私は母から
”延命治療はしたくない”と生前、聞いていました。
自分がもう何も分からない状態で
機械に繋がれて、
無理やり生かされるのは嫌だと。。。
亡くなったおばぁちゃんを看取った時に
話してくれました。
おばぁちゃんは老衰だったので、
点滴のみだったけど
臓器が弱って、呼吸も弱くなって、心臓が止まる。
それを皆で見守っていたんだけど、
”死ぬのを待っている”ような感じがして
すごく嫌な気持ちになったと。
私が病院に到着した時
母はすでに機械に繋がれていました。
姉、父、母の兄弟で話し合ったそうですが、
父の強い希望で
延命治療をお願いしたそうです。
姉や、
おばぁちゃんを一緒に看取った母の妹は
もう休ませてあげたいと言ったそうです。
私がその場にいたら
どうしただろう。。。
母の意向は伝えても
やっぱり父同様、
少しでも長く生きてて欲しいと思ったと思う。
5月9日
母が倒れた翌日。
朝帰宅して、
旦那さんはそのまま出勤。
お洗濯を終えた10時ころ。
父から
「血圧が下がってきたから、もう危ないかもしれないって」
と電話。
枯れ果てたはずの涙が溢れる。
出勤したばかりの旦那さんに電話をして、
しゃくりあげながら
喪服の準備をしました。
もしも亡くなった場合、
すぐにお通夜、お葬式になってしまうから、
家に帰ってくる時間がないと思って。
母の状態を見たからだろうか。
涙が出て、息苦しくなっても
そんなコトを考えることができました。
帰ってきた旦那さんが
「喪服は準備するものじゃない」
と言うので
喪服は持たず、病院に向かいました。
病室には、すでに親戚一同集まっていました。
看護師さんが申し訳なさそうに
「血圧が急激に下がったので、皆さんを呼んでいただいたんですが、
もともと血圧が高くて、下げるお薬を入れたら効きすぎたようで。
血圧が下がり始めると、そこからは早いので、お声をかけていただきました。
すみません。」
そんな説明を受けてから
私たちは、モニター画面の血圧数から目が離せなくなりました。
この日、
集中治療室から個室に移動し
付き添いが可能になりました。
5月10日
自宅から、高速で1時間ちょっとの距離。
毎日通うのは大変なので、
とりあえず3日分の着替えを持って病院に向かいました。
姉は、パートがあるので午後から夕方まで。
私は、帰る家もないので、病院で寝泊まり。
夜になり、
父に、家に帰って少しでも休むよう言いました。
が、
帰ってる間に何かあったら・・・
と言って、帰りません。
私も、自分の家にいたら
もしもの時に間に合わないと思ったから
病院にいるので、父の気持ちはよくわかります。
病室には、ソファベッドが一台しかないので、
父に寝てもらい、私は丸イスで壁に寄りかかっていました。
2時間おきに、看護師さんが身体の向きをかえにきてくれて
口や鼻に管を通し、たんを取り除いてくれます。
ほとんど眠れませんでした。
身体の向きを変える時
足がピクピクと動きました。
物のような雑な扱いをする看護師さんがいて
父がその足を擦りながら
「嫌がってるから、もっと優しくしてやって。」
と言うと、
看護師さん「ただの反射です。」
その看護師さんがたんを取ると
透明なチューブがピンク色になります。
長いチューブを鼻や口に入れて、中を突くように動かすので
多分まわりが傷付いて、血が滲んでいるのだと思います。
名前を呼んでくれて
「ちょっと我慢してね」
と言いながら、優しくやってくれる看護師さんもいました。
されるがままの姿を見て、
私は、お母さんに申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
きっと母は、
おばぁちゃんのこうゆう姿をみて
自分は、延命治療はしたくないと言ったのだろうと思いました。
延命治療は
残された家族のエゴだ。。。
そう思いました。
私の旦那さんや、姉の旦那さん・息子がいる前で
オムツが汚れていないかのチェックをされた時にはショックでした。
