私がまどろみの中で何やら会話している声が聞こえて来て、ぼんやりと眠りから覚めてくると真っ暗な部屋で、彼女はベッドから起き上がり誰かと電話で会話をしていた。


深夜の静寂とした闇の中で彼女が携帯で話している相手の男の声が漏れ聞こえてくる。


何やら怒鳴っている男の声に彼女は私を起こさない様に小さな声で話してはいるが、口調は私が今まで聞いた事のない酷く強いものだった。


私が目を覚ましている事に気づいた彼女は、電話口で大声をあげ続けている男との電話を強引に切ると「不好意思、太吵了呢(ごめんなさい、うるさ過ぎたね)」と如何にも申し訳無さそうな顔をしている。


それから彼女は電話の相手が父親であり深夜に何故電話を掛けて来たのかを話し始めた。


自分の母親が大変な時に嫁入り前の娘が、よりにもよって日本人と真夜中まで一緒にいるとはどういう事なのかと。


彼女が言うのには彼女の父親は日本人を酷く憎んでいるらしい事、日本人と結婚するなどもっての外でもしそんな事にでもなるのならお前とその男を殺して自分も死ぬと。




あの当時私は日中間の歴史など全く興味も無く知る由もなかったのだが、日中戦争の引き金となった1937年7月7日の盧溝橋事件から始まった南京攻略までの道筋で、彼女の故郷であるここ無錫も日本軍の蹂躙を受け、日本軍によって彼女の父親の両親が無惨にも殺されたそうだ。孤児になった彼女の父親はその後大変な苦労を強いられ両親を殺された憎しみと生活苦で心底日本人を憎んで生きて来たらしい。


だから唯一結婚に賛成だった母親が健在なうちに私を両親に合わせて、彼女の父親にとってはかけがえの無い存在の妻、つまり彼女の母親の説得によって結婚を認めさせようとしたらしい。



しかし母親がこんな状態になってしまった今となってはそれも叶わぬ事。


私と彼女はその後一睡も出来ずにベッドの中でただお互いがお互いを抱きしめ合う事しか出来なかったのである。