世が世なら、大仏建立くらいされるのではないかと思う今年です。

 

厚真町の山崩れ、切なくてもう。

何によるものなのか、都会や市街地のそれとはまた別の感傷に襲われます。

 

北海道には友達も住んでいますし、北海道出身の友達や知り合いが多いこともあって、昨日は気もそぞろ、落ち着かない一日を過ごしました。

 

日本列島は災害列島。毎年なにかしらの災害がそこかしこで起きてしまうのは仕方のないことと、この年なら十分承知しています。

 

そう分かっていても当然ながら慣れることはなく、毎年毎年、苦しい思いで塞がれます。

 

 

普通に考えて、遥か彼方昔から変わることなく繰り返されてきたわけですから、きっと今の私達と同じような思いを、ご先祖様達もお持ちだったことでしょうね。

 

だからこそ、近隣の他の民族に比べても、四季それぞれを愛でる文化が発達したのだろうなと、素人ながらに思います。

 

 

 

少し話はズレますが、S県のK口市で今夏、今までの日本では考えられない「市からのお願い」が出されました。

 

ご存知の方も多いかと思いますが、「蝉の幼虫を取らないで」という看板。

 

「捕獲やめて」公園に看板 (8/21の記事)

 

食用なんですよ。お分かりですよね。

K口市には、「四つ足なら机以外何でも食べる」と言われている民族が、多く流入しており。

 

 

日本人だってイナゴや蜂の子を食べるじゃないか、と言われるかもしれませんし、ゲルマン人なりアーリア人も、他の民族から見ると驚くようなものを食してきたのだろうとは思います。

 

ですがどうしても、それらと異なる感じを受けてしまうのは、彼らのキリのない貪欲さかと。

 

ゲルマン系はセミを食べたりしないでしょうから置いておいて、日本人からすると、何年間も土の中におり、ようやく外に出てほんの数日間鳴くことで命を全うする、儚い命のセミの幼虫を大量に食するなんて、ちょっと無粋にもほどが…という感じで理解出来ず。

 

「もののあわれ」を、高貴な人から庶民までそのまま日々感じ、文学の軸ともなってきた我々とは、抒情性に於いても情緒の面でも、根本の部分から異なるのだと思うしかなく。

 

 

文化の違いと言ってしまえばそれまでなのですが、文化の違いはまさしく民族性の違いなわけで。黄色人種ですから見掛けは似ていても、性質は本当に異なっているのだなと。

 

彼等には、堂に入れば堂に従ってもらいたいと、心底思います。

 

セミの幼虫に関しては、今年は看板設置後に捕獲する人が減ったような書き方をされていましたが、また来年になったら同じことが繰り返される不安があり。

 

K口市に限りませんが、どうか行政には前もっての施策をお願いしたいと思います。

 

 

 

それにしても、そこかしこの傷ましい映像は、胸をえぐられる思いです。

 

広島の扇状地もそうでしたし、今回の厚真町も、まさか山が崩れるとは誰も思っておらず。液状化現象が起きてしまった地域も、本当に気の毒で。

 

これから様々な調査が行われ、何かしら対策が取られるとは思いますが、こういう被害が起きて初めて分かることも多くて。事前に手が打てないのが歯がゆいです。

 

 

恵みを施してくれる自然は、時に牙を剥いて襲い掛かり。それに耐え、生き抜いてきたご先祖様達の知恵と勇気を我々も預かり、且つあやかりたいもの。

 

 

崩れ落ちた山肌が、いずれまた美しい緑の森に戻りますように。

 

先人達が愛した北海道の自然が、これから生まれてくる者達にとっても、変わることのない恵みとなりますように。

 

 

今回の地震で亡くなられた方々の安らかなお眠りをお祈りするとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

 

一日も早くいつもの日常が戻って来ますよう、小さき祈りを捧げます。

 

 

お読みいただき、ありがとうございます。

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