歴史の悪戯時の政府から禁止されたことで、衰退するどころかいたずら逆方向に作用していくことは、まさに歴史の悪戯としかいいようがない。ともかく、こうした社会的には日陰の時期を挟みながら刺青の歴史が綴られてきたことになる。とにかく実際に薦青を彫るのは、同時代の人口からみれば、まさに九牛の一毛の人びとでしかなかったに違いない。にもかかわらずその影響はけっして小さくはなかった。それどころか刺青に対する一般の関心の程度は、刺青を彫った人間と同じか、あるいはそれを超える関心がうかがわれる。