映画館で見逃してしまったグランツーリスモ。AmazonPrimeで(会員なら)無料で見られた。ラッキー。

 

 グランツーリスモはゲームを超えたレースシミュレータだ。ダニーはゲームのプレイヤーを本物のレーサーに育てるアカデミーを日産に提案し承認される。イギリスの元サッカー選手の息子でゲーマーのヤンは、父親の期待に応えられず部屋にこもりグランツーリスモに打ち込む日々を過ごしていたが、ある日ヤンのアカウントへアカデミーの招待状が送られてくるーー 

 

 思ったより、というかなんというか、日産ニッサンNISSANな映画だった。映像が素晴らしくて、街の表現がとてもいい。グランツーリスモもゲームコンソールはお洒落な表現だが、東京の摩天楼のイメージと小汚い居酒屋のイメージはとても興味深かった。外国人にとっての東京っていうのは、未だにカーズ2(だっけ?)に出てくるイメージのままらしい。久兵衛で寿司食ってたなぁ。

 ストーリーは平凡でセリフまで予想通り。クラッシュのシーンは有名な1999年ル・マンのミュルサンヌで起きたメルセデスが空を飛ぶというクラッシュを再現したうえ、改悪のエピソードまで付け加えられていた。どのレース映画にもついて回る「レースは危険である」というメッセージは、それを乗り越える過程を含めて映画のエッセンスにはなるのだろうけど、毎回見せられるレースファンはいい気持ちはしない。なぜなら、危険はレースの一部であって、特別なことではないからだ。映画のストーリーで特別さを出そうとすると、死人を出さないといけない。そうすると、見ているレースファンは胸糞が悪くなる。

 ライバルチーム「キャパ」のダーティさもレース映画の定番だが、「レースの厳しさを教えてやる」(というセリフだったかはうろ覚えだが)と繰り出してきた技はプッシングというダサさ。安易でプアだ。それよりも、キャパは金持ちだが努力家で常にトレーニングをしている、そのキャパに勝つーーというシナリオのほうがおもしろいのではないか。

 「ゲーマーレーサーがプロのレーサーになる」というテーマについても掘り下げ方が浅くて不十分。体力的な課題、メンタル的な課題、パブリシティの課題、それぞれ「課題がある」という提示はあったが内容が薄く、課題を乗り越えないまま次に進んでいっていて消化不良を起こしていた。その辺が本作のテーマなんじゃないの?


 レースファンからするとグランツーリスモ出身の選手がいることは知っているものの、トップカテゴリーで目覚ましい活躍をしたという記憶はない。つまり、結果は芳しくなかったのだ。芳しくなかったということは、課題は解決されずに残っていたのだろう。もしかするとその辺がこの映画の歯切れが悪いところなのかもしれない。

 

 どうなんだろう。ゲーマーがレーサーになった、それだけですごいとするのがこの映画なのだが、ゲーマーがレーサーになり、生粋のレーサーたちを打ち負かしてチャンピオンになれた。とするほうが夢がありそうだが、だがまだ現実にはそういうレーサーは出てきていない。

 母数でいえば、子どものころからカートに打ち込んで、ライバルたちに競り勝って勝ち上がってくるレーサーたちよりは、グランツーリスモにハマってレースを楽しんでいる人のほうが何十倍も何百倍もいるだろう。だがそんなゲーマーレーサーが本物のトップレーサーにかなわないということは、まだまだゲーム上の競争のレベルは低いのだと言わざるを得ない。しかしいずれゲーム出身のチャンピオンは出てくるだろう。おそらくこの映画を見て、グランツーリスモの延長線上に本物のレースカテゴリーがあると認識した人たとの中から出てくるはずだ。

 

 ちなみに、F1は世界中のサーキットを転々とするので、1つのサーキットを走るのは基本的に年1回。以前は木曜日から練習走行が行われて、土曜日に予選、というスケジュールだったのだが、今は日程が短縮されグランプリウィークは金曜日からになっている。しかもスプリントがあるときは金曜日の練習走行はたったの1時間だ。

 こんなルールはサーキットを初めて走るドライバーに物凄く不利だ、と思えるのだが、実は彼らはグランツーリスモよろしくレースシミュレータで何百周も走りこんでからサーキットで実走しているため、あまり問題がない。実際のトップドライバーはコースを走ってすぐにベストラインを見つけられるという才能も相まってこの短縮スケジュールが実現できているのだ。