トイレに入ると、ペーパーホルダーの上にこんなものがありました。
一見、ちぎっただけのペーパーの使い忘れ?のように見えなくもありません。
これは、暇さえあれば次男が製作している紙の生き物の作りかけです。
よく見ると龍なのかドラゴンなのか、何らかの生きものが象られているのがわかります。
大人ってすぐに、
それが何になるか、とか
将来、これがどんな役に立つか、とか
才能がある、芸術家になるかもしれない、とか
いろんな将来を子に押し付けてしまいがちだな、と思います。
それについて、この頃ずっと思っていたんですが、
言葉がまとまらずにいました。
次男はわかりやすく独特なので、つい取り上げがちですが、
我が子3人に同じように言える、
我が子だけでなく、全てのこどもに言えることだと思っています。
こどもは既に、人格的に完成された存在であるっていうこと。
次男の担任の先生に、
「どうしたらこんな素直な子が育つのかしら?」と言われました。
社交辞令かもしれないので、笑顔で受け流したのですがw
真面目に応えるなら、
“邪魔せず”“コントロールせず”は意識してきました、と話したかもしれません。
そうは言っても、邪魔したり、コントロールしてしまうのですから、
気をつけてなかったらもっと大変だと思うという自戒的な意味でもあります。
こどもたちは、
既にこのままで充分なのだということを、どう表現したらいいか、
きっと素敵に表現してくれている先人がいるに違いないって思って探していました。
そうしたら、私が言いたかったそのままのことを表現してくれている人がいました。
しかも、大好きな三砂ちづるさんでした!
以下引用
今のあなたであるために
ブラジルで生まれ育っていた子どもたちを日本に連れて帰ってきたのは、彼らが小学校2年生と4年生の時でした。
彼らが日本に来てびっくりしたことは実にたくさんあったのですが、その一つが、この「大きくなったら何になるの?」という質問でした。
彼らは日本語がわからないわけではありません。
生まれてから、ずっと私とは日本語で会話していましたから、日本語自体はよくわかります。
でも「大きくなったら何になるか」と聞かれているその文脈がわからなかったのです。
「大きくなった時のことは、今はわからないよね」と言います。その通りなのであって、子どもは大人になるために生きているのではないし、何かになるために子どもであるわけでもありません。
今、ここにいるあなたであるために、あなたが生きている。ブラジルにいると、そういうメッセージがしみじみと感じられたのですね。
子どもの時に亡くなってしまう人もいるのですが、だからと言ってその人の生に意味がなかったなどということができないことは、その子どもの親や周りの人がみんな知っています。
子どもは大きくなるために生きているのでも何かになるために生きているのではなく、今をただ、十全に生きるために、いるのです。
あなただってそう。
あなたも大きくなって何かになるために、あるいはもっと勉強してえらくなるために、あなたがいるのではない。
あなたという存在は今そこにいるだけでそれだけで素晴らしいのです。
でも、きっとあなたは周りから、何度もすでに大きくなったら何になる、を聞かれ続けていると思う。もはやこれは、私たちの日本語で暮らしている人の文化に根ざしているのではないかと思うくらい。
引用終わり。
「少女のために海外へ出ていく話」より。
そして、今日も私は私を生きよう、と想うのでした・・・

