今日秋田県大仙市は百万人規模の花火大会となる。
一度は見たいこの花火はこの日のために花火師が用意を重ねたものである。
対する観者もこの日を待っていた。双方準備は出来ていよう!
自分も観者となって今から出かけなければならない。
これはもう花火を見に行くのか花火に見られに行くのか?
先の大戦での反省などがそのまま反省の姿となったのが今現在であろう!
旧日本(自分)が行 った事を反省すれば自らの否定を呼ぶ、反省しなければまた
反省をバネにした賢い現日本(自分)はなかったろう!
反省は如何なるもか!「敗戦日本」が日本人に問いかけてくるかもしれない。
今ここで反省に対する反省をするのであろうか?それとも反省などしないのか?
見えない敵との戦いは大変な気力と体力を必要としよう!
認識によることろ大きい放射性物質などは認識を与えられなければ
食べて分かるものではない。聞かなければ分からない。
併し認識を超えたところで放射性物質を食べ続ければ勿論科学の導き出した
正確な答えが高い確率で待つことだろう。
風評ではあるまい、放射性物質が現にあるならば!認識の真相 は如何に
視覚を嘲笑うゆえ寝ていれば時化はないとも言えるのだが!
以前東北の某田舎町にて土地の方の好意である古い墓の移動一部始終を見せて頂いたことがあった。
ある小さな集落のもので境界線が曖昧でどこの家の物か判らず堀上げ鑑定し各家庭の子孫が待つ立派な墓地に
移すという。
田んぼに面した一角の小さな墓地は夏の厚さと蝉の声に覆われひっそりと佇んでいた。無数の切り立った墓石が
数十基からなっている、その中に三基程になろうか見るに可愛らしい小さな丸い墓石が物悲しく思う自分の
心を移しながらひっそり佇んでいる、天明の大飢饉で亡くなった子供の墓石らしい。土地の方々は口々にその悲しい墓石に
話しかけ水や菓子を配る!「暑かったろう!苦しかったろう!ほら水だよ!」
無念であったろうその過去は長き日々を通り越し悲しみの姿となって文明社会に安心した自らの心を問うてくる。
悲しみの渦中にいれば悲しみは見えやしない!長い月日は悲しみに加担したか!見渡せる所まで連れてこられ振り返れば
悲しみは確かな姿となっている。
その日は引越しだった!なぜか落ち着く静かな木陰を離れ子孫達が待つ新しい墓へゆくという、それはどんな所だろう?それは
よその家との境界を正した本当の身内のみが入っている落ち着ける場所だ!各家庭に分けられた立派な石碑は各家庭の個性を主張しあっている。
今まで皆で眠っていた静かな木陰は駄目なのだろうか?駄目だろうその子たちは何処の仏だ分からぬではないか!各家庭に入らねば。
天明とは時代が違うのだよ!
天明の遺骨は各家庭に引き取られ皆で静かに眠った静かな地を後にする!今後立派な墓地で立派な住職がしっかり管理してくれよう!
移動された古く静かな墓地からはもうなにも聞こえない!
現代を干魃と不作が襲う!
現代は賢く干魃と戦うだろう!
過去ただ自然に祈ったであろう人々は凄まじい自然の猛威に大飢饉の姿を見だだろう。
そして時代に帰った大飢饉は静かにこの干魃と不作を見守っている!
田んぼに面した静かな天明の地は平成の世に消えた!何時か消えるであろう土地の人々の言葉を道連れに!
日本酒の成分分析に頼らぬ日本酒独特の言葉を探すのは難しい!
語感を感じる事と同然に!
表現の名の下に感じさせる言葉を創りだす詩人の苦労がそれを証明している。
詩作は何れ完成しよう!暖かい赤ちょうちんの様に!ただ感じて頂くしかありますまい
小さな日本文化を!ただ冬を待つ東の国の一角にて。
現代の合理的策略の裏に見える過去の甲子園は遠い夏の思い出になるか!
過去の認識から離れて楽しむには凄いチームがありそれなり楽しいのだが!
合理的策略は何も野球に限らないのは既に知っていよう!どこぞの社会背景を写している。
暑く苦しい困難を難なく突破する合理性に対する何かを遠い心が批評するのか!
甲子園に求める美観を離れるのは難しい!過去の困難に美しさを見るならば。
知る者も知らぬ者も含め暑い夏の甲子園は今年も過ぎ去った!
言葉に同じ認識を求めるのは酷である。新書の認識は如何なものか?
政府は伝わらない言葉に対し違う方法を考えるしかありますまい。
映画猿の惑星に新書を渡せば通じそうだが、実際動物園の猿山で新書を渡せば
破り捨てられるか、返送されるかもしれない!
命への認識は所により変化している。リスクを知っていたのか?
それぐらい知っていよう!平凡な治安を飛び越え抵抗の地へ!
その精神は平凡を嫌ったか?まさか就活の為等ではあるまい。
今更日本の 平凡を他人の死に教えられるのか!
抵抗へ向かおうとする自らの身体を概念は止めるのか!
評家は何者だろう!
自分を破壊しない中途半端な評家か!
正義を翳す者が正義の名の下に悪を抉くそれも結局は批判されるいじめが別の姿に変じただけである。
つまり同じ事の繰り返しである。その通りに思う。
世間に論じられる被害者加害者それは元々一つ分離したものである。この場合被害を認識した方がいる以上
残念だが絶対加害者は存在している!それは被害無い所に加害は無いからである。
そもそも最もらしい正義など悪があるからあるのであろう。悪なき所に正義など考えつきはしない!
併し!
複雑な概念を並べよといじめは解決はされまい!その中に僅かでも美感を感じるならば!
被害者、加害者更に正義、悪さえ美感を超える事は出来やしない!被害者は加害者に変じれよう!
加害者は被害者に変じれよう!正義さえ悪になり得よう悪も正義に変われよう!変われないとは限らない。
しかし美は動じぬ姿で嘲笑っている、あの真理にさえ文句を言わせぬのである。
美は抗し難い!果たして真理さえ頭が上がらぬあの力に言葉の法などが敵おうか?
いじめを真剣に考えながらTVは流されてゆく。なぜお笑いはお笑いなのか?
たとえ暴力の嵐から逃れる事が出来ようとその場から離れなければ
言葉の暴力の逆風で身を裂かれよう!過ぎ去りし台風の逆風の如く!
いじめは子供の世界ではない。認識から離れた姿の見えないいじめは
自分の隣にあるかもしれない。
今後安全の聖地を探す旅は始まってゆくだろう!気持ちの分かる者達と共に!
しかし評家達が手招く安全の聖地でも新たな鬼は待っている
生活という常に紛れて!