今日も一日、なんとか無事に過ごせました。

出勤でバスを待っている間、ふと兄の事を思い出しました。

もう20年近くたったのかな。

兄は、自ら除籍しました。
父親との長年に渡る確執から逃れる為でした。


『俺は、このまま父親が死んでも後悔はしないし、葬式にも行かないから。』


そう言ってました。


昔から父と兄の関係は、妹の私から見ても辛いものでした。

優しいけどいじめられっ子だった兄に、父は『男らしさ』を強要しました。

キャッチボールを無理矢理させたり、剣道や水泳も習わされたり。運動が嫌いな兄にとっては、やりたくない事ばかりでした。

でも、『嫌だ』という意思表示は、絶対に出来ませんでした。父が怖い、それが全てでした。


車が大好きだった兄は、プラモデルをよく作っていました。一度見た車のナンバーは全て記憶するくらい、車が大好きでした。


でも、勉強をしないことに腹を立てた父が、兄の目の前でプラモデルを全て叩き割りました。

兄は泣きながら、何も言わずにただそれを見つめているだけでした。

私は小さいながらもその光景を目の当たりにして、『そこまでするなんてひどい…』と思ったのを今でも覚えています。


これは小学生までの話。それからも、成長するにつれ、父の厳しさはどんどん増していきました。

私から見ても、兄は常に父の顔色をうかがって、ビクビクしているのが分かりました。

お箸を落としただけで、瞬時に兄は父の顔を見るぐらい、怯えて見えました。


就職した会社も、父は認めませんでした。

会社の寮に入ってからは、休みに帰省してましたが、時が経つにつれ、あまり帰ってこなくなりました。


付き合っていた彼女と結婚することになり、彼女を両親に紹介するにあたって、事前に出会ったいきさつを話した際、会わずして結婚に反対され、彼女の人格を否定するような事を言われました。


『会ってもいないのに、どうしてそんな事が言えるんだ!いい加減にしてくれ!もういい!』


兄は結婚と同時に除籍をし、親子関係を消しました。


全てを書き出したら途方にくれるくらい、もっとたくさんありました。父だけが悪者に見えますが、兄にもまた、色々と問題がありました。

ただ、そうなった原因は全て、父の教育方針と兄の性格が全く合っていなかった、これに尽きると思います。


兄は、たまにですが私や母とは今も連絡を取り合っています。

ちょっと前、約1年ぶりくらいに電話で話をしましたが、『俺が出て行ったせいで、お前にはそのしわ寄せが行っちゃったよな…』って言ってました。


確かに、私がまだ実家にいる時、兄が絶縁したことで、私が母とどんなに険悪な関係になろうとも、両親の夫婦喧嘩に発狂しそうになっても、『私まで出て行けないな…』と、逃げることが出来ませんでした。


でも、兄が自ら選択して、自分で行動を起こせたことで、兄が幸せになってくれたらいい、そう思ってます。


多分、兄の人生の中で、初めて自分の意志を貫けた部分なんじゃないかな、と思います。それが【除籍】という最悪な選択でも。


今回の電話で、初めて知ったことがありました。

それはだいぶ前、父が兄に謝ってきたということです。

兄は『なんで謝ろうと思ったの?』と父に聞きましま。

すると父は『さみしいから。』と答えたそうです。


それを聞いた兄は、『あ、やっぱり無理だ』と思ったそうです。

理由は、『自分がさみしいのが嫌だから謝った、自分の気持ちが大事、要は、俺に対して申し訳ないって思ってないんだわ』ということです。


これを聞いて、とても、切なくなりました。


家族だから、血がつながってるから、仲良くなきゃいけないわけではありません。

でも、父も兄も、出来ればこんな形で終わることは望んでなかったと思います。


悲しいし、苦しい。