東京でも桜が開花しました。

 

暖冬だったので、何年か前のように3月には咲き終わってしまうかと思っておりましたら、春は寒くて足踏み。

 

今からですので、見頃は4月上旬。バッチリ入学式ですね~。嬉しいなあ。

 

孫はいませんし(子供は結婚しておらず、そういう気配もない)、親戚や友達の子が入園・入園するわけでもないのに、とっても嬉しくて。

 

せっかくの祝いの日、桜が華やぎを添えてくれるに越したことはありませんもの。

 

 

ついでに、着物で参列する若いお母さんが増えてくれないかなぁ~、この際おばあちゃんでも良いわ~、なんて着物業界勤務のようなことを考えてます。(苦笑)

 

私自身は、息子と娘の入園・入学時には、とてもじゃないけどそんな余裕なくて、最後の最後、娘の大学卒業式でようやく着られました。

 

当時はどうにも仕様がなかったのですが、せっかくの機会に勿体なかったと、今更ながら振り返って思ってます。そういう後悔も着物好きなればこそ、ですかね。

 

私の着物復活は40代半ばでした。入卒時の30代40代お母さんだけではなく、付き添いの50代60代おばあちゃんの着物デビューも、あって良いのになぁと思います。

 

入卒ではなく、その前の七五三でも良いですよね。家族写真を何通りか撮る形で。

 

もっと前、生まれてすぐのお宮参りとか。まだ母親は体がつらい時期。本来のしきたりでは父方の祖母が抱っこするんですが、まあ今では余程の家柄でない限り拘らないでしょうから、近ければ呼んで、双方の祖母が代わる代わる抱っこでしょうね。

 

良い記念になりますよね~。お勧めです~。と、勝手に妄想してます。

 

キモノ着る50代、ネットでは見掛けても、実際に目にすることは少なくて。

 

それでも、お正月や、春秋のお茶会シーズンや、夏の花火大会では、着物や浴衣を見ますから、潜在的な着物需要はあるんですよね。増えて欲しいです、ホント。

 

 

 

私の着物始めは家族です。真夏以外はキモノを着ていた明治生まれの祖母。ずっと昔ながらの寝間着で寝ていた祖父。家でくつろぐ時は浴衣だった父。

 

着物で暮らすのは当たり前のことでした。

 

小学生までは、寝込んだ際にはキモノを着せられて病院に連れて行かれました。皆さまと同じく、お正月にはウールのアンサンブルでしたし。

 

母も着物好きで、それなりに揃えていたことも大きかったです。母の結婚後に叔母が縫ったウールの着物もあるのが微笑ましく。母は華道の免状を持っており、お正月には着物で活けていたそう。母が若い頃の着物、可愛いです。

 

母が50代後半から60代半ば過ぎ辺り、地区の婦人会で着付けの先生を招いての着付け教室を催していた時期があり、父が癌になる前まで数年間、通っていました。

 

母のシルックの着物は、その時に誂えたもの。私には当然小さいけれど、母が若かった当時の着物に比べればずっと着やすい寸法なので、便利に着ています。

 

まだ着物が身近だった昭和。キモノを着ることに全く抵抗がなかったのは、今思えば幸せなことでした。

 

 

と、例えばで自分のことを挙げましたが、こういったバックボーンがなければ、なかなか着物の世界に入って来るのは難しいみたいですね。

 

一歩までが遠かったり、考え過ぎてしまったり、壁を高く感じたり…etc。

「着物警察」と呼ばれる方々の存在も、初心者にとっては恐怖に違いなく。

 

 

「着物の国のはてな」

片野ゆか著 集英社刊 2020年9月発行

 

図書館で見掛けたこの本を読んで、自分はたまたますぐ着られる環境におり、さほど周りの目を怖がらなくても済む程度には、知識を与えられていたと分かりました。

 

この著者、凄いんですよ。ほぼ同年代の1966年生まれで、着付けを習って着物デビューしたのが2019年、つまり53歳。

 

