もしも出てきたサラダが水浸しだったら?
ファミリーレストランでの
できごとです
サラダとドリンクバーを頼んで待っていると
かわいいにゃんこロボットが
サラダを運んできてくれました
まずはブロッコリーからパクッ
・・・
すごい水っぽいなぁ
でも冷凍もののブロッコリーだと
こういうこともあるか、と
食べ進めていくと
何から何まで水っぽい
ハッキリ言っておいしくない
お皿を傾けてみると
水たまりができた~
さすがにこれはひどいのでは?
ここから私の脳内会議のはじまりはじまり~
「サラダがまずいって初めての経験だわ」
「どうやったらこんなに水浸しになるの?」
「取り替えてもらおうかな」
「いやでも、あまり時間もないし」
「たかだか450円のサラダだから、しかたないのかな」
「いやいや450円って、なかなかの金額じゃない?」
「でもこれを取り換えてもらったら、お店の利益なくなっちゃう?」
「もう要らないから、注文取消してもらおうかな」
「そうするとドリンクバーが単品になっちゃって500円はバカらしい・・・」
次から次へと
いろんなささやきが頭の中を駆け巡って
水浸しのサラダをじっとながめながら
しばらく脳内会議をしたんだけどね
私が出した結論は
やっぱり
取り替えてもらおう!
店員さんに
すみません
サラダのお水が切れていなくて・・・
と言ったらすぐに
申し訳ありません
お取替えしますね!と
新しいものを持ってきてくれました
新しいサラダには
水は一滴もついていなかったよ
やればできるんじゃん
すぐに対応してくださったことに
感謝しつつ
おいしくいただいて
とても嬉しく、満たされた気持ちになりました
小さな望みを叶えてあげる
もしもあの時
そのまま水浸しのサラダを食べ続けたり
途中で残していたら・・・
サラダがおいしくなかったという
残念な気持ちや
ちゃんとしたものを提供してくれなかったお店への
不満、が残っていたと思う
そして何より
おいしくサラダを食べたかった、という
想いを無視して
ないがしろにしてしまっていた
それは本当にささいな事のように
思えるけれど
こうやって「私」を押し込めて
それが積み重なっていくと
自己肯定感はダダ下がり
被害者意識も生み出してしまうもの
人生に大きな影響を
及ぼしてしまうから
こういったささいな事と思えるようなことも
ないがしろには
しないほうがいいんだよね
喜びと感謝で人生を満たしていこう
今回
やっぱり取り替えてもらおう
という選択をできたことで
おいしいサラダを食べられた!という
喜び・幸福感
気持ちよく対応してくれた
お店への感謝
そして自分で自分の望みを
叶えてあげられたことへの
喜びや充足感
軽やかで前向きで
明るいエネルギーが
自分の中に広がって
そして自分から外の世界にも
広がっていくのを感じました
喜びと感謝で自分を満たすと
自分が幸せになるのはもちろん
自分の周りを取り巻く世界にも
幸せがひろがっていく、を実感しちゃった
だからね
決めました
喜びと感謝で
人生を満たしていこうって
ここまで読んでくれたあなたの人生も
喜びと感謝で満たされていますように🌈