1942年(昭和17年)4月上旬、日本軍がインド洋で実施したセイロン沖海戦と、ベンガル湾通商破壊作戦の参加部隊・参加艦艇を艦娘で再現します。実装されていない艦娘は、駆逐艦「朝霧」「夕霧」「汐風」、潜水艦、とタンカーだけという、充実したメンバーです。不在艦は、映画『パリは燃えているか』でアメリカ陸軍のM24チャーフィー軽戦車が、ドイツ軍のパンター戦車を演じた心意気で代替します。

 

第二艦隊司令長官の近藤信竹中将と、南雲忠一中将や小沢治三郎中将では、近藤中将の方が上司です。また南雲中将と小沢中将では、先任順的に、南雲中将の方が立場が上です。では近藤中将の南方部隊から。高雄型重巡洋艦4隻の第四戦隊は、「鳥海」が小沢中将の元に派遣され、「高雄」と「摩耶」が修理のため日本本土に戻ってしまったので、「愛宕」しか残っていません。

 

セイロン島東方のベンガル湾で通商破壊作戦をおこなったのが、小沢中将(第一南遣艦隊司令長官)のマレー部隊です。マレー沖海戦の時は少将だった栗田健一提督が、昇進して中将になっています。ただ小沢中将と栗田中将では、小沢中将の方が断然立場が上です。警戒隊(第三水雷戦隊)は留守部隊だったので、戦果はありませんでした。

 

 

セイロン島を空襲し、イギリス東洋艦隊との対決を夢見たのが「南雲機動部隊」です。この作戦では近藤中将の部下という立場なので、南方部隊機動部隊と呼ばれています。貫禄ある南雲機動部隊旗艦「赤城」。なお一航戦の「加賀」は、座礁で艦底が傷ついていたので、修理のために日本に戻っています。

 

「阿武隈」の黄色い声が聞こえてきそうですが、アメリカ軍の空母機動部隊と比較すると、護衛の巡洋艦と駆逐艦が非常に少ないです。しかし1942年4月の時点で、これが精一杯用意できる戦力でした。