近所の空き地がハルジオン畑になってます。
4月にはタンポポが元気でした。真っ黄色の花が、種になって白く変わったのねえと呑気に眺めつつ、近くに行って見たらハルジオン(春紫苑)の薄いピンクが。
と実は、ハルジオンとヒメジョオンの区別もつかない無粋者。調べたら、ヒメジョオンはハルジオンより咲く時期が少し遅いそうなので、北東北であれはハルジオンかなと。
田舎生まれ田舎育ちのくせに、花も草も木も、名前をあまり知りません。
そこらへんにあるのが当然なので、意識したことが無いというのもあります。家族に聞けば誰かが教えてくれましたから、私に知識がなくても特に何も支障なく。
それが今は、本当に困ってます。もっと覚えておくんだったー。
タンポポとかハコベとか、そういう分かりやすいもの以外、花が咲くか蕾が膨らむかくらい大きくならないと、雑草なのか咲くのを待ってる花なのか、私には見分けがつきません。
雪が溶けてすぐの頃、どうかなー?と思いながら、失敗覚悟で縁の下近くに生えてきた草を抜きました。もしかしたら、母が残して待っていた花だったのかもしれませんが、致し方なく。
その頃(3月)は、母の早春用の洋服を届けたら東京に帰るつもりだったので、焦って草取りしたという理由もあります。草ぼうぼうになるよりは、ちょっと迷うけど抜いてしまおうと。
何から何まで、そんな感じ。
うちの庭のハルジオンも、1つ2つ花が咲いてから、ようやく抜き始めました。その前の時期では、たぶんハルジオンだよねーと思いつつも不安で。
最近、マズイと気付いたのが、オオアワダチソウ(大粟立草)。
その前に、これはダメだと抜き始めたのが、オニノゲシ(鬼野芥子)
母が小さな小さな家庭菜園(ほんの1~2坪)をやってまして、そこに伸び始めたのが、大根の葉っぱのようなもの。去年の種が落ちたのだろうと思ってました。(今年は休耕)
それが、畑の場所以外でも見掛けて。ということは大根ではないなと。そちらの方が成長が早く、蕾になっていてタンポポのよう。慌てて調べたら、オニノゲシ。
タンポポ系(ふわふわの種が飛んで行く)は勘弁して欲しいので、慌てて抜きました。
蕾が出ているほどですから根が張っていて引っ張っても抜けず、一旦茎を切ってから。茎からは白い液が。花も茎もタンポポを大きくしたようなものなので、そこも同じ。
ちなみに、これまたタンポポと同じく食べられる野草だそうです。茹でると美味しいとか。…何か故あって、どうしようもなく困って飢餓状態に陥ったら、取って食べます。今はいらない。
昔、「雑草という植物はない」という青い台詞に共感した中高生辺り、『どんな植物だって自分の花を咲かせたがっているのに、そんな差別するなんて酷い』と、カブレた時がありました。
今こうして自分で書きながら、白い目になってしまいますが、未だにそういう科白を大真面目に言ういい大人がいるから怖い。
もうね、雑草とされる花や草は、抜かなきゃダメなんですよー。
野っ原や山奥ならどうだっていいですが、手を入れている庭や畑はダメ。わざわざ植えてある、成長を楽しみにしている方に行き渡るべき栄養や水を、取って行ってしまうんですから。
そう教わって、『そんなの酷い、可哀想。差別だ。雑草にも権利がある。栄養と水を分けてくれたっていいじゃない』…とまでは思いませんでした。
頭でっかちでも、自分を雑草と同化するほどの思い入れはない10代。納得したと見せたくなくて反抗的態度は続けたものの、いたく合点。そりゃそうだな~。
でもね。「草取り」なら簡単に出来ても、一旦花が咲いてしまうと躊躇してしまうのが人情というもの、というか何と言うか。
スギナのように全くの「草」であれば迷いませんし、昔は近所の鶏やペットの鳥のエサだったハコベみたく、さして目を引かない下手したら気付かない極小さい花なら平気。
それがねえ。花として、そこそこ綺麗に咲かれてしまうと一気に難しくなるんです。
もう今年は、雑草なのか咲かすべき花なのか殆ど分からないので仕方ないんですが、来年以降は草(茎)のうちに抜いてしまおうと思ってます。
で、ごめんねーと呟きつつハルジオンを抜いて、これはまさしく服の断捨離と一緒だなと。
ハルジオンって、別名「ビンボウグサ」(貧乏草)っていうそうです。初めて知りました。
どこにでも咲いているから有難みがないためとか。あんまりな別称ですが、誰からともなく言われ出して定着したのでしょうね。さもありなん、でもあり。
咲いてしまうと抜くのに躊躇する花があるってことは、わざわざ植えた、本来見て欲しい&見たい花があるのに、つい目が行ってしまうということ。時間はどんな場合でも有限。
他に花のない原っぱであれば、それでも良いと思うんですよ。あとは、陰だからと放ってある裏庭とか考え中の空いた所とかで、気にならなければ。ですが手を掛けている庭ではダメ。
洋服も着物もそれと同じなんですよね。ハルジオンは汚れても構わない安い服、かな?
