マージョリー・キナン・ローリングス『鹿と少年』 | 文学どうでしょう

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マージョリー・キナン・ローリングス(土屋京子訳)『鹿と少年』(上下、光文社古典新訳文庫)を読みました。

ご存知の通り、アメリカは発見された大陸です。原住民側から考えると、その言い方は難しい問題を孕んでいますが、ともかく、アメリカ文学の歴史は、土地の開拓の歴史とほぼ重なります。

土と汗の臭いがするような、そんな文学がアメリカ文学なんです。

一言で「土地の開拓」というと簡単ですが、実はそれは生命の危険と隣り合わせなんですね。とにかく食べ物がありません。

「働く」というのは、「土地を耕す」と同義語で、畑から作物が取れなければ、飢える他ないんです。給料制とは違い、なにも保証されていない暮らしです。

食べ物を手に入れる方法としては、猟や釣りもありますけれど、当然うまくいかないことや、思わぬ怪我をすることもあります。怪我をしても、近くに病院があるわけではないので、医者を呼びに行くだけで大変です。

『鹿と少年』は、そうした厳しい暮らしの中、成長していく少年の姿を描いた名作です。ピュリッツァー賞受賞作品で、日本でも『子鹿物語』というタイトルで親しまれてきました。

ぼくは今回この物語を初めて読みましたけども、こうした名作が読みやすい形で出版されて、新たなスポットがあたるのはいいことですね。手に取りやすいですし、名作なので、やはりとても面白いです。

ちょっと味わったことのない感覚が心に残りました。感動とも少し違う、とても印象深いなにかが。恵みをもたらし、同時に厳しい現実を突きつける自然の様子が描かれているからだと思います。

『鹿と少年』はタイトルの通り、少年ジュディとフラッグと名付けた仔ジカとの絆が描かれる作品ではあります。ですが、児童文学らしい甘ったるい物語を想像していたら、全然違います。

それ以上に自然の厳しさを、克明に描き出した作品なんです。スルーフットというクマがやって来て、生まれたばかりの仔牛を食べてしまったり。このスルーフットとの対決も、物語の重要な流れの1つです。

途中から、非常に読ませる物語になります。「一体どうなるんだろう?」と。息詰まるような展開に思わず引き込まれます。ぎゅっと拳を握って、ジュディと同じ気持ちになります。そして・・・。

物語の結末をどう感じるかは人それぞれですが、作品を明確に貫くテーマは、厳しい人生に「ぶちのめされたら、どうするか?」(下、392ページ)です。

何度も何度も困難は目の前に立ちはだかります。そんな時は一体どうしたらいいのか? 作品で出される1つの答えは、時間や場所を超えて、現代に生きるぼくら読者の胸にも響きます。

それは、単なる面白さでも、ありふれた感動でもない、もう少し別のなにかとして心に残るんです。

少年ジュディの成長が描かれると同時に、ぼくら自身の人生をもう一度しっかり考えてみたくなる、そんな作品です。興味を持ったら、ぜひ読んでみてください。

作品のあらすじ


物語の舞台となるのは、フロリダの未開の土地です。木々は生い茂っていますが、水を手に入れるだけで大変な場所。近くに井戸を掘るお金がないので、遠く離れた陥落孔(シンク・ホール)という、地下から水が出ているところまで行くしかありません。

少年ジュディが家に帰って来るところから物語は始まります。どうやら仕事をほったらかしにして遊びに行ってしまったらしいんですね。そんなジュディに父親のペニーはこんな風に言います。

「だが、かあさんには黙っとけ」ペニーは母屋のほうへ首を傾けて言った。「いい顔しないからな。女には、所詮、ほっつき歩きたくなる男の気持ちなんぞ、わかりゃせん。おまえがいなかったことは、黙っといた。かあさんに『ジョディはどこ?』って聞かれたが、『さあな、そこらにいるんじゃないか』と言っといたから」
 父親は片目をつぶってみせた。ジョディもウインクを返した。(上、24ページ)


