石坂洋次郎『青い山脈』 | 文学どうでしょう

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石坂洋次郎『青い山脈』(新潮文庫)を読みました。

『青い山脈』は、何度も映画化されたベスト・セラー小説なんですが、今では絶版になってしまっているようです。正直、ちょっとびっくりしました。もうそんな時代になってしまったんですね。

ちなみにぼくは映画を2バージョン観てます。まずは、今井正監督で、原節子が島崎先生を演じたもの。

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それから、西河克己監督で、吉永小百合と浜田光夫の黄金コンビのバージョン。吉永小百合と浜田光夫のコンビはすごく好感が持てて、どの映画を観ても面白いです。

まさに黄金コンビですよね。吉永小百合もとても素敵ですが、浜田光夫の無邪気な笑顔がたまらなくいいです。今はちょっといないタイプの俳優だと思います。

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島崎先生役を芦川いづみが演じていて、ぼくは芦川いづみが好きなものですから、こちらのバージョンの方がどちらかと言えば印象に残ってますね。ガンちゃん役を演じている高橋英樹にも注目です。

『青い山脈』は単純に言えば、学園青春ものです。学校で起こったささやかながら重大な出来事が、やがては町全体の問題になっていきます。

問題となるのは、表面的には先生は生徒をいかに指導すべきかというものです。ある出来事に対して、先生と生徒のどちらの側が正しいのかという議論がなされるわけですね。

ただ、出来事の裏側というか、本質というか、実際にはなにが議論の焦点になっているかというと、男女交際のあり方です。『青い山脈』で描かれるのは、戦後間もなくの時代で、大きく時代が変化しつつある頃です。

口では民主主義、民主主義と叫びながら、まだ古い固定観念に縛られているのが学校の先生たち、そして町の人々です。結婚というのは、お見合いをしてするのが当たり前で、若い男女が町を歩いていたら、それはもう大事でして、不純で汚らわしいものとして扱われるんですね。

偏見の目や、凝り固まった古い考えを捨てて、新しい風を吹かそう、清く正しい男女交際があったっていいじゃないかと、そういうことを貫こうとするお話なんです。

『青い山脈』が読まれなくなっている理由は、なんとなく分かります。理由を2つあげるとするなら、まず第一に、描かれているテーマが古すぎるということは当然指摘できるかと思います。

どちらかと言えば、恋愛結婚が増えてきて、友達から恋人まで、わりと自由な男女交際ができる現在においては、清く正しい男女交際のために古い考えと戦っていくという物語構造そのものが、古すぎる感じが否めません。

第二に、物語で描かれる、清く正しい男女交際自体が、どこかむずがゆいというか、あまりにも明るく健全すぎて、もはや一種のファンタジーと化してしまっている所はあります。

時代が大きく変わりすぎて、現在の読者が、自分たちの現実の生活を投影することのできない物語になってしまっているんですね。

以上2点を指摘した上で、『青い山脈』を現在読む価値があるかどうかを考えてみたいと思いますが、答えは簡単です。大いに価値があります。その理由もシンプルで、面白いからです。

『青い山脈』は今読んでも面白い、おすすめの小説ですよ。読んだ後は、とても爽やかな気持ちになります。

男女交際のあり方を問うというテーマ的は、確かに古すぎる感じはします。ただ、物語の展開としては、古い考えと新しい考えのぶつかり合いという、普遍的かつ手に汗を握るものなんですね。

しかも新しい考えの側が立場が弱く、負けそうになるのを必死でなんとかしようという話が面白くないわけがありません。そしてなにより、登場人物たちがとても魅力的なんです。

島崎先生、寺沢新子も芯が通っていていいですけれど、やっぱり男性陣がいいです。ガンちゃん、それから沼田先生がとにかくぼくの好みです。そうそう、忘れちゃいけないのが笹井和子で、笹井和子はとにかくおかしくておかしくて。

テーマ的には古いですし、描かれる男女交際の形は今やファンタジーの感じすらありますが、読みやすく、面白く、爽やかな小説です。興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

作品のあらすじ


こんな書き出しで始まります。

 六月の、ある、晴れた日曜日の午前であった。
 駅前通りの丸十商店の中では、息子の六助が、往来に背中を向け、二つ並べたイスの上にふんぞりかえって、ドイツ語の教科書を音読していた。恐ろしくふきげんそうな様子である。(5ページ)


この丸十商店に、一人の女学生がお米を売りに来ます。この女学生は海光女学校五年生の寺沢新子です。両親が出かけていておなかが空いているので、六助は新子に頼んでご飯を作ってもらいます。お礼に店のものをなにかあげるということで。

新子は占い師の所に行くというので、面白がった六助は新子についていきます。占いを見てもらうと、新子は本当の母親の所に行くといって六助と別れます。新子には産みの母と今暮らしている義理の母の2人の母がいる、ちょっと複雑な家庭環境なんですね。

この六助と新子が、物語の中心のペアの一組になります。

新子と並ぶ、もう1人の主人公的キャラクターは、島崎雪子という若い英語教師です。ある時、雪子が帰り支度をしていると、職員室に新子がやって来ます。

新子は、男性から手紙が来たというんです。ところがその手紙は、どうやらクラスメイトがいじわるするために書いたらしいんですね。呼び出しをして、新子がのこのことやって来たらそれをタネにからかおうという、悪質ないたずらです。

