悠久の時を越えて…。
色々な宣伝や説明に使われる文言ですが、茶の湯展での品々は、まさに言葉の通り。
残されるに楽な時代ばかりではなく。争いごともありましたし、良からぬ人もいたでしょうし。
それが、こうして平成の世まで伝わって来た凄さ。
手にした先人達の、後世へ遺したい伝えたいという思い。ひしひしと感じました。
入ったのは夕方で。
出たのは、夜でした。
歌舞伎俳優の奥方が若くして病魔に侵され、まだ小さなお子様方お二人を遺し、旅立ってしまわれた先週。
年のせいなのか、マスコミの騒ぎ具合のせいなのか、彼女が亡くなったこと自体の悲しみよりも、看取ったお母さまとお姉さんの気持ちに近くなり、本当に悔しくやるせなくなりました。
芸能人である以上、ある程度は仕方ないことでしょうけれど。
報道する側も、それが仕事だと言ってしまえばそれまでで。何かしら接触したりコメントを取って来ないと、その社の仕事から外れるわけで。
でも、だからこそ、見なくなりますね。
外から帰ってきて、大きなニュースがないかどうかといつもの習慣で何気なくテレビを付けたら、会見が始まるところ。
大きなニュースがないと分かると、すぐに消すのですが、会見って何?何で?と驚いて、しばらく付けていましたが、次第につらくなって消しました。
最初は、「え?亡くなってこんなすぐに会見って開くものなの?」と単純に疑問に思い。
「何も話せない状態だったけれど、最後に『あいして(る)』と言ってくれた」と。
ああ、麻央さんは「ジゼル」だったんだな~と思いました。
「ジゼル」はバレエの演目の一つ。
村娘のジゼルは、領主である身分を隠して村に遊びに来ているアルブレヒトに恋をします。ジゼルに横恋慕しているヒラリオンが、彼が領主であることをばらします。
身分違いの恋は許されない時代。元々心臓の弱かったジゼルは、騙されていたショックで心神喪失となり、心臓麻痺で息絶えます。
埋葬されたジゼル。墓のある森では、処女のまま亡くなった娘達が精霊(死霊?)となって、夜な夜な通りがかった男を捕まえ、死ぬまで踊らせています。
ジゼルの墓参りに来たヒラリオンは、捕まって踊り殺されましたが、同じく墓に来たアルブレヒトは、死してなお愛し続けているジゼルによって守られ、生きて朝を迎えます。
不謹慎かもしれませんが、最後の一言「あいして(る)…」は、ジゼルだなと。
勿論ジゼルとは異なり、身分違いでもありませんし、結婚して子供もいます。それに、言葉を発した時点では彼女はまだこの世にいたので、その点も違います。
でも、苦しそうで全然話せなかったのに最後にひとこと言ってくれた、ということでしたから。
何としてでも、彼と子供達を守りたかったのでしょうね。
勝手な解釈ですが、除霊の言葉のように感じました。
それくらい強い気持ちで、妻として母として生きてきたのですね。
私は特別彼のファンではありませんし、彼や奥様のブログも見たことありませんが、日本の伝統芸能の一つである歌舞伎界を背負っている俳優の一人であることは確かなこと。
今まで以上に、芸に精進して欲しいです。夭逝した奥方のためにも。
こちらは、もう何年も前ですが、娘と歌舞伎を観に行った時の写真。
三津五郎さんを観たのは、この日が最後となりました。
踊りにキレがなく、どうしちゃったのかな?と思った日。
夏なので、二人とも絽です。
私はまだ若く、娘はまだ子どもっぽく。たった数年で変わるものですねえ…。
会見での知識しかありませんが、喪に服そうにも、舞台の最中だとか。
役者は親に死に目に会えないとはよく言ったもの。厳しいものです。
そういう一舞台一舞台が、伝統の継続の一つの歩みであり、重みであり。
伝統を背負う責任を、いつも以上に感じていることでしょう。
茶道でも歌舞伎でも一緒。後の世代に繋げることが最も大事な仕事の一つですから。ね。
麻央さんのご冥福をお祈りいたします。
お読みいただき、ありがとうございます。