ジョディを教え、導いてくれる、そんなやさしい父親です。一方、それとは対照的に、母親はとても厳しい人です。心底冷たい心の持ち主ではないようですが、表面上は口うるさく、ジュディにどことなく突き放した態度を取ります。

どうやら、生まれた子どもが病気で次々と死んでしまって、「愛情も心労も興味も、それまでの子供たちに使いはたしてしまったかのよう」(上、42ページ)なんですね。

父親のペニーは、体がペニー銅貨のように小さいことから、ペニーというあだ名で呼ばれています。ペニーは町での暮らしがどうも性に合わないんです。他人と密接に暮らすということは、「いきおい人の思惑や行動や財産が干渉しあう場面が生じる」(上、37ページ)からです。

そこで町を離れ、開拓地で暮らすことにしました。近くにいるのは、フォレスター家くらいなんですが、このフォレスター家の息子は乱暴者ぞろいで、のちのちに色々ともめることになります。

フォレスター家はできるだけ付き合いたくない相手なんですが、たとえば急に必要なものができた時など、物々交換をしに行ったりもします。

ジョディは、フォレスター家のフォダーウィングとは仲よしです。フォダーウィングは体が少し悪いんですが、やさしい子供で、アライグマやキツネリスなど、たくさんの動物を飼っています。

ジョディはペニーの後について、猟へ行ったり、魚を釣りに行ったりします。そんなある時、ペニーの身にとんでもない出来事が降りかかります。

ガラガラヘビに噛まれてしまったんです。毒のあるヘビで、そのまま放っておくとペニーは死んでしまう危険性があります。

その時に目の前に現れたのが、雌ジカです。ペニーは雌ジカを撃ち殺し、切り取った肝臓を傷口に当てます。毒を吸い出させようというんですね。その間にジョディは医者を呼びに走ります。

ペニーは辛うじて一命を取りとめるんですが、雌ジカには生まれたばかりの仔ジカがいたんです。ジョディはこの仔ジカを飼うことにします。仔ジカはやがて、フォダーウィングによってフラッグと名付けられます。

今までは愛情を注ぐ対象がなかったので、それだけに仔ジカを可愛がるジョディ。どこに行くのも一緒です。仔ジカもジョディに懐きます。

ジョディはペニーと一緒にスルーフットという、家畜を食べてしまうことで悪名高いクマとの対決に行ったり、畑の手伝いをしたりします。ペニーの体があまりよくないので、ジョディは今まで以上にしっかり働かなければならないんです。

一年が経ち、大きく成長した仔ジカのフラッグ。柵を乗り越えて、元気いっぱいに遊びまわります。しかし・・・。

とまあそんなお話です。最初と最後でジュディの心境は大きく変わります。あまり責任を感じずに、ふらふら遊んでいたジュディが、しっかり自分の人生を見据えるようになるんです。

この物語でぼくが一番印象的だったのは、次の場面です。

そのあと、アライグマの母親が獲物をつかまえては仔に食べさせる様子を、ジョディは長いこと眺めていた。やがて、アライグマの母親はのんびりと陥落孔の底を横切って反対側の斜面をのぼり、縁を越えて姿を消した。二匹の仔たちも母親のあとについて、チィチィ鳴いたり低くうなったりしながら仲良く帰っていった。(上、418ページ)


なんてことのない場面ですよね。アライグマの母子が出てくるだけです。しかし、これを見ていたジョディにはある思いが浮かびます。それがとても印象的なんです。ぜひ注目してみてください。

おすすめの関連作品


リンクとして、映画を1本紹介します。

この作品を読んでぼくが連想したのは、ロバート・レッドフォード監督の『リバー・ランズ・スルー・イット』です。

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ストーリーとして、特に似ているわけではないんですが、印象としてはなにか共通したものがあると思います。

『リバー・ランズ・スルー・イット』は兄と弟の関係を描いた映画で、釣りが重要なものとして描かれます。川があって、まったくタイプの違う兄と弟がいます。その2人の対照的な生き方と、絆を描いた作品です。

静かで、心に沁みる映画です。機会があればぜひ観てみてください。おすすめです。