ご近所トラブルの記事は以前書いたけれど、とうとう。。。同じ学校に入学。

 

と、思ったら、ここだけじゃなくて、以前から井戸端会議している様子は知ってたけれど、いざ入学してみると、問題だらけのご近所ということがわかり・・・。

 

すごくつらかったー。新参者いびりの心理もあるんだろうけれど、そもそも入学初日の集団登校班で、親子ともども無視って・・・。

 

娘も何かを察した様子。

夫も心配で、遅い出勤の日に、集団登校の集まる場所を庭から覗いて見てくれたけれど、

「完全に無視だね。子供たちの前で保護者がやることじゃない。ありえない。」と客観的に見てくれた。

 

でも立ち向かうために抗うつ剤も飲んできたし、負けてはいけないとただ娘を応援する気持ちだけで朝、自分を鼓舞していた毎日。

 

でもある日、大きく変化のある出来事があった。

 

うちの娘がその問題のあるポイントの方々からされたことにより、学校側から見ても地域的に見ても、見過ごせないという案件が起きたとのことだった。

娘にとっては、単純な出来事だったが、そこに至るまでに、慣れない環境に暖かく迎えられない毎日を積み重ねてきたのだ。

 

それを表現するだけの力もなかったと思うと、胸が痛む。

 

ただ、それらだけではなく、決定的なまた第三者の客観的な証言もあり、その原因の方々の日頃からの態度の悪さも功を奏してか?、我が家にとっては、地域のお母さま方が内密に動いてくれ、その問題因子親子達と距離を置ける環境にしていただけた。

 

お力添えをくださった地域の先輩お母さま方には感謝の弁を述べた。

ただ、問題のある方々と距離を置けるとわかるまで、起きた出来事で、私は動揺してしまい、完全に不安定な自分自身も出てしまっていた。

解決するためにはどう動けばいいのか、愚痴のまま終わらせるしかないのか、なんとか物理的にでも解決できないか、考えながらも、訴える内容は当事者として、どうしても感情的になってしまう。

 

解決した際は、本当に安堵したけれど、私の不安定な点からご迷惑もかけたこともあったと思い、

「未熟な母ですが、今後ともお世話になります」という気持ちを合わせて伝えた。

 

不安定になるにも自分の場所で言い訳したい。

 

小さな体で、あんな重たいランドセルをしょって学区でも一番遠い地域から通う娘。本当に毎日心配。

 

ただ・・・時折フラッシュバックする自分の小学校時代。

一番心に傷を負った時代。

 

担任も、母も、誰も味方になってくれなかったあの時代に今の自分の性格が形成されたと思っている。

 

絶対に娘に継がせたくないという気持ちと、似たような校舎の風景、見たことのある道具に娘の名前を付けながら、心のどこかでかさぶたがはがされそうになる気持ち。

 

給食のメニューを見ても思い出してしまう。

学校に保護者として行っても、昇降口で立ちすくみそうになる。

 

あのつらかった6年間の思いは、絶対に娘にはさせたくない。

一生のうちにこんな悲しい時期を、思い出を絶対に作らせたくない。

 

がんばろう、がんばろう。家族でがんばろう。

私は家族のおかげで生かされている。