ママが見えるところまで | 阿蘇の国のクララ

 

2017年8月...

 

「アリス、起きて...。

パパがトイレに行こうって」

 

「うん」

 

「がんばれ、アリス!」

 

「パパもがんばれ!」

 

「ビールのようなオシッコ出たよ♪」

 

「うん♪」

 

「パパがね、

アリスと一緒に死んでもいいんだって...」

 

「それはだめだよ、ママを守らなきゃ」

 

2021年

7月16日(金)...

 

「クー、急がないと雨が降るよ!」

 

ママ

「エルちゃんだって...。

雷雨の夕方にいなくなったそうよ。

捜す...?」

 

パパ

「買い物が済んだら捜そうか」

 

「降ってきた...」

 

有機生活

 

 

一匹のイヌの生涯と

人がともに過ごすということは、

生きることはどういうことかを

おのずと考えさせられます。

 

「アリス、生を楽しみなさい」

 

「パパもね」

 

「アリス、強く生きなさい」

 

ぼくたちがアリスに7年間、

話してきたことは彼女の魂とともに

どこかへ失せるのだろうか...

 

ママがレオくんに7年間、

話してきたことは彼の魂とともに

どこかへ失せるのでしょうか。

 

※レオくんとアリスは、

闘病した年数も旅立った年齢も

ほぼ同じです。

 

「ママもね」

 

そうじゃないよね。

 

彼とママの時間は、

ママの中にも、

彼の中にも生き続けている。

 

 

「遅いよ、エルちゃん捜すんでしょう?」

 

「大津のどこだったっけ?」

 

こんな哀しみ、

痛みからはどうやっても逃れられない

と思っていたことでさえ、

一年、三年と歳月が過ぎれば、

笑うことも、

山に向かって、

アリスー!、

とできるようになります。

 

しかしそれは

哀しみを忘れたことでは

ありません。

 

アリスの心が

ぼくの身体のどこかに残っている...

 

そう考えないと、

別離して行った

イヌたちの生が切な過ぎるし、

そのイヌたちの

生の尊厳を失ってしまう。

 

「アリスちゃ~ん!どこー?」

 

「ここだよ、レオくん♪」

 

「一緒に走ろうよ!ママが見えるところまで」

 

「駆けっこなら負けないぞ!」