キャプテンの鶴の一声で、成田に向けてフライトの準備が始まりました。
成田に近くなったら、相当な揺れが起こる事態に備えて、2回目の食事提供を通常より大幅に早く終わらせ、あとはひたすら着席し、成田に向けて飛んで行きました。
そして案の定、成田は台風真っ只中
近づくにつれて、それはそれは恐ろしく揺れました
成田に着陸不可能であれば、あらかじめ代替飛行場はいくつが候補があります。
ただ、キャプテンはそれでもどうしても成田に帰りたい一心で、ギリギリまで成田に向かう事をやめませんでしたもーやめて、お願い
同じ時間帯に飛んでる飛行機も、どれも成田には降りられないと早々に判断し、関空や福岡(国際線もある空港)に着陸を変更しています。
最後まで粘った結果、やっぱり成田には降りられず、そりゃそーなのです。しかも代替飛行場が空いている所がなく、唯一受け入れた所がなんと新千歳空港…
行き先を千歳に変更し、新千歳空港に着陸しました。
その時、本来なら成田に着いていた時間からすでに約3時間も遅れております
しかも、新千歳空港は国際空港ではないので、国際線の乗客は空港に降ろせないと言われ、スポットにも着けず、沖止め。今は分かりませんが、当時は絶対に降機の許可がおりませんでした。入国審査諸々が出来ないという関係からか…
乗客の方々もそうですが、私らも勿論降りられません。機内に閉じ込められたままです。
当時は携帯電話の使用もとても厳しく、もちろんWi-Fiとかもなく、キャプテンの許可がなければ使用できません。
ただ、乗客の方々は色んなところに連絡したいですよね。乗った飛行機がまさか千歳に降りてるなんて、しかも帰れるかも分からないし
なので、キャプテンの許可がおりて、携帯の使用ができるようになりました。
皆さん一斉に電話かけまくってました。
〜つづく〜