あの日から3年経ちました。

私は2時頃に帰宅して遅い昼食。片付けは後回しにして珈琲を入れ、テレビで国会中継をつけながら新聞やPCを開いていました。

息子は春休みで家におり、自分の部屋でPCのネットゲームをしていました。2つ繋げてあるモニターの片方にはtwitterを流したまま。

高校の卒業式を数日前に終えた娘は、大学も無事決まり、部活の打ち上げで都内(山手線内)にある高校に久し振りに行っていました。

3時になったら、洗い物をして洗濯機を回そうとぼんやり考えていました。緊急地震速報が流れました。東北の県名でした。水曜日に大きな地震があったばかりでしたから、一瞬その余震かな?と思いました。
 

椿

 

違いました。東京も揺れました。
コーヒーが波立ってこぼれました。写真立てが倒れました。横に積み重ねた雑誌や新聞が滑り落ち、ぬいぐるみが転がり落ちました。

一通りの揺れが収まった後、真っ先にしたことは弟の携帯に電話をかけることでした。弟は沿岸の方と取引があるので、もし出張で行っていたらと思い。幸い、すぐつながり、甥と義妹の無事も確認しました。

弟としばらく話した後、娘の携帯にかけました。時間的に娘は高校にいるはずなので、その時点での心配は軽いものでした。新しい校舎ですし先生方もいらっしゃるので、まず平気だろうと思っていました。

ようやく繋がった時、娘は歩いて帰っている途中でした。聞くと、高校ではなく近くのカフェでの打ち上げだったらしく。

店内にいた女性客が悲鳴を上げたりはあったけれど、意外に冷静でパニックにはならなかったそう。一旦皆で高校に戻り、その後、家に帰れると判断した子は、歩いて帰り始めたとのこと。娘もその一人。

びっくりして思わず「学校に戻りなさい」と言いましたが、娘は「線路沿いに歩いて行くから大丈夫。遠い子は残るしかないけど、帰れる距離なら少しでも早く帰った方が良い。遅くなればなるほど人が増えると思う。沢山の人が歩いているから、暗くても別に危なくない。」と。

途中、線路が確認できない場所で道に迷ったため、帰って来たのは10時過ぎ。正味6時間かかりました。家で待っている間、私は気が気でなく、娘が帰って来た時にはもう・・・。

余談ですが、当時の娘の携帯はガラケーでした。後から大学の先輩やOB・OGさんから聞いたところによると、スマホならマップが見られたので、道に迷うこともなく帰れたと。ツイッターで色々知ることも聞くことも出来たから、それほど困らなかったと。SNSって凄いです。

実家の母には、地震直後はいつも電話が通じないため諦めていました。内陸ですから大きな被害はないはずでしたが、それでも心配なのと気が立っているのとで全く眠れず、テレビやPCをつけていました。

真夜中の2時頃、弟の携帯から電話があり、母の無事を確認しました。何でも、仕事を終え車を出したけれど、停電のため信号が着いておらず、ものすごくゆっくり走ってきたので、そんな時間になったとのこと。

母は、割れたコップで足を切ったくらいで大丈夫でした。弟は、私への電話を切るとすぐ戻って行ったと、後から聞きました。「え?もう帰るの?」「当たり前。着いたらその足で会社。」ご苦労さまでした。

仙台にいる夫にも電話は通じませんでしたが、携帯の災害時伝言板サービスを利用してくれたので、両親とも無事を確認出来ました。

 

紫小花

 

息子が流し見ていたツイッターですが、緊急地震速報が出て間もなく、「あ、揺れた」とか「地震」というツイートがあり、数十秒の間に同じようなツイートがどんどん増えて行き、大きな揺れの後は初めの人達から入らなくなったそう。通常の生活が一変した瞬間でした。

電波・電源の問題が大きかったですよね。中には、ツイッターどころではなくなった人もいたでしょうし。その後、落ち着いたらツイートが再開されたそうで、一安心でした。ただ…全員かどうかは不明です。

午後2時46分、黙祷を捧げました。静かな一日でした。


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