6/22の
“笑うイエス”の投稿に
「司祭の大きな御聖体をもって
受け入れて下さった日を思い出した」
と書きましたが...
はからずも
今回もその時と同じ教会でした
2019年までの約9年間
教会から離れていた
(EasterとChristmasは行っていましたが
最後はChristmasさえ行かない状態)
もう教会に籍はないかも...
もう戻れないかもと思いながら
恐る恐る足を踏み入れたその教会の
クリスマスミサで
司祭の大きな御聖体をもって
私の帰りを受け入れて下さいました
放蕩息子のたとえそのものの
イエス様の愛に触れ
回心へと
大きく舵を切ることになる
恵みへと変えられました
・・・
それは命が新たにされ
癒されていくような感覚
イエス様が私の命に再び
直接触れてくださったような
自分自身とも和解できたような
ゆるし、ゆるされるような
癒されるとは...
根源的な癒しとは...
再生とか変容とか復活とか
そのようなことかもしれないと
この体験から思います
・・・
この話しをここに書くことは
自分はこんなに神様から愛されている
とアピールしているようで💦
...全く謙遜さに欠く
自分自身の未熟さを思いますが
私がこれを証しすることで
(この話しをシェアしたことで)
要理のクラスに参加するか
迷っていた方が
「迷っていても仕方ないので
いまから教会を訪ねてみます」
と仰って下ったことがありました
(後に洗礼を受けられました)
それが誰かの救いになるのであれば
分かち合うことも時には必要かなって...
かえって
内に秘めておくのは
傲慢なようにも思えて
私の至らなさを用いて
お恵みに変えてくださったことを
素直に感謝し
シェアしたいと思います
分かち合っていただき
ありがとうございます✨