父も嫌だったと思います。
看護師さんも女性なのに。
「男性は席を外して下さい」の一言があってほしかった。
看護師さんにとっては
当たり前の作業の一つかもしれないけど
意識のある患者さんだったら、
男性がいる前でそんなことしないですよね。
憤りと同時に、
申し訳ない気持ちがこみ上げてきます。
嫌だよね。お母さん。
お母さん、本当にごめんなさい。
こんなことしてほしくないよね。
延命治療を望んでいないコト、
皆に伝えられなくてごめんなさい。
何をされても、
されるがままの母の身体。
機械に動かされている身体。
これで生きていると言えるだろうか。。。
そんな風に思う私の隣で
父は、母の身体を擦りながら
「意識はなくても、こうして看病ができてよかった。
あのまま焼かれて、身体まで無くなったら何もしてあげられなかった。」
と言う。
最初は
「寝たきりでも何でも、話ができたら、どれだけいいか。」
と何度も何度も言っていましたが、
2日、3日と経つうちに、父の気持ちも変化しました。
少しずつですが、
母の状態を受け入れられるようになったのだと思います。
母のいる病室で葬儀の話をする姉に
「廊下に出よう」と言うコトもなくなりました。
延命治療は、間違いなく
父の為のものだと思いました。
そんな毎日が5日間続きました。
食事は、3食売店のおにぎりか、サンドイッチ。
夜は、丸イスでの仮眠。
仮眠中も、2時間おきに看護師さんがきてくれるので
目が覚めます。
疲れがピークを超えていました。
そんな時、看護師さんから
「オムツや尿とりパッドなんですが、今まで病院のものを使っていて、
治療費と一緒に請求されるんですが、
売店で買ってきてもらった方が安いので、もしよければ準備して下さい。」
と言われました。
それを聞いた姉
「だったら最初から教えてくれればいいのに
」
「早い方は、2.3日で亡くなるので・・・。
でもまだ状態が安定してるようなので、お伝えしました。」
それを聞いた時
私すごく残酷なコトを思ってしまいました。
”早くて2.3日、長くて2週間”
と言われ、今日は7日目。
入院が長びくであろうから、
看護師さんは、オムツの購入をすすめてくれたのだ。
今日で一週間。
あと何日、この生活が続くんだろう・・・・。
長くて後一週間。。。
眠れないって、こんなに大変なんだと
初めて体験しました。
気力も体力も限界でした。
このままでは、
私が倒れちゃいそう。。
その日の午後、
父に頼んで
実家に行かせてもらいました。
家の中は
5日前と何も変わっていませんでした。
たまっていた父のお洗濯を済ませて
ひいたままの母の布団に横になりました。
身体が重く、
床の下まで落ちていくような感覚でした。
携帯の着信で目が覚めました。
父からです。
落ち着いた声でした。
「そろそろみたいだよ。」
時計をみると、3時間が経過していました。
しばらくして
母は亡くなりました。
あぁ。。。
私なんてコトを思ったんだろう。
きっと
お母さんに伝わっちゃったんだ。
”死ぬのを待ってるみたいで嫌だったよ”と言った
母の気持ちがよく分かりました。
母は、残された家族に
そんな気持ちにさせるのも嫌だと言っていました。
だから。。。
私がそんな風に思ってしまったから。
そんな風に思ったから逝ってしまったんだ。。
お母さん、ごめんなさい。
望んでいない延命治療をさせてしまったくせに
あと何日。。。なんて思ってしまって、本当にごめんなさい。
この経験をして
私も延命治療はしてほしくないと思いました。
自分も嫌だし、残った家族にも色んな意味で負担になると思う。
父は満足していたけど
姉は「意識がなくなった時点で、もう死んでる人だと思ってた。」と言っていました。
長く病気を患っていたのなら、考える猶予があるけど
母のような突然死の場合、すぐにすぐ答えを出すのは難しいと思う。
元気なうちに、
そうゆう話し合いをしておくのも必要だと思いました。
長文をお読みいただいて、ありがとうございました。