8月6日です。

子どもの頃の夏休みを思い出します。
毎朝、祖父が起きた時からずっとNHKニュースをつけていました。(母と祖母はその前に起きていますが、テレビは祖父が起きてから。)

8月6日は、広島原爆の日。朝の連続テレビ小説が終わってから、広島の記念式典が流れたんじゃなかったかな?違ったかな?その辺りの記憶は曖昧ですが、毎年式典をテレビで見ていました。

祖父母は明治生まれですからそれなりに厳しくて、広島・長崎・終戦記念日・関東大震災で、家にいる時には、必ず黙祷させられました。

「させられました」と書きましたが、幼稚園辺りの、とにかく物心つくかつかないかの幼い頃からですから、当然最初は躾として強制です。

「一緒にお目々瞑って拝みなさい。」(ちなみにうちは曹洞宗です。)
朝に仏壇と神棚にそれぞれ拝むのと同じく、テレビの方を向いて、頭を下げて目を瞑って祈りました。

祈ると言っても子どものことですから、小学生辺りまでは、ある意味無の境地ですね。祈り方も分からない、祈る言葉も持っていない。ただ頭を空っぽにして、頭を垂れるという。

いつからなのか、当然黙祷するものとなりました。ただ高校生以降は、8/6の広島は「起きていれば」になり、仕事を始めてからは他の日も、「思い出して手が空いていたら」になりました。

結婚して子どもが生まれてからもずっと、「手が空いていたら」状態が続いていましたが、お盆には実家にいたので、8/15は必ず黙祷を献げることが出来ていました。

そのうち鈍い私もはたと気付いて、息子と娘が家にいて起きていたら、昔と同じように黙祷させるようにしました。実家でしていたので、違和感はなかった模様。幼い頃からの躾って、大事ですね。


今年も、いつものように広島で行われた記念式典。

そして、プロ市民やプロ活動家、中核派や革マル派による、拡声器を使った騒々しいデモ。慰霊の日に、いったい何なのでしょうね?

ネットのない時代には、そんなことが行われているなんて知る由もなく、自分が墓参で拝むように、静かに祈っているものだとばかり思っていました。今や、最大の活動日らしく。明らかにおかしいです。

慰霊の日には、せめて式典の最中には、静かにしましょうよ。


ただ、今年はネットで、少し救われる写真とお話を見つけました。

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こちら、何の写真だと思います?
左奥に見えるが原爆ドームと、お気付きになりますか?

原爆投下後に復興に励んでいましたが、「放射能で広島には誰も寄り付かない」という風評に、広島市民は落ち込んでいました。

その最中、原爆投下から2年後に、昭和天皇が広島に巡幸されました。その時の写真です。

この時、広島の方々は涙を流して陛下をお迎えし、「陛下が来てくれた。広島は大丈夫だ。放射能も大丈夫だ。結婚も出来る。」

広島市民は力いっぱい手を振り、「天皇陛下万歳」をしたのです。


戦後に生まれ育った私達と、この戦前・戦中の時代を生きた人達とでは、「天皇陛下」の重みが違います。

ある程度の年齢であれば、共産主義者じゃない限り、どれほど嬉しかったか、いかに有り難かったか、想像に難くないでしょう。



原爆を落とされた後、「今後70年、草木も生えない」とまで言われた広島。

 

この言葉を見聞きすると、涙がこぼれます。私達は写真や画像でしか知り得ませんが、どれほど酷い有様だったか…。

「核兵器のない世界」の実現に向けて、一層の努力を積み重ねていく。この決意を表明するため、本年秋の国連総会では新たな核兵器廃絶決議案を提出するとのこと、安倍総理が挨拶で述べられました。

すぐ隣りに、核で脅してくる国があります。核廃絶が簡単なものではないことは誰しも承知していますが、唯一の被爆国として、諦めずに訴え続けて行きたいですね。

改めて、被爆し亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。


お読みいただき、ありがとうございました。