ブログのタイトルが何のことかわかった人は、結構な近現代史ヲタかもしれません。
このニュースを見て、何年ぶりかに私も思い出しました。

南三陸職員の遺体発見 遠藤未希さんの親友 母親「亜梨沙お帰り」
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120207/trd12020708230003-n1.htm 



津波が来る中、最後まで役場に留まり職務を遂行し、犠牲になった女性職員の、母親に宛てた最後のメールだそうです。

ときに、皆さんは、真岡郵便電信局事件という出来事をご存知でしょうか。

日本は、太平洋戦争に敗れるまでは南樺太を領有しており(まだ領有してると思ってますが)、そこには豊原市という市が設置されていました。
札幌市と同様に、碁盤の目のように大規模な区画整理がされた整然とした街並みで、競馬場や大規模な公園も整備された、一地方都市として栄えた街です。

この街を初めとした南樺太一帯に、ソ連は太平洋戦争末期に日ソ不可侵条約を反故にして攻め込んできました。
そして、戦闘要員であるかを問わず、女性や子供も無差別に殺害し、市街の建物も無差別に破壊していきました。

そして、豊原市からの避難民が大量に流れ込んできた、樺太の西岸にあった真岡町。
この街から多くの日本人が本土に疎開する中、
真岡郵便電信局には、再三にわたる本局などからの疎開命令を拒み、「非常時における通信業務を放棄できない」と、最後まで通信業務を担う事を血書志願した、9名の女性が残りました。

間近に迫るソ連軍を感じながら、最後まで本土に対して通信業務を行い続けた9人の女性。
ついに8月20日なってソ連軍が真岡町になだれ込んできたのを確認すると、以下の言葉を本土に打電し、青酸カリを初めとした毒物などで集団自決をしました。

「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら」

・・・なんで日本人はこんなに責任感が強いんだろう。
そこは逃げても、誰も非難しないよ。
冒頭の津波の犠牲になった女性もそうですが、自分を犠牲にしても他人を助けると言うこの精神。
本当に尊い事で、真似ができる自信がありませんし、このような強い女性がいた事を私たちは後世に語り継ぐべきですが、一方で、まず自分の身を守る事を考えても良いんだよ、とも言って上げたかった気がします。
遺された遺族の気持ちを思うと、ますますその想いが強くなります。

とはいえ、彼女たちが決断し、結果として多くの人の命を救ったこの行為。
私たちは絶対に忘れてはならず、後世に語り継ぎ、顕彰し続けるべきだと思います。