よくいろんな人が「空気みたいな存在になりたい」なんて言っているのを聞くと「私はそんなもんになりたくない」と思うのは身勝手なB型(←何でもひとくくりにしたがるタイプ、私。)の言い分なのだろうか。「空気みたいな存在」なんてなりたくないし、自分の大切な人たちにもなってほしいとは思えないんだな、私は。空気って常に意識しない。そこに"あって当たり前"のもの。空気が薄くなったときに始めて「ん?何か苦しくない?」って思い始め、なくなっときにことの重大さに気づいたりする。そんなん嫌やー、とワガママながらに思う。大切な人らを失って「あ、やっぱりあの人私にとって空気みたいな存在やっただけで、本当はすっごい必要やったんや」なんて気づいたって遅いだろ。別に常に相手に感謝をして生きるなんて大それたことは私もしないけど、それでも「あー、空気があってよかった!ありがとう!」なんて空気に感謝しないのと同じで、空気みたいな存在なんてなってしまったら「当たり前」だと思われるわけだ。感謝も何もあったもんじゃない。やっぱり、私はそういうの嫌なんだよなー。常に感謝してくれとは言わんし、当たり前だと時には(いつもはヤダ)思ってくれてもいい。ただ、私がそこに「いる」という事実だけはやはり忘れて欲しくない。そしてそれは私が家族なり友人なり、お連れ様なりに対してもそうありたいと思うこと。父母なんて生まれたときからいてくれて、確かに「空気みたいな存在」に一番近いとこにいるのかもしれないけど、それでもやはり空気みたいな存在には彼らをしたくないしなぁ。世の中にはそりゃ、「空気みたいな存在」に憧れてる人も多いだろうし、別にそれを否定するわけじゃないんだけど、私はやっぱり空気みたいな存在になんてなりたくもなけりゃ、人に空気みたいな存在になって欲しいなんて思わないんだなー。何か、ふとした会話を通して改めて思ったので書いてみた。
友達に対してってよりも、恋愛に関して使われることが多いけど、恋愛だったら尚更私は空気みたいな存在なんてなりたくないし、なって欲しくもない。何も考えなくても当たり前のようにそこにいてくれるなんて都合のいい存在になんてなりたくない。(まぁ、実際には当たり前と思ってくれてるときはあっても良いが。)ひねくれた考え方だと思う人もいるんだろうけどね。「空気みたいな存在=なくてはならない存在」っていう取り方もできるんだろうし。そういう取り方もあるっていうのもわかった上でも、やはり空気はやなのさ。必要不可欠な存在っていうのにはそりゃなりたいけどさ、でもやっぱりちゃんとそこにいる事実はいつも考えて欲しいんだよなー。忘れて欲しくない。「いてあたりまえ」じゃなくて、「いて欲しい」と思って欲しい。私の勝手な言い分で、もしこの考え方が世間様とかけ離れた考え方だとしても、私はやっぱり空気はやだなー。空気以外にも必要不可欠な存在ってあるじゃん。好きだからそこにあって欲しいみたいなもの。空気は吸いたい吸いたくない関係なく基本的に生物が吸ってるものだけどさ、例えば珈琲みたいな。飲みたいなと思って飲む、それがないと何か1日が始まらない・・・みたいな。そんな存在の方が私は空気よりも嬉しい。
別に、空気みたいな存在になりたいって人を否定してるわけでもなければ、人によったらそういう関係って素敵なんだろうなとも思うけども。
ちなみに、別に「空気みたいな存在だ」とお連れ様に言われたわけではないので、悪しからず。そんなこと言われた日には普通に、「は?意味わからん。私は空気じゃない。」と冷たく答えると思われる(笑)
さて。本日は一日中しとしとピッチャンと雨が降っており。なぜだかMP3に入ってる「雨がやまない」がこんな日にはすっごいお似合い。天気予報は外れてないけど。