吉行淳之介『夕暮まで』 | 文学どうでしょう

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夕暮まで (新潮文庫)/吉行 淳之介

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吉行淳之介『夕暮まで』(新潮文庫)を読みました。

『夕暮まで』は、かつてぼくが初めて読んだ吉行淳之介の作品で、かなりの衝撃を受けた小説です。

この作品を読んで以来、吉行淳之介の魅力に心奪われてしまいました。結構夢中になって他の作品を読んでいったのを覚えています。

吉行淳之介は、文学史的に言えば、「第三の新人」に属します。戦後の作家を第一次、第二次と数えていって、第三に位置づけされるわけですね。

「第三の新人」の前の戦後派の印象を少し書きますね。戦後派というのは、必然的に実存的なテーマと立ち向かうことになります。

つまり、戦争の重荷を自分自身の問題として抱え込んで、人間とはなにか、人間はどのように生きていくべきか、という人間の本質への問いかけをテーマとして持っていました。

野間宏、椎名麟三、梅崎春生、島尾敏雄らの短編集は、講談社文芸文庫で手に入るので、機会があればぜひ読んでみてください。

戦後派は、それぞれの作家によってスタイルは異なりますが、わりとシュールな文体、内容のものが多く、非常に興味深い作風です。この時期の作家の作品にしかない「異様さ」とも呼ぶべきものがあります。

ある種の混沌したテーマを抱え込んでいるので、理路整然とした感じではないんです。たとえて言うなら、でこぼこ道を車で走るような感じです。ハンドルをしっかり握っていなければ、危険が伴うような。

一方、戦後派の後に位置づけられる「第三の新人」の作風は、そうした重々しい実存的なテーマはなく、身近な物事をさらりとした筆致で描くものが多いです。庄野潤三の後期の作品に至っては、ほとんど随筆(エッセイ)といっていい感じです。

「第三の新人」を色々読んでみたいなあという方は、村上春樹が『若い読者のための短編小説案内』という本を出しているので、参考にしてみてください。

若い読者のための短編小説案内 (文春文庫)/村上 春樹

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『若い読者のための短編小説案内』は、「第三の新人」の作品を中心に取り上げて、村上春樹がその作品についての読み方を書いている本です。

選ばれている作品が、必ずしもその作家の代表作ではないことが面白いですね。作品自体は手に入りづらいものが多いですが、図書館で借りるなどして作品を読んで、この本を解説がわりに読むと、かなり楽しめるというか、勉強になります。

「第三の新人」の作品は基本的には読みやすいです。面白さを感じられるかは別問題ですけども。つまり、作られた物語性による面白さとか、深いテーマ性とか、そういうのを求めると少し拍子抜けします。

エッセイのように身近な出来事が淡々と描かれて、その力の抜けた感じが魅力だったりするんですよ。そうした「第三の新人」の中でも、より一層読みやすく、性的なものを内包した作品を書いた吉行淳之介は、かなり面白い作家なんです。

この辺りから『夕暮まで』の話に入っていきますが、この作品だけではなく、吉行淳之介は賛否両論の分かれる作家です。より正確に言えば、好き嫌いの分かれる作家です。

『夕暮まで』というのは、作者本人を思わせる40代、妻子持ち、それなりに裕福な中年男が、20前後の女性と性的な関係を持つという話です。1年ちょっとの間の2人の不思議な関係性が、みずみずしいタッチで描かれていきます。

それを聞いただけで、そこにフェミニズム的というか、男性上位の感じを読み取って拒絶したくなる方もいるだろうと思います。つまり、わがままな男によっておもちゃにされるというか、虐げられる女性像が読み取れると言えば、たしかにその通りです。

そもそも日本文学にはわりと男性目線の作品の系譜というのはあって、吉原など水商売の女との関係が描かれることは多いです。

恋愛から結婚に繋がる現在の風習とは違い、家同士の結婚が当たり前の世の中では、恋愛感情のような人間の感情の動きというのは、水商売の女相手の方がより生き生きする要素があるのだろうとは思います。

『夕暮まで』をそうしたフェミニズム的な批判の立場から読み解くことは、必ずしも間違った方向性ではないと思いますが、抜群に面白い要素のある小説なので、あまり構えずに、興味を持ったらぜひ手にとってみてください。180ページくらいの短い作品です。

