2010-11シーズンはダンカン率いるスパーズはウェスタンカン-ファレンスを首位で突破。だがプレイオフ初戦でザック-ランドルフとパウ-ガソルの弟のマーク-ガソル率いる第8シードのメンフィス-グリズリーズと対戦。グリスリーズは徹底的にダンカンにマークしてインサイドを制圧し、4勝2敗でチーム史上初のプレイオフで勝利をあげた。第1シードのチームが第8シードのチームに負けることは珍しくファーストラウンドが7試合制になった以降としては史上2回目の出来事だった。
エアジョーダン (エアジョーダン6 )表歴[編集]
ダンカンは1998年のバスケットボール世界選手権のアメリカ代表に選ばれたが、この時はロックアウトの影響でNBA選手の代表入りは見送られ、大学生選手やCBAの選手と入れ替わっている。ダンカンが初めて代表チームに参加したのは1999年のオリンピック予選を兼ねたバスケットボールアメリカ選手権であり、彼は大会平均12.7得点9.1リバウンド2.4ブロックの成績でチームを優勝に導いた。しかし本番のシドニーオリンピックは膝の故障で参加できなかった。2003年のアメリカ選手権でも代表入りし、平均15.6得点8.0リバウンドを記録して優勝。満を持してアテネオリンピックに出場するも、アメリカ代表は期待を裏切ってダンカンのチームメートであるマヌ-ジノビリがいるアルゼンチン代表に敗北するなど同大会で3敗を喫し、銅メダルに終わった。アメリカ代表がオリンピックにNBA選手を送り出すようになって以来、金メダルを獲得できなかったのは初めてのことだった。ダンカンはオリンピック終了後、代表から引退することを表明。ダンカンは代表に5回参加し、40の国際試合に出場した。