門あさ美ファンから総スカンを食う様な記事になるが、もしかしたら門あさ美は作詞作曲は疎か歌さえ歌っていないのではないのか。


最近になってこのシンガーソングライターの存在を知ってあっという間にその魅力の虜となりアルバムもコンプリートではないがほぼ買い揃えて聴いた。


YouTubeの門あさ美のテレビ出演時の映像もかなり観た。


そこで導き出された仮説は前述した様な事なのだ。


先ず何故そんな風に感じたのか、彼女が作詞作曲もしていないし歌も歌っていないなどと極めて無礼な仮説を立てたのかというと、彼女の出演したテレビ番組のYouTubeを見ても全て口パクで一度も生歌を歌っている場面がない事。


それから彼女は活動期間中一度もライブを開いていない事。


誰一人として彼女が目の前で歌っている姿を目撃したものがいない事。


初期から後期にかけてボーカルスタイルが大きく変貌した事。もしかしたら幸宏さんプロデュースの後期二作のウィスパーボイスについては唯一本人が歌っているのかもしれない。勿論それについては確証が無いのだが。


作詞についてはうら若き女性がこんなあからさまな確信犯的なエロい歌詞を書くのだろうか。


作曲についても、もし彼女がクリエイターだったとしたなら1988年のラストアルバムを最後に全ての音楽活動を停止してしまう事に大いなる疑問が残る。


仮にもアーティストというものいつの日か自らの表現欲求が溢れ出し38年もの間、全てのアーティスト活動を止めてしまうとは考え難いからだ。


2019年、伊藤蘭のアルバムに提供した曲についても一体いつの時代に書かれたものなのかの情報も一切無い始末。


以上の事から、もしかしたらニューミュージック・シーンに於いて誰かが作り出した架空のシンガーソングライターだったのではないのかという事。


それはまるでモンキーズやベイ・シティ・ローラーズとかセックス・ピストルズやフラキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの様に。





ただ誤解のない様に願いたいのは僕はこれらのバンドが全て好きだという事。それが仮に誰かの思惑で出来上がった紛い物だとしても作品として出て来た時点でそれが音楽的に魅力的なら作り物のインチキなアーティストであろうが最早どうでも良い。


そもそもポップ・ミュージックに於いて重要なのは芸術性より大衆性が如何に高いか、どれだけ多くの人間を魅了するかなのだから。


そういう意味に於いて僕は門あさ美というプラスティックなアーティストが大好きなのだ。例え僕の仮説が正しかったとしても門あさ美の価値は1ミリも下がる事は無いし,相変わらず極めて魅力的なアーティストに変わりはないのである。


勿論僕の仮説がとんでもないピンぼけで、門あさ美がセンスの良い曲を生み出す素晴らしいシンガーソングライターだという可能性も十分に有り得るのだが。


いずれにしてもいまだに実に神秘的で魅惑のアーティストに変わりはない。


つまりこれからも門あさ美という不世出のアーティストにドップリハマる日々は続くのである。