実は新子は、男性と交際したということで、前の学校を退学になって転校して来た生徒だったんです。手紙を出した犯人というのは、新子が前の出来事を反省して、清純な理念を持っているかどうかを試してやろうという、そんな考えからそういうことをしたらしいんですね。

新しい考えを持つ雪子は、文字のくせや、字の間違いから犯人を見つけ出し、みんなの前でこういう手紙を出すことはよくないことだと説教をします。すると、六助と新子が2人でいた所が目撃されていたことが分かります。

やがて、雪子が手紙を出した生徒を叱ったことが、大きな問題となります。「母校を向上させようとする、生徒の熱意は認められるべき」(50ページ)という意見が出て来たりして、新子も悪い所があったし、雪子の取った態度もあまりにも一方的すぎるというんですね。

悪い風習を改めようとしない、学校の事なかれ主義に雪子は悔し涙を流します。すると、武田校長はこんなことを言います。

「いや、島崎さん、貴女の気持はよう分る。私も貴女ぐらい若かった時分には、教育の理想に燃えて、大いにやったもんじゃよ。(中略)しかし、島崎さん、私は教育者として長い経験を積んだあとで、理想と現実とは違うんだということを教えられた。全く、現実の社会というものは、複雑怪奇なものじゃでな。悪いと思うことでも、そのままにして置かにゃならんこともあり、良いと思うことでも、すぐに実行できん場合もある。では全くでたらめかというと、そうでもない。その間に少しずつ・・・」
 雪子は、自分の不覚な涙が、武田校長の現実となれ合った、いい気持な述懐談を誘い出したことを迷惑に感じた。
 月日の経過で、気がうすれて水みたいになるのは、下等の酒である。上等の酒は、幾百年経ってもコクと香りと味を失うものではない。そして、ほんとの理想というものは、上等の酒のようなものでなければならない。ーーそれが雪子の信念とするところであった。(54ページ)


武田校長の言い分もぼくは分からないではないんです。臨機応変さのない思想は時に有害になりえます。しかし、水みたいになってしまう理想は「ほんとの理想」ではないという雪子のまっすぐな気持ちも胸にすっと入ってきますよね。

にせラブレター事件は、いたずらを仕掛けた生徒たちが退学するか、それとも雪子が職を辞するかという、そうした一触即発の空気を呼び起こします。学校の先生や町の人々など、周りはもちろん雪子や新子にとっては敵になります。

雪子と新子の味方をしてくれる少数の人間がいるにはいます。まずは、少なからず責任を感じている六助とその友人のガンちゃん。ガンちゃんはいつも本を読んでいるような人間で、やがて保護者の会議に変装して潜り込むこととなります。

それから、沼田という学校の校医でもあるお医者さん。どこかのらりくらりした所がある、ちょっとした変わり者ですが、雪子のことをこう評します。

「つまりね、地方で暮らすには、さびたナタのような神経が必要なんだよ。ところがあの人はカミソリのような神経でいこうとする。それあナタよりもカミソリの方が切れるけど、それじゃナタとカミソリが闘ったらどっちが勝つかというと、これはもうナタに決まってる。世の中ってそうしたもんさ・・・・・・」(67~68ページ)


正しい理念はもちろんありますが、その正しさだけを押し通せばいいというわけでもないんですね。そんな沼田もなんだかんだ言って、雪子のことを応援してくれます。どうやら雪子にちょっと気がある様子。

雪子は向かい風の中、自分の信念を貫き通すことができるのか? そして新子と六助、雪子と沼田の関係の行方は・・・!?

とまあそんなお話です。誰が主人公というわけでもなく、それぞれのキャラクターにスポットが当たる感じです。スリリングかつユーモラスで、思わず物語に引き込まれてしまう、そんな面白い小説です。

では、最後にぼくのお気に入りの場面を紹介して終わります。

笹井和子というメガネをかけた一年生の女の子がいます。雪子のファンなので、スパイのように活躍するんですが、この和子は探偵小説が好きなんです。

ガンちゃん(富永)に家まで送ってもらう途中での、こんなやり取りが印象に残りました。

「富永さんは探偵小説が好き?(中略)ね、富永さんに簡単なテストをしましょうか。馬一匹でひく綺麗な馬車があるの。それを馬でなく、かえって二週間ぐらいのヒヨコに絹糸をつけてひかせるとします。ヒヨコ一羽の力は五千分の一馬力だとしたら、馬車をひっぱるのに幾羽のヒヨコが必要ですか」
「それは五千羽でしょうーー」と、富永は真面目くさって答えた。
「ホホホ・・・・・・違いました。ヒヨコは何万羽おっても馬車などひけません。そこに理屈と実際の違いがあるのです。名探偵は富永さんのような過ちを犯しません。オホホ・・・・・・」(114~115ページ)


面白いですよね。ユニークなクイズだと思います。みなさんもどこかで使ってみるといいかもしれませんよ。

古い考えに堂々と立ち向かい、新しい風を吹かせようとする、そんな勇気あふれる物語です。

この青春物語は、テーマとしては時代を感じさせますが、ストーリーの面白さと、他に類を見ない爽やかな印象でもって、これからも読み継がれていく名作だろうと思います。みなさんもぜひぜひ。

明日は、壺井栄『二十四の瞳 』を紹介する予定です。