まだ子供達が小さい頃、ご主人の赴任先で阪神淡路大震災を経験した知人が、その時の様子を話してくれたことがありました。

 

道路一本挟んだ先では、よく映像で流れた様子そのままに酷い状況だったけれど、知人の家(マンション)があった辺りは、確かに揺れは物凄くて、モノが落ちたり食器が飛び出たり浅い本棚が倒れたりしたけれど、住まい自体は何ともなかったと。

 

それと、隣の大阪は当初の混乱が収まったら思ったより早く元に戻って、神戸から車や電車で行くと、ほんの数十分のことなのに、その差に脳が処理できないのか混乱して、どうにも気持ちを治めるのに苦労したとか。

 

熊本にご主人の実家のある友人も「うちの方は大丈夫だったのよ。ちょっと行った先では崩れた所もあったんだけどね。とにかく熊本城があんなことになっているなんて、思いもしなかったみたい」…普段は何ともない数キロが大きな違いになり。

 

石川県でも、能登と加賀では全く異なるんですよね。

 

中学生の集団避難のニュースを見て、改めて活断層地震の怖さと不思議さを思い。

 

保護者の方々も、さぞ心配なことでしょう。中学生はまだまだ子供ですから。どうか元気に。心身ともに健やかに。ぐんと成長して帰って来てくれることを願います。

 

 

 

実家で一人で暮らしている時にも、何度か地震がありました。

大抵は震度3。震度4の時も一度あったかな。

 

いつもは何の連絡も寄越さない息子と娘も、さすがに地震の時はラインで無事の確認をしてくれます。

 

股関節が悪くなってから、咄嗟に立つこともサッと動くことも容易じゃなくなった母親を、否応なく目にしているわけで。何かあったら、やっぱり困るものねえ。

 

 

私と弟にとっての母も、母にとっての私と弟も同じでした。

おそらく高齢になった親を持つ、どなたにとっても。

 

残された(遺された)ものを片付けるのも、9割9分同じ。

その家々によってそれぞれ異なるにしても、どんなモノも例外なく、最終的には誰かが始末を付けなくてはなりませんからねえ。

 

私が実家と東京を行き来して、だいたい半年ずつの二重生活をしている話をすると、皆たいてい驚きます。

 

今は情報が豊かになり、空き家の問題やリスクがクローズアップされていますから、当然の反応。

 

弟(男兄弟)がいるのを覚えてくれている友達も多いので、「弟さんは?」「あれ?お兄さんか弟さん、いなかったっけ?」も含めて。

 

 

母と弟嫁とは折り合いが悪くてねえ…。

 

今どきですから、母親より嫁を大事にするわけですよ、当然。そのうえ弟は面倒くさがって間に入ることもしないから、ずっと静か~に冷戦。表立って争うことがなかったのが、せめてもの救いかな。

 

弟嫁は決して悪い人ではないけれど、母からすれば認められる点が一つもなく。もう仕方ないです、こういうのは。

 

気が強いわけでも口が達者でもないため、母に逆らったり言い返したりはしなかったようですが、悪気無く素で気が利かないので、どうしようもなくて。

 

母は弟夫婦に対して、傍目には普通に接していたし買い物等を頼ってもいたけれど、基本的に弟を信用しなくなっていたものだから、色んなことが私に回ってきました。

 

兄・弟持ちの女性(姉・妹)あるあるではないかと思っています。

 

ちなみに私と姑は、夫(一人息子)が問題の多い人で義母と二人で対応し解決して行くしかなかったため、不仲になっている場合じゃなく。高齢になり認知症が入るまで、二人で頑張りました。(苦笑)

 

大前提として、私が義母を尊敬していたというのがあります。頭の良い人だったんですよ。それに、昔の写真を見ると皇族かと思うほどに上品。年を取っても、そういう雰囲気は変わりませんでした。ただし料理以外の家事は苦手でしたー。(笑)

 

義母が私を好きだったかどうかは分かりません。あまり関係ない気もします。

 

ひとつ。結婚前に義母が息子(夫)に宛てた手紙に「自分で産んでもいないのに、娘が出来るのは本当に幸せ」と書いてあって。仙台へ越す際に見せてもらいました。

 

私自身がそれを支えにしていたところはあります。それで良いのだと思います。

 

亡くなってからこの5月で丸8年になりますが、何らかのメディア等で「冷泉家」なり「源氏物語」なり、そういったものを目にすると、義母が生きていたら話が聞けたのにとか、どういう感想を持っただろうかと思うことが、今もあります。

 

どういう形であっても、それなりに深く関わると思いが残るものなんですねえ。

 

 

さて立場変わって、弟嫁にとって私は小姑。

母が生きていた頃は、私と娘が間に入って、波風が立たないようにしていました。

 

小姑としての立場の割合が大きくなった今は、母が言っていたのは、こういうことだったのかーーーと。もっと母の愚痴を聞いてあげるんだった…と後悔してます。

 

ただまあ、付き合いも24年になるのでね。お互いに我慢するところは我慢し、流すところは流し、言わなきゃいけないことは伝え、とにかく上手くやるよう心掛けて。

 

 

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母の遺品の一つ。

 

何かの付き合いで買ったのか、それとも誰かから貰ったのか。

母のイメージからは遠く。箪笥の奥に仕舞ってあったので、忘れていた可能性大。

 

 

私はシャネルなら19番なので、義妹にあげようと思ったのだけれど「私には合いませんって~」と笑うので、そのまま実家で保持。

 

あまり使ってない(けどcocoよりは合う)5番が、私も東京に置いてあるもので。娘の香りも違う系統。古いけど開いてないからメルカリで売るかな。

 

 

よく考えたら(考えなくても)この世を去るまで、付き合いが続くんですもんねえ。どちらが先かはさておき、去った時やその後も世話になるわけだし。

 

無理すると続かなくなるので、言うことは言って、頼めるところは頼んで、やらなきゃいけないことはやって、気張らずに行こうと思ってます。

 

 

それにしても。色んな人が昔から言ってることだけれど「姑」って凄い字だわあ。

 

 

着物の話じゃないのに、長くなりました。

お読みいただき、ありがとうございます。