブーツがなくなっていたのでウィリアムはしきりに不思議がりました。フレデリックは知らないと言います。

あまりにも寒いのでウィリアムが暖炉に火をつけるとフレデリックは「オーヴァを脱ぐとするか。この火を見たら、ヴィクトリアはカンカンに怒るだろうな」(84ページ)と言います。石炭は貴重だから。

ウィリアムはこの家の主人は君だから自分には関係ないと言い、フレデリックは君が戻って来たからには自分は単なる居候に成り下がったのだと言います。お互いに相手夫婦の仲を裂きたくないと言う二人。

やがてヴィクトリアがやって来るとフレデリックは別れを告げて去ろうとしますが、ウィリアムは止めて「ぜひにっていうんなら、おれの死体を乗りこえてゆくんだな」(95ページ)と一歩も譲りません。

ウィリアムは、「実は若い頃の放蕩と戦争の苦労で身体がすっかりまいってしまってね。余命いくばくもないんだよ」(96ページ)と譲ろうとしますが結局くじ引きで本当の夫を決めることになりました。

「ねえ、わくわくするじゃない。心臓がドキンドキンと打ってるわ。一体どちらが私を獲得するのかしら」(108ページ)とヴィクトリアがうきうきと見守る中、運命のくじ引きが始まったのですが……。

はたして、運命のいたずらで生じた、奇妙な三角関係の結末は!?

とまあそんなお話です。登場人物も少なく、ストーリーもシンプルな作品ですが、シチュエーション(場面)が実に巧みに描かれていて、登場人物たちのちぐはぐなやり取りに思わずにやにやさせられます。

喜劇として面白い作品ですが、それ以外にも戦後の様々な風俗が諷刺されている感じもあり、そういう部分もとても興味深い作品でした。読みやすく面白いので、興味を持った方はぜひ読んでみてください。

明日は、ヘンリー・ジェイムズ『ある婦人の肖像』を紹介します。