少しずつ少しずつ何年もかけて、パンの摂取を減らしました。
パンに恨みはなく、むしろ好物。ですが、小麦粉を一気に沢山摂ると、どうにも具合が悪くなるというか、体の調子が崩れるようになってしまい。
最初に、これは控えるべきだなと感じたのは、パスタ(スパゲティ)でした。食べたら絶対眠くなる。私には、血糖値スパイクも起こりやすかったように思います。
家にあるものを消費し、時には足しつつ、徐々に減らして体を慣らしました。
子ども達が高校生までは、すぐに食べられるものとして食パンやロールパンを常備し、スパゲティ(&レトルトのソース)も欠かさず置いていましたが、大学生から先は、そこまで必要ではなくなったこともあって。
食べないわけではなく、減らしただけですけれども。
同居の娘も一人暮らしの息子も、同じく家で常食はしていないので、たまにパン屋さんで買ったり、一緒に外出した際にはイタリアン系のお店に入ったり。
実家に帰省している間は、弟家族と一緒の昼ご飯の時にパン屋さんやラーメン屋さんに連れて行かれるので、後からぐったり来て「ああ、やっぱり控えた方がいいんだ」と、改めて自覚することになったりと。
まあ、実家では一人暮らしですから、誰かが迷惑を被ることもないため、別に構わず。単に私が何だかしんどいだけ。弟家族と仲良く食べること優先。
そんなこんなで、基本的に米飯。それと蕎麦。うどんは具合悪い時用。素麵は盛夏に娘が茹でたら。ほうとうは冬に娘が作ったら。
余談ですが、きしめんが好きだったんですけれど、こちらのスーパーでは見掛けなくなりました。何故なんでしょう?愛知には普通にあるのでしょうね。んー、残念。
主食系というか炭水化物に関しては、昭和初期までの、要は戦後に米軍が駐留する前まで、米国の余剰小麦を日本で消費する前までの、日本人の食生活っぽいです。
と書きましたが、小学校かそれとも中学か、祖父母が元気だった辺りまで家での食事は、ほぼこういう食生活でした。ハイカラさに欠ける。
夏休み冬休みのお昼にパンだったり、母が休みの日曜にスパゲティを食べたりしましたけれど、たぶん他のお宅より少なかったんじゃないかな?
おそらく、祖父母にとって馴染み深い食事にしていた、ということなのでしょう。
それが変われば変わるもの。
私と弟が大きくなるにつれ、いつの間にか家でもパン食が当たり前に。
私が息子と娘のため、すぐに食べられるものを切らさないようにしていたのと同じ理由でしょうね。母は働いていましたし、祖母は年を取りましたし。
40数年経った今、「体調不良につき」という理由はあれども、昔に戻る方向で。
同じことが、肌着でも。
昨年の帰省は、初盆のため8月初め。一周忌を9月に行い、帰京は11月中旬くらいと当初は予定していたので、着物用の長袖インナーを持って行きませんでした。
それが12月下旬に繰り延べになったものだから、さて困った。
肌着が無いのに気付いて、慌ててネットで検索。たった一日のことだから我慢しようとかいうレベルじゃなく、寒いんですよ。夏のキャミソールじゃ風邪引くって。
探したら、ありました。丁度良いものが。グンゼさんに。
肘を覆わないと寒さを防げないため、どうしても着物の袖口から肌着は見えてしまいます。見えるのは全然構わないんですが、やっぱりレースが付いているものの方が、よそ様の目には優しい気がして。
いつもの着物用の肌着は、もっと長めのレース使いですが、この短さでも無いよりはずっとマシ。幾らシニアでも、やっぱり少しは可愛らしく誤魔化して。
『グンゼ 快適工房 綿100%』
上手く写せなくてすみません。
真冬の実家用にと、帰京後は仕舞ってあるもので。出したらシワが。
もうね。お肌に優しいのなんの。で、暖かい。綿の毛足が長いのかな。
某社のヒートテック、発売された頃から年配からは寒いと言われていましたね。
私も、巷で言われているほど暖かくないなと思ったクチですが、薄くて上に着るニットに響かないのと、色が綺麗なので外で(バレエのレッスン時に)着替える時にババくさくなく気にならないのとで、自然と増えて行きました。
暖かさはこんなものだろうと思いましたが、ポリウレタンが劣化してダメになっていく様が嫌で。それと、体調が悪いと痒みも出ます。
たまたまですが、グンゼの綿100%を着たら、着心地の良さが嬉しくて。今あるものを着終えたら、順々にグンゼの肌着に替えて行くつもりです。
振り返ると、元はグンゼの下着から始まった衣生活ですよ。
出身地の花巻には、マルカンという百貨店がありまして。
老朽化のため閉店したのですが、それを惜しんだ高校生の思いに応えた市民が協力して復活。規模を小さくして再開しました。お箸で食べる大きなソフトクリームで有名な大食堂があり、大谷翔平選手の聖地巡礼で、それなりに賑わっております。
そのマルカン百貨店、今のビル(古いけど)を建てる前は洋品店だったんです。三越を始め大抵の百貨店は、呉服・太物から始まってますが、地方もだいたい同じ。
父が先代社長と友達で、食堂で食べていると何故だか見つけて寄って来て、色々と話しておりました。父が入院して行けなくなるまで、先代がお元気な頃。懐かしや。
で、そのマルカンデパートにて私が初めて買ったのが、白いパンツ(ショーツ)なんですよ。あはは。しかもグンゼの。前に赤い飾りが付いてました。
どういう経緯だったのか、中一の時、友達数人とマルカンに買いものに行って。
1階が下着売り場で、ブラだかサニタリーショーツだか、欲しい友達がいたのでしょうね。下着類を買ってから、上の階に洋服を見に行ったのだと思います。
友達にお揃いを買おうと言われたような。とにかく衣類で最初の買い物、初めて、食品と文房具と書籍以外の、自分で選んで買ったものが、グンゼの下着という。
それを忘れてない自分にも笑っちゃいます。
当時は子ども用は綿100が当たり前、ポリエステルが入っているものは大人用。サニタリーショーツも、今のようなしっかりしたモノじゃなかったですよね。
祖母はズロースと呼ばれた、ゆったりと大きなパンツでしたし、記憶にはありませんが実用性第一の母もおそらく普通に綿のもの。田舎の化繊下着はオシャレ用。
ぐるっと45年ほど回って、グンゼさんに戻って参りました。
綿のもの、良いですよね。着物系でも大好きです。
前々から、綿の着物を単衣時季用に増やしたいと思っているのですが、未仕立ての反物や母のモノを済ませるのが先。当分おあずけです。
で、こちら。
買ったのは2015年。ずーっと寝かせっぱなしの、阿波しじら。
買ったは良いけれど、何だかピンクが勝るように感じて。いざ仕立てとなると、若過ぎ?と思えて気が引けて、そのままに。
先日、娘に相談したら「考え過ぎ。若いかな?くらいで丁度良い」と一笑に付され。
自分で縫うことも考えたのですが、時間もなければ腕もなく。平らかな浴衣用の綿ならまだしも、しぼのある「しじら」を、和裁から遠ざかった素人が縫うのは無謀。
とりいそぎ、こちらの反物、思いっ切り昔っからの綿100%を仕立てに出そうと思います。テキパキしてない私め、今年中に着られればいいなあ。
お読みいただき、ありがとうございます。