注)原作漫画は読んでいない

 事故で圧壊した自衛隊の潜水艦「やまなみ」だったが、館長の海江田以下乗組員は脱出し米国にて建造された最新鋭の原潜「シーバット」の乗組員となった。海江田は原潜を「独立国やまと」と名乗り第七艦隊と対峙するのだったーー

 

 

 感想を書いていなかったが、正月に「ニッポン放送開局70周年記念 ラジオドラマ『沈黙の艦隊』」を聞いてしまった。潜水艦の物語だからラジオドラマがぴったり。臨場感があって、迫力があって素晴らしかった。

 

 ラジオのあとにドラマを見ると、目で見えてしまう分違和感が強調されてしまって映像が邪魔だった。音だけだと、第七艦隊が原潜1隻にチンチンにされるって、そんなわけないけどもしかしたらそういうこともあるかもしれないな。という変なリアリティがある。たくさんの艦艇が見えないので脅威には感じない。だが映像になるとあれだけの艦艇を引き連れて対潜ヘリすら飛ばさない第七艦隊、空母に合わせて前に進むだけのイージス艦の絵がマヌケすぎてシラケてしまう。

 口だけで本気で戦わない第七艦隊だったとしても、普通なら原潜1隻でかなうわけがない。なぜやまとが負けないのかというと、やまとには魚雷が決して当たらないのだ。これも、目に見えてしまうとしらける・・・物語の最初の頃は魚雷の目を欺こうとするシーンがあったと思うが、最後の大海戦では魚雷はまっすぐしか進まない。たつなみにぶつかってもやまとをかすめても一発も爆発しない。普通なら直撃しなくても磁気信管でドカン!のはずだ。

 

 このように映像になってしまうとしらじらしさが増してしまった。別に映像が悪いわけではないのだが、むしろ映像作品としては頑張ってるほうなのだが、想像でシーンを追えるラジオドラマのほうがハマり過ぎるのだ。

 

 映像はさておいて、核の抑止力を備えた原潜が独立国として日本と同盟を結ぶっていうくだりは、、これがくだらない。だから漫画のネタになるのだが、ドラマ化して真面目そうな大人が一生懸命演じると白々しくて、バカげたテーマであることが強調されてしまう。Netflixということは、世界中に配信されるんでしょう?日本人の頭の中はどうなってるんだ、と、心配されてしまうことは間違いないだろう。

 「やまとと自衛隊の指揮権を国連に預ける!」という竹上総理の宣言なんて、日本人の平和ボケ、お花畑思想でしょう。マンガやラジオドラマなら鼻で笑って済むところを、総理役の笹野高史さん、演技がうまいんだから本気でこんなこと考えるやつが日本にいるのかと驚かれてしまうのではないか。

 

 作中では明らかにされなかったが、やまとは核ミサイル。持ってないんでしょ?つまり言いたいことは日本とやまとはとことんクリーンで、核っていうのは脅しでしかなくて実際には使えない、使ってはいけない兵器である。核を使ったアメリカは悪、核による威かくはするな、核による安全保障、核による平和などまやかしだ。核を廃絶せよ。唯一の被爆国である日本のいうことを聞け、日本は平和を愛する国家だ!ということなのだろう。ーーー少々気持ち悪い主張だ。

 

 核というものは実際には使えない兵器なのだから、持っている「フリ」だけして、相手に決定的な攻撃をさせなければいい。なかなか面白いアイデアだが、これは結局は核の傘という考え方と似たような考え方だ。

 フリがバレて核の傘がなくなったらどうなるか。ウクライナを見てみれば分かるだろう。


 この辺の話は、動物が進化の過程で繁殖の争いなどで同じ種のオス同士が戦う時に、死に直結する怪我を負わないようにルールに従った喧嘩をしたり、角などの装飾品が大きいほうを勝ちにする、というった仕組みによく似ている。もちろん角はコストをかけた(栄養をたくさん使った)巨大な角を持つほうが勝つ。そう考えると、人間は徹底的に動物なのだと感じる。

 そもそも社会なんて人間の動物本能の塊なのだから、それで万物の霊長などと偉ぶっているのは傍目からみたら恥ずかしいよなぁ。海江田というのはその恥ずかしさの権化みたいなものだろう。