状況の美〈お扇子〉 | Jewel in the Lotus

2007年頃のブログ
〈ブレス•オブ•ラヴ〉

その一部をコピーして
束ねたファイルを開き
読み返している

また少し
 移しておこうかな

・・・

状況の美〈お扇子〉

外出先では
扇子が手放せない毎日

最近、素敵な扇子が
たくさん売られていますね


私は扇子が好きなので
何本か使い分けて楽しんでいます

私の扇子好きは祖母の影響によるもの

子どもの頃、祖母が扇子を広げる瞬間を
息を呑むように眺めていました

はらはらと花がほどけるように広がる様子
ほのかに立ち上る香の匂い
扇子を扱うしなやかな手の動き

その一連の動作が紡ぎ出す涼感

時間の流れが変わるような
その瞬間が好きでした

初めて扇子を手にしたのは
祖母の扇子をこっそりとひろげてみた時

その時、開き方を誤り
破いてしまいました

外国の方が初めて扇子を
手にした時と同じですね

丁寧に扱わなければ 
破れてしまう、折れてしまう

そんな繊細さと日本的情感溢れるお扇子を
とても魅力的に感じます

先日新聞で
「状況の美を愛する日本人」という
記事を読みました

『西洋の美は客観的な実体としての美で
日本の美は関係性や状況の美である

例えば、ミロのヴィーナスは
ギリシャで発見され
現在はルーブルに展示されているが
これは砂漠にあっても北極にあっても美しい
それが西洋の美意識

日本の場合はそうではない

「古池や蛙飛びこむ水の音」の句の
古池や蛙が美しいと言っているのではなく

古池に蛙が飛び込んだ状況が
一つの世界をつくるという感覚です

従って、状況が消えれば、美も消える
こうした儚さも
日本の美のひとつの基準になっています』

(読売新聞 8月15日

高階秀爾さんのお話しより)

 
・・・

日本的教養に裏打ちされた感性
それを持ち得てこそ味わえる情感

いま手元にある祖母の形見のお扇子から
変わらず優雅な香りが立ち上っています

2007年8月20日
 

ちなみに前日の記事
タイトルは 
「 がんばれ、欽ちゃん!」 
おそらく24tvのマラソンで
家の近くを走られたから😉