見上げることも見下すことも辞めてみる生活は如何でしょうか? | 工藤尚規@ナオの自由きままな放浪記

見上げることも見下すことも辞めてみる生活は如何でしょうか?

ども~工藤です。GOLD RUSHで自分が書いてるコラムを転載しまーす!

さてさて今日はちょっと変わったコラムを。今日のタイトル「ドキッ」としてしまった方も多いのではないでしょうか(^^;)

今まで人生で何度も比べられ、追い越せ、追い抜けを繰り返し行ってきたのでしょうがないことだと思います。実はそれ自体にまったく問題はありません。

人より優秀になりたい、裕福になりたいという感情は当たり前の感情ですし、向上心は常にあるべきです。そうしなければ自分の成長は絶対にありえませんから。

見下すという感情はその向上心の裏腹であり、やはりカンタンに捨てられるものではあります。偉そうにいってる自分もやっぱり、見上げることも見下すこともしてしまいますよ。

でも見上げることも見下すことは必ず必要なことでしょうか。目標をきちんと定めれば別に常日ごろから、見上げることも見下すことは必要ありません。特に人を見下す作業はまったく無駄なんです。(自分の劣等感を正当化しようとするんでしょうね)

誰々より稼ぎたいという目標より、いくら稼ぎたい、誰々のようになりたい、より○○(具体的な立場)になりたいという方が、目標としては非常に効果的です。

またこの見上げることも見下すことも辞めてみる生活をすると人生の見方が変わり非常に新鮮で精神的に健康でいられます。嫉妬や妬み、劣等感ほど心の健康を害してしまいますからね。

でもやっぱり人間ですから、やる時はやってしまいますから、気が付いた時に意識すればよいと思います。常に意識するのではなくたまーに思い出したり、一日そういう事思うのを辞めてみるだとか。

そういう気軽な気持ちで行うのが良いでしょうね。是非暇なときにでも思い出してみてください(^^)