東京でのソメイヨシノはだいぶ散り、葉桜になりました。

ぱぁっと咲いてパッと散るソメイヨシノはまさに日本人らしく、且つ華やかでとにかく美しく、毎年惚れ惚れしますね。

ですが私、色の濃い八重桜系の方が好きなもので、これからが楽しみだったりします。ちょっと情緒に欠けるのが何なのですがね。

先日、本棚の着物本の整理をしました。ただの整理で、まだ捨てたり売ったりは出来ず、増える一方です。雑誌は季節ごとに素直に増えて行き、単行本は季節には関係なくじわじわ増えて行きます。

着物の本と言っても種類は様々。礼装から普段着まで着られる場所・範囲を説明したもの、素材ごとに季節の組み合わせを解説したもの、普段着として気軽に楽しむ工夫や帯や小物を手作りする方法を載せたもの、コーディネートの実例や提案集。そして、小説に随筆。

雑誌はコーデや素材の確認のため、その季節に一度は見返しており、本は気が向いた時にまた読み返しています。

小説を読み直すことは、余りありません。随筆は数年~数ヶ月の間が空き、全頁ではなく気になる項のみの場合もありますが、割と頻繁に読み直しています。

随筆での筆頭が、幸田文さんの『きもの帖』。それに石川あきさんの『昔のきものに教えられたこと』。今回は、Kさまの本箱で拝見したら気が向きまして、久々に近藤富枝先生の『きもの名人』を。
 

「きもの名人」
『きもの名人』近藤富江著 河出書房新社 ’12年3月発行


購入年月日を記入していないので正確には分かりませんが、たぶん1年半ぶりくらいに読み返したのだと思います。たった1年半でこちらの読み方が変わっていて、そのことに驚きました。

ただ眺めているだけなんですけれど、知識って少しずつ増えて行くものなんですね。細かく書いてくれる着物雑誌に感謝です。

でも今回は知識云々ではなく、題名にもなっている「きもの名人」の項の中の「竹久夢二」に関しての話に驚きまして。前回は、ただ読み流していたみたいです。それに、ちゃんと分かっていませんでした。

「竹久夢二」は美人画で有名です。一番知られた絵は、黒猫を抱いて座っている「黒船屋」でしょうね。見慣れたあの絵でさえ、読み返す前と読み直した今では、着ている着物の感想が変わりました。

「竹久夢二」の本来の好みは渋いものにあったそうで、紬が好きだったとのこと。ネットで見ましたら、確かに画中の女性達は紬系が多く、染めでも縞や飛び柄や大人しい柄が多く、色数は少なめです。

帯も、「無地それも黒が多い」「変わった柄であったりモダンだったり、とにかくひとひねりしたもの」と、先生がお書きの通りで。

何より驚いたのが、「きもの姿をすっきりさせることを新しい時代の女性たちへプレゼントするつもりだったのである」との見解です。もう、目から鱗!以外の何ものでもありませんでした。

「大正ロマン」という言葉に、目くらましされていたような感じです。勝手に、何だか色が氾濫しているようなイメージを持っていましたが、改めて見ると、今に通じるすっきりしたコーディネートなんですね。

ゴテゴテした柄を嫌い、奇をてらう外国風の図案や色調の超モダンな銘仙柄に反撥し、紬でももっさりした地味なものではなく、綺麗な縞や絣、黄八丈の格子のような洒落た色柄のものを好んだ夢二。

あの時代に、サイケデリックなモダン銘仙を画中の女性に着せなかったとは、本当に驚きます。流されなかったんですね。確固たる美の基準を、強く持っていたからに他なりません。

大正時代の夢二の絵が、今も変わらず支持され続けるのは、ただ美しいとか何となく興味を引かれるからだけではなく、今に通じる現代性と、古からの普遍の着物美を兼ね備えているからなんですね。

「着物は無地、縞、格子に極まり候」と言い切った白洲正子さんをも思い出し、今後20年、50代から70代までを考えて、やはり着物はなるべくスッキリ路線で揃えて行こうと思いました。

と、敢えて言うまでもなく、最近買ったものには派手なものなど見当たりません。ですが、地味とすっきりとは、似て非なるものとも思えます。少しずつ探って行って、のんびり探そうと思います。


お読みいただき、ありがとうございます。

 

きもの名人/近藤 富枝
¥価格不明
Amazon.co.jp