2016/12/07 | 心を軽くして縁を繋げる画家カラーセラピスト Saya.

心を軽くして縁を繋げる画家カラーセラピスト Saya.

心が反応したことや物について皆さんと共有できるblog。画家活動、作品の製作やイベント情報、セラピストとしての活動とイベントを発信中♪

本日も絶賛配達中。
今日は搬入のみなので楽チン
(*´∇`*)

ただ慣れないのは電車移動。

あいもかわらず
人混みに出ると
ワタワタして
神経が過敏になる。
ミナミはキツいわぁ。
( ノД`)…

キタエリアや
三ノ宮なら抜け道を
知ってるのでわざわざ
人混みに紛れることはない。

京都なんかも小路使えば
スイスイなのだ。
ただ私有地と
見分けがつかないこともあるので
要注意ではある。
あとは近頃障害物があるときが。。。
(;・ω・)

きっと迷惑行為が
あったんでしょうね。

さて、京都へ行き、
天満橋まで帰って来て
遅いお昼とコーヒーブレイク中、
次の構想を
練っていたのだが
目と耳を使わない芸術を
心が動かされることや
肌や身に感じるには
どのアプローチで
万人平等に伝わるかを
思い描いてみた。

だが、人並みの思い付きしかない。
聴覚、視覚を抜いた場合
残るは3つの感覚。
味覚と嗅覚、触覚なのだが
ひとつ間違えば
大惨事にもなりかねない
味覚は無視するとして、
嗅覚と触覚が
メインになるのではないか。
はてなマークはてなマークはてなマークはてなマーク

途方もない妄想が
また溢れだしてきて
現実味を遠ざける。ショボーン

そもそも
なんでそんな事を  
考え始めたのかと言うと、
人の作品に触れて
なにかを感じたり
考えるきっかけになったり
そんな何気ないことは
みんな当たり前なうえ
平等で成り立っているはず
だが、芸術においては
万国共通の展示法で
何ら変わっちゃいない。

未だレコーダーと
点字解説に頼る始末で
どんな風に描かれているかとか
何を描いているかは
言葉というツールで
理解しているだけに過ぎず、
感じるとは少し縁遠いように思う。

絵を表す方法として
近年やっと
絵の形に点字が立体でもって
浮き上がる機械が開発試験されている。

そう。
この段階でも
開発試験な訳です。

中世から残っている
美術品などは
後生にも残していくため
ケース内での展示と
レコーダー類を
頼らざるを得ないが、
これからの現代アーティストは
その垣根を壊せる気がする。

私の場合は
紙と手芸を
合わせること多いけど
人によっては
インクに香水を混ぜてみたとか
紙の水張り工程時に
水でなくコーヒーでやってみたとか
そんなの聞いたけど、
どれも結果は散々だったようで。

なんかこうしてみると
デザイナーとかアーティストは
マッドサイエンティスト的ですね。
Σ(゜Д゜)