3歳からスイミングスクールに通っていて高校は水泳部、大学は一年生の間だけライフセービング部という海難救助のサークルに入っていました。

そのままライフセービング部で頑張っていても良かったのかもしれませんが、サークルの主な活動場所が湘南の鵠沼海岸というところで、遠かったというのと、そろそろ泳ぐ以外のこともしてみたいということで、2年生の東京の校舎に進級したのを機にライフセービング部を辞めて、演劇同好会というのに入りました。

何で演劇同好会なんだろうと今、後付けで理由を考えてみても…ハッキリとした理由が思いつきません。

当時はまだ芝居なんてほとんど見に行ったことがなかったし、中高生時代に特に文化祭で演じる喜びを感じた、とかもありません。

ただなんとなく、カッコいいかなぁと勘違いした、というのが一番の理由でしょう。人生はだいたい勘違いの連続ですから。

それと、多分、人前に出て話すのが苦手だったり、対人恐怖症だったりしたので(今もそうですが…)、それが演劇の練習を通してちょっとは良くなるんじゃないかと思ったのだと思います。


まあ、そんなこんなで演劇同好会に入ったのですが、2年生から入ったので最初は周りにうまく溶け込めず、あまり状況もわからぬままに定期公演に役者として参加することになってしまいました。

貰った役が「常に笑って踊る妖精」。4人ひと組で動く妖精たちのひとり。

4人のうち2人は芝居に慣れた先輩、1人は勘と間合いの取り方が絶妙に上手い同時期に入部した1年生。

そして、演技も踊りもしたことがない勘も間も悪い私。


下手どころの騒ぎではなくて、お客に対してお尻を向けちゃいけないとか、腹から声を出すとか、基本的なことが全然わかってないので、怖い上級生の女性の先輩に叱られて、怒鳴られて、いびられて、泣きたいんだけれども笑う妖精の役だから笑ってないとまた怒られる…泣きそうな顔で笑いながらヘタッぴーなダンスを踊り、注意され、注意されながら笑っている…という今考えると地獄のような練習の日々。


まぁしかし月日は流れ、何とか、カタチになっていざ当日。

確か3日間5公演くらいあって、連日会場は学生劇団にも関わらず全キャストの親類縁者、友人知人が集まって立ち見が出るほどの超満員。上がり症にはたまらなく、逃げ出したい状況…。


そして、2日目くらいに飛んだハプニング。


ポケットに持っているはずの小道具がナイナイナイナイナーイ!

焦りすぎて、アタマは真っ白、セリフはぶっ飛び…明らかに「素(ス)」状態。それでもなんとか何かしゃべらんと!と思い、全然、セリフと違うことを言ったら、妖精役の先輩がなんとか繋いでくれて、その場をギリギリ乗り切りました(って全然乗り切ってないんだけれども…)。


その後、かなり落ち込みまして、上手くなりたい思いで毎週多い時は4本くらい芝居を見に行きました。

約2年間で100本以上かな?

が、結局、上手い人を見れば見るほど自分には演者は向いていないと思い、本公演に一回、新入生歓迎会の舞台に一回(その回子ザル役で唯一主役を演じました^^;)、出演した後、照明班で照明を吊ったり、スモークを裏方で炊いたり…の裏方を多くやるようになりました。


それでも、裏方でも演劇の基礎の練習には一応参加はしていて、発声や筋トレ、表現力を付ける練習、即興コントなどなどは3年生の終わりの就職活動と言って逃げれるくらいの頃まではやっていました。


結局、卒業時の私は演劇同好会に入って演技が上手くなることもなく、ダンスが上手くなることもなく、対人恐怖症を克服することもなく学生生活を終えました。


がね、今になって、年を取るに連れて、あの演劇の基礎トレーニングが自己啓発的な訓練にはなっていたのかな?と思うのです。


笑うのが得意というワケではないですが、笑う練習をしたのは仕事に就いてから、いくらか役に立ってますし、ちょっとこの仕事ツライかなと思う時はコントやってた時みたいに演じてると思えばいいんだと思ってなんとかくぐり抜けることが出来たこともあったし、そういうのは後からジワジワ良かったかなーと思えるようになりました。


あとは芝居を見る楽しさを覚えたのはほんとに良かったと思います。少し関わっていた分、裏方さんの気持ちも僅かながらに分かりますし面白いです。ここ10年くらいはあんまり見に行けてなかったんですが、最近、少しずつまた芝居を見に行っていて、やっぱりイイなーって思います。


学生当時はただツラい、なんで演劇同好会なんか入っちゃったんだろうとしか思えなかったんですが、年を重ねるごとにあれは良かったんだよなー意味があったよなーと思えるようになってきましたよ。


クレア自由が丘治療院
平田 恵弓