今日の出来事 両論批評 -8ページ目

フランス革命以降長い年月は形式の下から脱却した僅かな内容に多くの主張を許してきた。
独り歩きを始めた内容はとうとう自らの母体であった形式は単なる言葉であるというところ
まで至っている。

多くの民はまだ見ぬ聖地に何を想う地獄か極楽か!解放された内容は次の形式を創り得るか?
何れにせよ解放された個人の聖地はまだ人類が経験したことがない世界であることは確かである。

目の前にある対象全て破壊(ここでは文句を付ける事)する、不平家などその様なものである。
破壊は進む !しかし半端な精神が行う幼稚な破壊は全て言いがかりを付ける程度に止まる。
自分自身に破壊を行うまでには決して至らない!文句など付ける気になれば簡単なのだ。
自分自身を破壊出来なければ本物の評価など出来やしない!

今何処に限らず不平家は増え続けきた、個人の主張を見方に付ける不平家は
何れ自分の国が崩れ始める姿をみよう!そして自ら招いた不平に対しまた
不平を言うだろう!

よく分からない!よく分かる様なら今の北朝鮮はありますまい!

そもそも発明した技術は誰のものか!人間の認識から離れて考えれば
発明品は存在していて人間の直感に語りかけ自らを造り上げる技術者を発明品自ら呼び集めたとしたら !
作り得たということはそもそも既に存在していたのかもしれない!

著作権法などという現代に作られた言葉の背後に何やら大きな影が見え隠れする。
その影が密やかに呟きく!
「模倣のないところに独創などない」と。

キンドルの画面は美しい!

この単純な美しさは単純ならぬ可能性を含む!

最もらしい写真芸術や意味に囚われる画壇など飲み込んでしまうかもしれない!

解釈抜きでは理解不能な芸術という現代芸術の認識に張り付いた地縛霊の様な言葉を
逃れる事ができればの話だが。

直感は恐ろしい!期待したい!


長きにわたり眠っている大和魂は何時目覚めるのか!

憲法9条の下に日本人は何処かに眠る古来の精神を呼び起こすのか起こされるのか?

目を覚ませば大和魂に憲法9条は食い殺されよう!この日本古来の精神は強く厳しい!



果たして憲法9条は日本人を縛ってきたのか守ってきたのか!何れ問われよう。



ある形式に自分を預けた過去に対し形式より個人の意見を尊重する現代人を大和魂はどう扱うのか?

個人の権利尊重で目を覚まそうとする新生日本という形式は成り立つのか?今や自分の権利も主張し

相手の権利も尊重している。そのようなものは今後何処へゆくのか?

新生日本が誕生すれば憲法9条を隠れ蓑にすることは出来ない!



「言霊の幸ふ国」それは古い言葉だろうか!

何処かに眠る日本古来の精神は我慢ならぬ日本人に対して自ら目を覚ましつつあるのかもしれない!








自称画家は画壇ではなくコンビニで贋作を使った!



本物の認識の内では恐怖だが認識の外では本物を超える事は出来ない。

強盗の世界は画壇ではない。



本物を超える贋作を画に期待したかった!


竹島領有権放棄発言の真意は如何に!発言は嘘か本当か?ただ二つに一つである。

自ら語る言葉が自らを引き裂く事もある、使ったつもりの言葉でも実は言葉に使われている。

言葉は恐ろしい!竹島という生き物が小沢氏を試す、竹島領有権放棄という言葉は

今度国民を試してくるだろう。この問題の下に考えるならば!



さて小沢氏が言ったとされる「竹島領有権放棄」、言おうが言うまいが独り歩きしたこの言葉は

このニュースを見る観者に「竹島領有権放棄」自らの批評を促す!

目の前に見るこの問題に対して観者は批評を逃れることは出来ない。

小沢氏は竹島を放棄するか!竹島が小沢氏を放棄するか!

「竹島領有権放棄」発言に真意を問う国民も「竹島領有権放棄」発言に真意を問われよう!



放棄されるのは誰なのか?いったい誰が放棄するのか!






先の大震災で大きな教訓を得た想定は次なる敵に挑む。

人々を守る為にだ!大きな抵抗はそれに抗する大きな力を与える!



併し外側は大きく手強い、まるで自らの姿の対極の様に。

対極に見るその姿は実は自らかもしれない。

想定している外側は自らを想定しているに過ぎないとしたら?



何れにせよ人々を守る為の想定は外側に挑戦し続けなければならない!教訓を味方に。

そして外側の気まぐれを教訓で制圧出来る日が来るならば

死にたくない人々の命は救えよう!

所得格差など高所得が出ればあたりまえに発生しよう!

貧しいなど裕福がなければ自らの貧しい姿を写す事など出来ない!

裕福も貧しいに見る自らの姿ではあるまいか!

元は一つであろうから。