新元号、令和になって早くも5日です、おはようございます、古山です
ご存知?故郷のない私たち夫婦、そして4月末までにどうしてもまとめたいことなどがあり、GWは特に遠出はしておらず、早寝早起き健康習慣続行中です。
まだ不慣れなブログは早朝に書くことが多い…
唐突に自己紹介続き。
社会人、スタートは今は無きユ二クロ横浜松坂屋店での販売業
↓
約1年で辞めて東京・大丸のデパガ
↓(大学時代から付き合っていた彼氏に遠距離の末フラれ、精神的ダメージが大きく仕事を辞める)
約3年で辞めて小さなアパレルの営業
↓
約4年で辞めて薬局とドラッグストア展開の会社へ就職
↓結婚
約6年勤め妊娠を機に退職。
と、まぁこんな感じ。
転職はけっこうしているのですが、どの職場でも英語使ってたなーと思い出されます。
(あと、すべての職場で現在でもお付き合いのある素晴らしい人間関係が築けているなぁ)
見て分かる通り、私は主に接客販売の仕事をずっとしてきたわけなのですが、段々と年齢を重ねていくごとに「自分は人の名前や嗜好などを覚えるのが得意」だということに気づきます。
デパートの婦人服売り場にいたときぐらいから何となくそれは感じ始めていて、個人売上というノルマがある仕事だったので、それはもう熾烈な競争の世界ではあったんですけども、お客様にも仲間にも先輩にも恵まれて予算はいつも達成してました
(…露骨にお客様取った、とか取られた、とかで険悪な雰囲気になるなんてことも他の売場では聞いていたけど、私の部署は先輩方が心が広かったのでおおかたそういうのは無かった。)
成績も良かったし、デパートで働き続けると思っていたのですが、思いもよらない大失恋が私を襲い、精神的におかしくなってしまって辞めざるを得ない感じに…
当時26歳でしたが、4年間付き合っていた人がいて、そのうちの2年間が仕事の都合で遠距離でした。
毎月1度、新幹線に乗って会いに行く、という生活をしていましたが、実家がお互いに横浜なので私がその彼の実家に一人で遊びに行ったり、私の家族にも紹介していたし、年齢的にもそろそろ結婚か…と誰しもが疑っていませんでした。
が、しかし。
GWに彼の実家へ誘われてみんなで食事などして楽しく過ごした1週間後に突然別れを切り出されました
遠距離でしたからね…気づいていなかっただけで、先方には私と天秤にかけていたであろう、違う彼女の存在があったようでした…
今でこそ、こんな風に振り返ってブログのネタになんてしちゃってますけど、あのときは本当に死にたいとさえ思いました…。(あー、死なないで良かった!)
なかなかその現実を受け止められない若かりし私は、何を思ったか、離れているのがいけないんだと思いこみ、相談もなく会社を辞めることにしてしまい、彼のいる愛知県へ引っ越そうと思ってしまったわけです。
…コレ、ストーカーでしょ。
当時愛知にいた友達を頼って、アパートの仮契約までしましたから、本気で彼の心を取り戻せると思っていました。今考えると本当にアブナイ。
あぶない刑事 ならぬ あぶない梨花…。うわー。
でも、親にバレて止められ、相手にも当然拒否られ、その計画は不発。
仕事だけ失ってしまった私は、働かないと、ということで小さなアパレルメーカーへと転職しました。
麹町や半蔵門といった都内でも皇居に近い富裕層エリアに会社もお店もあったので、規模は小さいのに販売にはデパートのときのような苦労もなく、パートの販売員さんも育ちの良い女性ばかりでした。
私は若い方だったので、本当に皆さんに可愛がってもらったなぁ。
お酒も強かったので、ステキな大人の女性がそれまで私が行ったこともなかったお店や有名ホテルのラウンジなどに毎週のように連れて行ってくれました
横浜の実家に帰ることがだんだん億劫になっていた私は、千歳烏山に住んでいた大学時代からの親友の家に転がりこんで、2人暮らしを始めます。
20代後半で彼氏ナシ、酒好きの女2人がやることと言えば…。
ほぼ毎晩飲み明かしていました
ぜったいもうあの頃のような生活はできないだろうな、というくらい飲みまくっていました。
本当に本当に楽しかったんだけど、心のどこかでこのままではダメかも、と思ったのか部屋の更新のタイミングもあったか、2人暮らしは解消して会社に近い、市ヶ谷駅界隈に一人暮らしを始めました。
普通の独身会社員の私が住むには、家賃の相場がお高めのエリアだったので、極小のワンルームでユニットバスがあるだけの殺風景な部屋に85000円を毎月払って暮らしていました。
まぁ、でもやはりここでも楽しい思い出ばかり。
路面のブティックは店員が私1人だったので、ご近所の方がお弁当を作ってもってきてくれたり、お宅に招かれて夕飯をごちそうになったりしました
特別に私を可愛がってくれたのは弁理士事務所経営のご夫婦、市ヶ谷にある十番というお店のご家族、一番町に住んでいた会社の先輩。
この皆さんのおかげで視野も広がり、知らなかった世界をたくさん見ることができたと思います。
経済的にも精神的にも本当に豊かな人というのは穏やかで、優しいのだと感じます。
一般的に高級、とされる様々な場所へ連れて行ってもらったり、私のお店の洋服もたくさん購入してくださいました。
デパート時代に培っていた顧客管理の仕方に基づいて最初はお客様に接していたのですが、例えば…お名前を覚えていて再来店のときに呼びかける、お礼のハガキを1枚出す、お誕生日が近いお客様にご来店のときにひとことお祝いの言葉を伝える、などなど
こういった私の中では当たり前だったことを、とてもとても喜んでくれたのがブティック時代のお客様や、お世話になった方々でした。
小さなことをとても喜んでくださるので、私も仕事として機械的にこなすのではなく、お客様のことを思い出して何かをすることがとても楽しかったです。
デパートのときはやはり数字も背負っていたのでリターンを考えてしまうこともどうしてもありましたが、この小さなアパレルではそのプレッシャーもありませんでしたので、お客様一人ひとりに対してまるで恋人のような気持ちを抱いていたように思います。(笑)
今思い出しても、私の根底にはこの意識があるように思います。
関わってくれたみんなが私にとって特別な存在なのです。
長くなったのでつづく。