2026年中に岐阜市福光にカフェを開業予定です。(努力目標)よろしくお願いします。



「手ぶくろを買いに」 (作)新美南吉

寒い冬が北方から、狐の親子の棲んでいる森へもやって来ました。ある朝、洞穴から子供の狐が出ようとしましたが、「あっ」と叫んで眼を抑えながら母さん狐のところへころげて来ました。「母ちゃん、眼に何か刺さった、ぬいて頂戴、早く早く」と言いました。

母さん狐がびっくりして、あわてふためきながら、眼を抑えている子供の手を恐る恐るとりのけて見ましたが、何も刺さってはいませんでした。母さん狐は洞穴の入口から外へ出て始めてわけが解りました。昨夜のうちに、真白な雪がどっさり降ったのです。その雪の上からお陽さまがキラキラと照していたので、雪は眩しいほど反射していたのです。雪を知らなかった子供の狐は、あまり強い反射をうけたので、眼に何か刺さったと思ったのでした。


これは小学生の時に教科書で習った「手ぶくろを買いに」の冒頭部分。なんて美しい文章だろうと思う。

キラキラ輝く雪の元で会話をする母ギツネと子ギツネの様子が動画を見ているように鮮明に思い浮かぶ。

私はこの物語が好きで絵本を買って、自分の子どもにも何度も読んだ。木の葉のお金を持って手ぶくろを買いに来た子ギツネに人間がそうと分かりながらも手ぶくろをあげる優しいストーリーが好きだったのもあるけど、「手ぶくろを買いに」をテーマにした国語の授業中に担任の先生にすごく褒められたのもあると思う。今となってはどんな意見を言って褒められたのかは覚えていないのだが、引っ込み思案で出来が悪かった子どもの頃(今でもだが)、褒められたことなど滅多になかったから大人になった今でも覚えているのだと思う。

私は子どもの頃大人が怖かったように思う。大人が何を考えているか分からず怖かったし、時々見かける大人の悪意にも恐怖を覚えていて、大人に心をあまり開かない可愛げのない子どもだった。

自分が大人になった今、周りの知人友人を思いつつ、信頼出来る大人もたくさんいるよ、と当時の私に言いに行きたい。

まだ検討している段階だが、私はカフェでみたらし団子を焼こうと思っている。「おばちゃん、今日さあこんなことがあってさあ,,」と学校帰りの子どもがお団子を買いに来てくれるような店が理想だ。

例えば、店でお団子券を発行して、経済的に余裕のある大人がお団子券を買ってくれて、週末そのお団子券を楽しみに子供が貰いに来るようなシステムはどうだろうかと考えている。地域に育てられたという温かい感覚って子供の成長に優しいエッセンスを加えてくれると思う。そしていつかまた大人になった時に、今度は自分が社会に小さな貢献をしようと思う優しさの連鎖が広がると幸せだと思う。