来年4月で社会人になって40年になります。

 

これまで職歴は綺麗な方ですね。人材紹介業の自分から見ても、まあ比較的綺麗な職歴です。

40年で転職2回ですから。2社目は1年しかいなかったのはありますが、最初が23年、今が16年になります。

 

無論、努力や忍耐もありましたが、基本的にはラッキーだったと言えると思います。

 

私は社会人としての専門性は全くなかったです。営業、間接部門、新規事業、分社化、人事政策、経営企画、IT、物流、まあ何でも屋ですね。上場準備もありましたね。今の人材紹介業が仕事しては1番長く10年になります。領域は必ず、メディカルヘルスケア領域だったので、これだけが救いでしたね。

 

最初に転職するときに、リクルートに友達がいて、その人経由で個人的に相談したことがあったんですが、あなたのような人は普通、転職しないんですよね、って言われて、でも転職すること決めていいたんで、3つくらいは内定もらって、結局先輩がいった会社に行ったんですが、これが大失敗でした。

 

結局1年で辞めて、今のグループに入ったんですが、まあ何とか首がつながった感じでしたね。

でも1年で辞めた会社での経験は結構その後の役には立ちましたね。

だれも手伝ってくれなくて、上場準備だったんですが、営業に事業所外の見なし労働の締結していなくて、監査法人から未払い債務だから、2年間遡って、時間外給与支払うように言われて、たしか10億円くらい払う羽目になったんです。

 

そんな金ないから、一筆同意書とって、一時金支給でしのぐように弁護士からアドバイス受けて、当時営業員が300名くらいだったですかね、マネジャー連中使って、同意書取り付けたんです。弁護士も自分で探してきて、結構大変でしたけど、ほぼ一人でやりましたね。

 

その後、勤務時間管理の仕組みも全部自分で考えて、その後はそれで対応してました。でも上層部と仲悪くて、とんでもなく嫌いなやつがいて、そいつに10%報酬カットと言われて、ふざけるなと思って、転職することにしたんです。

 

そもそも転職する時点で年収が下がっていて、それでも先輩の顔もあるから転職しましたけど、その先輩も先にやめてしまうという最低の状況になって、3社目を目指したということです。

 

結果的に今のグループに決まったんですが、想像ですが、2社目の企業の買収の計画があったような感じでしたね。それで1社目の年収水準に復活して、入社できました。その意味ではラッキーでしたね。

 

今のグループでも何回か異動してますが、結果的に今の人材紹介の仕事でいろいろやってきたことがいい方向につながって、メディカルヘルスケア専門の人材紹介という専門職になれた次第です。

あくまでも結果論で、専門性を身につけることができたという感じです。この人材紹介の仕事もだれも何にも教えてくれないし、というかだれもできない状況で(いまでもほとんどの人が年間数名の実績しか作れてないです)、聞く人もなく、何となく始まったんです。

 

最初は右も左もわからない状況で、でもその領域の仕事ならほぼ理解できる状況だったのが大きかったですね。転職サイトを有効に使って候補者を探して、クライアントは、結果的には、極端に多くの企業に紹介するというよりは、少ない企業に深く刺さるタイプの人材紹介で、10名以上紹介している企業が結構あります。だからその企業のことはかなり知ってますし、自分が紹介して、入れた人からも情報取集できました。企業は数万人の企業も結構あります。逆に小さいところはあんまりないです。

こういうのもラッキーでしたね。そういう意味ではいつでも綱渡りでしたが、ラッキーだったと言えます。

神棚は買いましたけどね。

 

皆さんも、じっと見て、他の人と違うようにどうやったらできるか、いつでも考えて、私利私欲に走らなければ、そして神棚買えば運が開けるかもしれません。腐らず、焦らず、あきらめずですかね。