作品のあらすじ


海の近くを走る大型バスの中から物語は始まります。ほとんどの乗客が降りてしまうと、入り口近くで座っていた女が、奥の席に座っている中年男の元にいきます。

どうやら知り合い同士らしいんですが、人目を忍んでばらばらに座っていたらしいんですね。

バスを降りると、2人は公園に行きます。男は夢の話をします。手を繋いだ2人の女がブーツを履いただけの裸で歩いている夢。

男と女は、夢と現実の違いの話をして・・・。

上の章はまああまり気にしないでください。次の章はこんな風に始まります。

 繁華街のはずれに、小さい洋食屋があった。木造の平家で、「洋食屋」という古風な名のほかには、呼びようのない店である。
 その店のステーキが旨い、と佐々がある友人に教えられたのは、もう五年ほど前のことだ。
「ただし、脂身のところを残すなよ。この前、残しておやじに怒られた」
 そのとき、友人は付け加えた。(21ページ)


小説的というよりは、わりとエッセイに近いスタイルだと思います。読みやすい文章ですよね。佐々というのがこの物語の主人公になります。

佐々はこの店に、杉子を連れていきます。杉子というのは、若い人々のパーティーで佐々が出会った若い女です。杉子は佐々の愛人のような関係にあります。

食事を終えた佐々は煙草を吸おうとして、ライターを床に落としてしまうんです。それを拾おうとして、服の内ポケットに入れていたオリーブオイルの瓶も落としてしまいます。

それを見て、杉子は顔を赤らめます。それがなぜかというと、2人の間では、オリーブオイルというのが性的なイメージと結びつくものだからです。2人の関係はこんな風に書かれています。

 佐々と杉子とのあいだには、肉体関係があるといったらよいのだろうか。
 いつも杉子は腿を堅く締め合せて、防ぐ形になる。その隙間のない若い腿の合せ目に、佐々がオリーブオイルを滴らせて軀を合わせると、ほとんど実際と同じ感覚が得られた。
 しかし、杉子はまだ処女である。(25ページ)


2人の間に行われているのは、擬似性交なんです。まあフーゾクとかと同じスタイルと思ってもらえばいいですかね。ホテルに行き、裸になり、それなりの行為はする。でも決定的な性交はしない。

なぜなら、杉子は「まっ白いウェディングドレスを着て、きれいな結婚式をあげる」(30ページ)ために「ヴァージン」であることにこだわっているからです。そんな奇妙な関係性の2人。

決定的な性交は拒絶しますが、それ以外のこと、たとえばお互いの性器を口で愛撫するとか、そういうのはむしろ積極的な杉子。2人は毎回わりと豪華な食事をし、ホテルに行きます。

やがて杉子に若い男の影がちらつきはじめ・・・。

とまあそんなお話です。『夕暮まで』の面白さというのは、こうした2人の奇妙な関係性もそうなんですが、なにより杉子のキャラクター性というか、杉子に関しての不透明さなんです。

杉子ははたして本当にヴァージンなのか? という問題は常につきまといます。肉体的に限りなく杉子に近づいているのに、杉子の本質からは遠ざかっているような、そんな感じ。

肉体的に繋がらないもどかしさが、杉子の本質をつかめないもどかしさと重なるのが、なにより面白いところです。

物語には、杉子以外の女性も結構出てきます。佐々は洒脱というか遊び人というか、そういう感じなんです。どこか達観しているようなところがあって、嫉妬心など、感情に苦しめられないのも特徴的です。

男女関係を描いていながら、相手に精神的に引きずられない感じが、吉行淳之介は村上春樹と並んで批判の対象になったりもするんですが、それだけにかえって全体的にどろどろせず、おしゃれなみずみずしさがあります。

新潮文庫の裏表紙のあらすじを見ると、結構、性的に過激な感じで書かれているんですが、実際に読んでみると、かなり印象は異なるだろうと思います。

ポルノグラフィーの露骨さではなく、ゆったりした独特の雰囲気で描かれる佐々と杉子の奇妙な関係は、もしかしたら好き嫌いは分かれるかもしれないんですが、ぼくは好きですね。なんだかちょっと面白いです。

興味を持った方はぜひ手にとってみてください。吉行淳之介は久々に読み直したくなったので、近い内にまたなにか紹介できるかと思います。