人が存在することを
否定するようなロジックが
まかりとおる世界に対して
マリア様のお姿を示し
倣うことを教えてくださいます
司教の日記より
抜粋
・・・
平和の元后である聖母マリアは
天使のお告げを受けたときに
「お言葉通りにこの身になりますように」と
全身全霊をささげて神の計画の実現のために
生きることを宣言されました
教会が模範とするべき
聖母マリアの根本的な生きる姿勢は
福音に記されているこの聖母マリアの讃歌に
明らかに示されています
エリザベトを訪問したときに
高らかに歌い上げたこの讃歌には
「主はその腕で力を振るい、思い上がるものを打ち散らし、権力あるものをその座から引き下ろし、身分の低いものを高く上げ、飢えた人を良いもので満たし、富めるものを空腹のまま追い返されます」 と記されています
神の意志が実現する
すなわち平和の実現とはいかなる状態なのかが
そこに明示されています
そこでは、この世界の常識が全く覆され
多くの人から見捨てられ、忘れられ、いらないものとして排除され、社会の中心から追われて周辺部に追いやられた人にこそ、神の目が注がれ
いつくしみが豊かに向けられていることが
記されています
聖母マリアがその人生のすべてをかけて
その身に引き受けた主の招きとは
人類の救いの歴史にとって最も重要な
救い主の母となるという役割でありました
その選びを謙虚さのうちに受け止め
おごり高ぶることもなく
かえって忘れられた人たちへの
いつくしみに満ちた配慮と思いやりを
この讃歌は高らかに歌っています
また神がどこに
人間の価値を見いだすのかについて
「身分の低い、この主のはしためにも
目を留めてくださった」と歌うことで明示します
それは人間の常識が価値があるとみなす量りではなく人間が価値を見いださない存在のうちにこそ
神は価値を見いだすのだと宣言します
エリザベトは
「神の祝福は、神のことばが実現すると
信じるものに与えられる」と宣言します
神の意志が実現すること
神の秩序が実現すること
つまり神のことばが実現することこそが
神がよしとされる状態であり
それが神の平和の実現であります
弱い存在や異質な存在を排除するところに
平和は実現しません
自分の利益のために
他者を犠牲にしても構わないと判断するところに
真の平和は存在しません
自分の存在を守るために
誰かが犠牲になるのはやむを得ないと
考えるところに、神の平和は実現しません
いまもまた、わたしたち人類は
様々な理由を見つけては自らの行動を正当化し
ガザで多くのいのちに暴力的に襲いかかり
ウクライナでの戦争は終わりが見えず
米国が主導しイスラエルと一緒になったイランとの戦争は終わったのかどうかも定かではなく
どれほど多くのいのちが暴力的に奪われても
世界はそれを止めるすべを持ちません
それどころか、一部のリーダーたちの好戦的な
発言や行動に対し褒め称えるかのような
喝采の声すら上がっています
その喝采の陰に
どれだけの人が子供や親や親しい人を
暴力的に奪われて嘆き悲しんでいることでしょう
戦地で親しい人を奪われて嘆き悲しむ姿を
ニュースなどで目にすることがあります
それをどこかの誰かの悲劇に留めず
その悲しみをわたし達自身の心に
刻み込みたいと思います
・・・
2026年5月30日の夕刻
バチカン庭園で行った
平和のためのロザリオの集いで
教皇レオ14世はこう述べられました
「マリアと共にロザリオの神秘を観想することは
御父が語られた唯一の決定的なことば
悔い改めの心をもって御父に立ち帰る
すべての者にとっての平和のことばを
イエス・キリストのうちに見いだすように
わたしたちを導きます」
いのちに対する暴力がはびこる世界の現実を
目の当たりにし、またその暴力を肯定し
暴力の源である兵器を増強しようとする
社会の風潮の中にあって
十字架上のイエスのもとに悲しみのうちに
たたずまれたあの日のように
聖母は今日もわたしたちが生きる道筋を
示そうとされています
栄光のうちに天にあげられた
聖母マリアの御心をおもい
その取り次ぎに信頼しながら
全被造界が神の望まれる状態となるよう
神の言葉が実現し、その秩序が確立され
神の平和が実現するように
聖母マリアと共に歩んで参りましょう