庭仕事とかDIY作業なら、そういう服の方が気楽で良いので別ですが、問題なのはそうじゃない時でも、目や手が行くこと。
着たい服・着たいキモノがあるのに、大して好きでも気に入ってもいない方に手が伸びてしまうこと。そしてまた、手は伸びるのに結局着ないで仕舞ってしまうこと。
なんて無駄なのだろうか。
庭の牡丹。(先週)
手入れの行き届いた庭には、無駄な花なんてありませんものねえ。。
イングリッシュガーデンなら、考えられたうえでハルジオンを植えることもあるかもしれませんが、日本庭園にあったらビックリです。庭師さんがいるようなら停職処分かも。
「世界に一つだけの花」よろしく、どの花も一生懸命に咲いているのは皆分かっているわけですが、牡丹や薔薇や蘭等々の手間が掛かる華やかな花と、植えなくても勝手に根付いて道端に溢れるほど咲いている花とを同等に扱う大人は、まず、いませんからね。
咲く花も育ちやすい木も地域によりますし、各々の庭で当然、異なります。何であれ近隣の迷惑にならないものなら、その家庭で植えたいものを植えて楽しめば良く。
先祖が植えたのをそのまま愛でるも良し、農協やホームセンターで買って来るも良し、ひと様から譲られるも良し。ただし、剪定や肥料の施し等々、手入れは自分でちゃんとやろうね。
同じく衣類も、その地域の気候や風土や習慣に合ったものを、各々の好みの通りに着ればいいだけのこと。
だからこそ、着たいものをすんなり着るために、雑草は抜こうよと。せっかく花が咲いているからと未練がましく、価値を感じないものまで取っておかないで、愛でたいものに絞ろうよと。
クロッカス、水仙、ムスカリ、プリムラ、雪柳、チューリップ、椿、木蓮、スノーフレーク、苧環、ハナニラ、菫、牡丹、ツツジ等々、春の庭の花は、今さっと名前が出て来るものだけでもこれだけあります。雑草にかまけてる暇なんて、ましてや割ける場所なんて、本来は無いはず。
雑草はどうしても生えてくるものだけれど、種になる前に摘み取り、花が咲く前に折り、根が伸びる前に引き抜き、なるべく増やさないよう心掛けたいと思います。家の中も外も。
余談ですが。
父の衣類は、私と息子が着そうなもの(カーディガン、チョッキ、シャツ)以外、まとめて縛りました。例えるなら、殆どが枯れ木・枯れ枝だった気がします。持ち主がいなくなって13年。
背広やコートを掛けていた昔ながらの木の重い衣紋掛けが、父の生きてきた時代を物語っていました。同時に、背負ってきた家族への責任と深い愛情を感じさせました。
処分して良かったです。供養になったと思います。感謝なことでした。
長くなってしまいました。
お読みいただき、ありがとうございます。
