そろそろ単衣の準備をしておくべし、と空から言われているような東京です。
GWには25度に届く予報も出ていますし、お洒落着であれば単衣でしょうねえ。
以前GWに、暑いかな?と思いつつも袷の紬で出掛けて、ちょっと後悔したことがあるので、それ以降は無理しないようにしています。
昔は気にしていましたが、今は涼しければ普通に袷。夏日になりそうなくらい暑ければ単衣で、何か一枚羽織ものを持って出れば良く。
グレイヘアの、おそらく傍目には60代後半に見られているであろうアラカンに、わざわざ物申す着物警察もいないだろうし。こうなると気楽なものです、ホント。
そんなこんなで、春も秋も短い昨今。
何度か書いているように、再びキモノを着始めたのはH23(2011)年、40代半ば。
そこから数年は昭和に比べると暑いながらも、平成後期からのここ何年かよりはずっとマシで、多少のズレはあったものの、余り戸惑わずに着られて助かりました。
とはいえ、そのまま着られる着物は少なかったので、直しやら何やらで呉服屋さんへ向かわねばならず。
近くにある歩いて行ける呉服店は、売られている着物もお手入れ代も物凄く高かったので、ネットで見つけた電車で幾つか先の駅の呉服屋さんに飛び込みました。
しかしながらそこは、お手入れ代は安かったけれど、あれやこれや次々と勧められることに閉口し、足が遠のきました。展示会にも行ったんですけどね。
振り返って思うに、担当した店員さんが悪かった気がします。売らんかな・買わせんかなが強すぎて。(他の人はそうでもない)
気の強い人や芯から買わないと決めている人なら、勧められようが巻き巻きされようが、構うことなく断れると思うのですが、当時の私は更年期の不調に加え、家庭の事情やら何やら様々な要因により、自己決定力は著しく低下。極めて優柔不断。
断る気力が湧き出ないゆえ、つまり断るのが面倒で購入したものも多いという有様。それでも、近所の呉服店よりは安く済んだのは分かっていますし、品物自体は良いものなので納得はしてます。
(近くの呉服店は、ちょっとした知人なもので、お高いのを聞かされてる)
売らんかなにうんざり気味だったけれど、同じものが他より安いし…と通って数年。ここを使うのは基本的によそうと決心したのは、随分後のこと。
着始めて少し慣れてきた頃「羽織にしたいけれど、この小紋はどうかしら?」と、持って行って相談し、仕立てて受け取って家で羽織って見て間を置いてから。
相談した際、一緒に見てくれた年配の店員さんは「うーん」だったのですが、担当さんは「大丈夫でしょう、合いますよ」とのこと。
特に迷わず仕立てようと決めたものは、そのまま普通に頼んでいるので、自分でも「どうかなあ?…どうなのかなあ?」と、何かが曖昧に引っかかっての相談ですから、専門家の意見に流されてしまうんですね。
「大丈夫ですかね?」みたいな、何がどうなのかハッキリしない相談には、年配の店員さんも「うーん」止まり。そりゃ仕様がなく。
私がどこに引っ掛かっていたのか、そして何がどう大丈夫だと言うのか、そういったことを明らかにしてくれたわけではありませんから、決定自体もあやふや。
…そういう時、焦って決めちゃダメなんですよね。そもそも「どうにかしよう」「どうにかしたい」と思うのもいけない。甚だ危険。失敗が待っている。
と、ひと頃より落ち着いた今なら俯瞰できるんですが、当時は自分がおかしいこと自体、分かっていないのでどうしようもないという。
仕上がって来てから、あー、やっぱり止めておけば良かった…と正直、思いました。が、後の祭り。これはもう自損事故のようなもので、自己責任の極み。
それからずっと寝かせたまま、一度も陽の目を見ず。
早い話がこの綸子の生地は羽織に向いてない、ゆえに幾ら合わせても合わないってだけのことなんですよ。たぶん年配の店員さんは分かっていたんだろうなあ。。
久しぶりに出して、写真を撮りました。(カビておらず元気でしたよ)
絵羽のように繋げてくれていて、和裁士さんの技術は素晴らしい。感謝。
アラカンでの、シニアに向けて見直しキャンペーン?みたいなもんなんですが。
40代半ばと、もうすぐ還暦って、想像してた以上に違うものでね。
着物も、岩手の実家も東京のマンションも、どれもこれも娘と息子に負担が掛かるのは明らか。それゆえ、迷惑事項はなるべく減らしたく。
私が袖を通さない・通せないものには、それなりに理由がある(この場合は生地が羽織という形に合っていない)のだから、どう考えたって娘も着ないわけで。
一呼吸おいて(何年も経って)、冷静になりました。
羽織っては戻し羽織っては戻しで、一回も外に着て行ったことは無いため、勿体ないとぐずぐずしていましたが、解こうと思います。当たり前。。
帯にするのか、それとも長襦袢かは、まだ決めていません。
解いて洗ってそのまま、という可能性も無きにしも非ず。(苦笑)
要はサンクコスト…なんですよねえ。英語表記はsunk cost。
サンクコスト(埋没費用)とは、過去に払ってしまい、もはや取り戻すことができない費用のこと。したがって将来に関する意思決定をする場合、サンクコストは考慮に入れず、今後の損益をだけを考えるのが合理的な判断です。
しかし、将来にわたって金銭的・精神的・時間的な投資をしつづけることが損失になることが明らかであっても、それまでの投資によって失った費用や労力を惜しみ、投資を継続することがあります。これがサンクコスト効果です。
サンクコストの呪い、着物に限らず、どんなものにも強く掛かってます。
そこからの脱却って、執着を剥がすこと同様、かなり難しく。
とりあえず一枚ケジメをつけることで、先に進めたらと思っています。
先は長いようで短く、短いようで長いそうですから。
こんなアラカンブログ、若い人や着始めたばかりの人は見ないだろうと諦めつつも、羽織の仕立て替えの失敗、どなたか一人にでも参考になれば良いんだけどなあ~と思って書いてます。ヤフオクの失敗なんて目じゃないくらい、本当に無駄なので。
丸洗いしたいものも結構あるため、それこそ費用の問題により、決めたのは今年でも洗い張りは来年になりそうなんですけどね。いやはや。
決意しても意気揚々とはいかず、出るのは溜息と乾いた笑いのみ。
私のような失敗は少ないかと思いますが、皆さま、気を付けましょうねえ。
お読みいただき、ありがとうございます。