お友達の影響もあるけれど、洋服限定のワードローブに飽きてきて、着物をサラッと着られたらカッコイイと思いついたそうで。

 

50代になってからの着物ですから、若い子とは一風違った切り取り方もしてます。

 

その一つが、衿合わせについて。

私、右前なんて当たり前すぎて、疑問に思ったことなんかありませんでした。着付けルールを色々紐解いていくうちに、そもそもどうして右前に?という流れ。

 

結論のみ書きますと、奈良時代の719年に、衿合わせを男女ともに右前にするよう定められました。

 

「日本書紀」に次ぐ、我が国二番目の国家編纂による公式な歴史書「続日本紀」(しょくにほんぎ)に書かれています。

 

元々は特にきまりはなく右前でも左前でも構わなかったのを、中国の習慣を取り入れて右前に決めたそうで。

 

「日本が国というものを強く意識すると同時に、先進国の人々に軽く見られないためなど、外交上の目的も大きかったのだろう。」と書いてます。

 

やってること、明治維新後も戦後も同じですもんね。ま、そういうものかと。

 

ちなみに、752年に東大寺大仏開眼供養が行われた際の礼服が正倉院に保存されており、その中に左前のものがあるそう。国家の一大イベントでもその通りなのだから、発布されたものの数十年は、右前と左前の混用が続いていた様子。

 

衿合わせというものは習慣のため、浸透に時間が掛かるという。何とも人間らしい話です。普段に着るものですもんね。

 

ちなみに、をもう一つ。上記のことを教えてくれた清水先生(明治大学教授)によると、北海道アイヌの人々も、幕末から本土の影響で左前から右前に。

 

琉球国は暑いので、傷みや汚れが目立たないよう、明治以降も長らく右前と左前を交互に着ていたそう。合理的。王家はともかく庶民の普段着はそうよねえ。

 

 

 

私、以前に一度、左前で浴衣を着ている若い女の子を見掛けたことがあります。九段にある有名な神社で。あれって、見つけたこちらの方がドキドキするんですよ。

 

教えてあげるべきかどうか迷ったのですが、声はかけませんでした。見るからにデート中で楽しそうだったのに、水を差すのもナンだと思ったのが一つ。教えたところで、すぐ直せるわけじゃ無し。周りを見回して、後から自分で気付くかな?と。

 

衿合わせを間違えてるくらいですから、頑張って自分で着たのでしょう。当時(2013年辺り)はまだ、youtubeでの着付け動画は広まっていません。本か雑誌を見て着たため反対になったのか、もしくは洋服と同じと思い込んでしまったのか。

 

次に着る時は間違えないでね、と祈るような気持ちで見送りましたが(神社だったし)、昼間でしたから、その後どなたかに注意されたかもしれませんね。

 

もしそうなら、(左前の注意は紛れもなく親切心からだと思うんですけど、それでも)戸惑ったでしょうねえ。。

 

 

その時のことがあるので、着物の国に於いて、言語化されたもの、されてないけど感じとるもの等、有象無象の様々なルールが存在しますが、最古のルール「右前」だけ守っていれば、後は多少変でも間違っていても何とかなるかな?と思ってます。
 

 

 

さて、50代になってからキモノを着始めた著者。

 

賢いのは、難しい礼装系はパスと決めたこと。無礼・失礼になるのを避ける点でも、それはそれでアリよね!と膝を打ちました。

 

着る本人は頭を使い気を遣いお金を使っても、周りから文句を言われかねないのは、確かにそういう時ですもんね。そこを避けて普段のファッションとしてなら、何をどう着ても、とやかく言われる筋合いはなく。(でも左前だけは勘弁してw)

 

彼女のようなアラフォー、アラフィフ、アラカンが増えてくれることを願ってます。着物は洋服と同じく単に着るもの、ファッションの一つですから。

 

あ。私も、もっと着ないとね。

 

 

お読みいただき、ありがとうございます。

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