関東ローカル局で放送している「座頭市物語」。

 

私の場合、他の時代劇にも増して、昭和の景色を堪能出来るのが魅力の一つ。

 

先日の回・第24話「信濃路に春は近い」では、梅の花が綺麗でした。

 

春ならではの、目覚めつつある山並みが幾重にも連なって。ああ、こうだった…と懐かしく眺めました。

 

加えて、市が関わる大店のお嬢さんが、香野百合子さん。これがまた、可憐で可憐で。

 

市がお嬢さんを守って旅をする話なんですが、何不自由なく育ったお嬢さんらしく、中振袖。今も昔も、ちゃんとお金のある家の娘さんは、こうして着飾ってくれないと。ねえ。

 

 

年末に借りました。

「昭和のキモノ」 小泉和子著 河出書房新社 2006年5月発行

 

 

帯が表紙裏側部に貼られているのですが、本当にそうだなあ~と、しみじみ。

 

昭和の家族の思い出は、いつもキモノとともにあった。

 

その通り。

私が1歳になってすぐに亡くなった母方の祖母の遺影は、着物を着ています。

 

お正月やお盆に母の実家に行くと、母方の祖父は当然、着物でした。胡坐かいていて、下は股引。夏は綿だったでしょうすし、冬はたぶん、あれはウールでしたね。

 

唯一、曾孫を何人も抱くことが出来て、うちの息子が小学校1年生の時に身罷った父方の祖父の下着は、ずーっと褌でした。入院中も。

 

ブリーフやトランクスなんて、考えられなかったでしょうね。祖母が病気になってからは、自分で洗っていました。その後も、なるべく母(嫁)には頼まず、倒れるまで自分で洗濯。

 

パジャマにしたのも倒れてから。それまでは夏は綿、冬はネルのキモノの寝巻でした。

 

明治40(1907)年生まれ。私が言うのも何ですが、ハンサムな祖父でした。残念ながら、父は祖父の血をあまり受け継がず。うぅっ…。私は父似。触れないで。

 

 

何度も書いていますが、母が働いていたので私の面倒をみてくれた、それゆえ一番影響を受けた父方の祖母は、真夏以外はキモノ。出掛ける時以外は、たいてい上に割烹着。

 

今の私が、キモノで出掛けることに全く躊躇がないのは、祖母がそうだったから。語弊があるかもしれませんけれど、私にとってキモノは、さほど特別なものじゃないんですね。

 

 

こちらの本、当時の写真が沢山載っているのですが、どれも懐かしいものばかり。

 

勿論、私が生まれる前のものも多いのですが、それでも既視感があるのか懐かしく感じてしまいます。時代劇効果かもしれません。(苦笑)

 

 

時代劇によく出て来るのが、古着屋です。

 

昨今の着物流行りは、リサイクルが増えたからだとよく見聞きしますが、その昔は当たり前にあったもの。時を越えて復活したんですね。

 

3.リサイクル 古着の流通

 

古着は安価であり、尚且つ、すぐに着られるという利便性で重宝されたそう。

そのまんま、今と同じですね。

 

江戸時代からあった古着屋は、戦前もごく普通に存在していましたが、戦後、普段着が洋服に取って代わらたため、高度成長期・昭和40年代にはほぼ姿を消した模様。

 

驚いたのは、古着商が古着の売買から呉服店に転身する店もあったという記述で、

「大阪の大丸やそごう、京都の高島屋などは、百貨店へと発展させた例で、それだけメジャーな商売だったといえる」とのこと。

 

呉服屋の『越後屋』さんが、

「店前現銀売り(たなさきげんきんうり)」や「現銀掛値無し(げんきんかけねなし)」「小裂何程にても売ります(切り売り)」など、当時では画期的な商法を次々と打ち出して名をはせた。

 

と、nhkEテレの【知恵泉】でやってましたし、呉服店が百貨店にというのは知っていましたが、そもそもが質屋や太物屋を兼業した古着屋さんだったとは。感心しました。

 

東北出身の田舎者ですが、言われてみればうちの街の百貨店も、元は婦人服店でした。

 

人間の営みの基本「衣食住」が、「衣」から始まるのは、人が生まれて最初にするのが着ることで、何かで覆って体を守らなければ生きていけないからと。

 

ちなみに婦人之友社の家計簿では、お布団も衣類に入ります。布地ですものね。

 

そう思えば、百貨店にまで発展させることが出来たのも、納得が行き。

 

ただ残念ながら、百貨店もキモノも、少なからず衰退の道に陥った感ありですが…。

 

 

上の帯にある通り、昭和はキモノから洋服へと衣服革命が行われた時代です。

 

でも、その革命前夜、もしくは革命中には、華やかな花火が上がったようにも思います。

昭和40~50年代のお母さんが揃って着ていた黒羽織も、その一つかなと。

 

母の黒羽織は帯に直してしまいましたが、祖母に倣って昭和を引きずり、キモノを着続けたいと思っています。

 

 

昭和55.6年頃、田舎の葬式で、参列するおばあさんたちが、そろって黒い服を着ていることに気が付いた。(略)

…そうしたいちばん保守的なおばあさんたちが、しかも葬式という最も伝統を重んじる場で洋服を着ているのである。

「ああキモノは終わったのだ」と深い感慨とともに認識した。

 

 

流れに逆らって、私は喪服をキモノで整えています。

今は、母が作ってくれた色無地を、色喪服に直している最中です。

 

終わってしまった普段着としてのキモノ。それはそれで仕方ないこと。かくいう私も、普段着には着られません。だからこそ、自分が出来る範囲で着続けたいと思います。

 

昭和のキモノを受け継ぎます。

 

 

お読みいただき、ありがとうございます。

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