若いころから1度は行ってみたいと思っていた韓国、

近いから、九州にいるうちに、行かないとね。

それに、あんまり年をとったら歩けなくなるから・・・

娘と2人で行きます。


目的はいろいろ、

まず販売するものの買い付けです。

仕入れサイトとかじゃなくて、

直接買ってみたい、


あと、娘と2人旅だなんて、

最初で最後かも・・・

大切にして、良い時間をすごしたいです。


自宅の近くのショッピングモールで、

韓国の食材を買ってみました。


まずは韓国のり


チャペル式ウエディング                    <佐賀リバイバルチャーチ・ブライダル部門>






こちらは、柚子茶、ママレードみたい




チャペル式ウエディング                    <佐賀リバイバルチャーチ・ブライダル部門>







これは、悪いけどやめたほうがいいみたい・・・

ものすごく辛かったし、においがすさまじかったです。

ピアノのレッスン中に、台所で娘が作って食べていたようです、

家中に、ものすごいにおいが充満して、

生徒さんも、生徒さんのお母さんも、

うっ、と口と鼻をおさえていました。




チャペル式ウエディング                    <佐賀リバイバルチャーチ・ブライダル部門>







これは大成功!

ホットケーキのなかに、甘い蜜が入っていて、

とって美味しかったです、

맛있습니다 ドキドキクラッカー



チャペル式ウエディング                    <佐賀リバイバルチャーチ・ブライダル部門>




はやく本場のが食べてみたいナ




この8月、久しぶりに実家に帰省しました。

4泊5日の一人旅、


道中、惨事の連続、


福岡空港まで高速バスで行くのがいつもですが、

はじめて車で行くことにしました。

(田舎者なもので

 博多のような大都会には

 車で行ったことがないのに・・・)


なんと、

あいにくのゲリラ豪雨で、

高速道路なのに、40~50キロの徐行、

(ま、まにあうのか~)

最強のワイパーも役に立たず、

標識が見えないので、

出口をいくつもやりすごし、

千代まで行ってしまいました。

飛行機の時間が気になったので、しかたなく、

Uターンして都市高速乗りなおして戻りました。


なんとか無事に空港までたどり着きましたが、

搭乗するはずのANA270便の機体に落雷があり、

点検・整備中、遅れるとのアナウンス、

しばらくしてから再びアナウンス、

部品を交換することになり、さらに遅れるとのこと、

(はっ、豪雨の中急いで来たのに・・・

          というかほんとに飛ぶかしら)


遅れはしたものの、無事に離陸して、

ふるさとのある憧れの羽田に到着しました。

羽田に到着するやいなや、

そして実家までのみちのり、

非常なるショックを受けました。

これは、また次回にでも書きますね。


羽田からモノレール、山手線、総武線と乗り継ぎ、

今度は総武線がとまって、

新小岩あたりで人身事故のため

しばらく停車するとのこと、

(明日にでもなれ~)


実家のある稲毛駅に夜の12時ちかく、

荷物も重たいし、

へとへとになって着きました。


駅の改札口をでたとたん、

母の激高が私を出迎えました、

「遅いじゃないの!何やってんの!

 ずっと待ってたのに!」とぷんぷん

4~5時間は待っていたようです。


<乗る飛行機に落雷があり、

   そうとう遅れます>ってメールしたのに。

説明しても分からないみたい。


バスもなくなって、タクシーで家に着いたら、

留守中母に電話が入っていて、

夜中なのにすぐ電話していました。

(明日のカラオケ大会の

 大事な打ち合わせのようです。

 婦人会の会長をしていて、

 母は明日の行事の主催者ですって)


「すみませーん、娘を迎えに行ったんですけど、

 飛行機にらくでんがあって遅くなりまして、

 いま家に着きましたのよー」


えっ?

「落雷」って「らくでん」って読むんだっけ?


久しぶりに会った、父も母も、

そうとう年をとって、見る影もなく、

背中も丸くなって、小さくなっていいました。

光陰矢のごとし、まもなく私の番ですね。

あと何回会えるかな・・・


珍道中も無事に終わり、

カラオケガリバー一番忙しい時期に

無理いって5日間も休暇もらったんだから、

嵐のあとは、虹が見えるでしょう。


羽田に降り立った第一印象を

次回お話しますね。



このたびの東北関東大震災にあたり、

日本全体の出来事としてとらえてはいるものの、

ニュースを観ているばかりで何も出来ませんので、

この曲をささげようと思います。


神様が私たちをどんなに愛してくださったか、

歌い上げています。

↓↓↓↓↓

♪愛ゆえ神はみ子を♪


歌詞を記しておきますね。
日本語と英語と両方書きます。


「愛ゆえ神は御子を」(奥山正夫・訳詞)


1.愛ゆえ 神は 御子を 人の世に遣わされた
  愛ゆえ その御子は 貧しい者の 友となられた

  愛ゆえ 御子イエス君は 人々に自由を与え
  愛ゆえ 木の上で 死なれた 私のために

2.愛ゆえ 神は 御子を 人の世に 住まわされた
  愛ゆえ その御子は 世の罪を 負い給うた

  愛ゆえ 御子イエス君は とりえの無い 僕(しもべ)を選び
  愛ゆえ 救いの道を 備え給う 私のために

  私のために


「LOVE WAS WHEN」

1.
Love was when God became a man
Locked in time and space without rank or place

Love was God born of Jewish kin,
Just a carpenter with some fisherman.

Love was when Jesus walked in history
Loving He brought a new life that's free.

Love was God nailed to bleed and die
To reach and love one such as I.

2.
Love was when God became a man
Down where I could see love that reached to me

Love was God dying foe my sin
And so trapped was I my whole world caved in.

Love was when Jesus met me now it's real.
Lovingly He came I can feel He's real.

Love was God only He would try
To reach and love one such as I.

To love one such as I.


なにしろ年季の入った楽譜なので、
かすれていたり・・・・・
英語が間違っていたら、ごめんなさい。



今回の仙台沖地震、
東北から関東、被害のあった所・人達皆様に、
心からお見舞い申し上げます。

私は九州なので、
ニュースで知るまでは、何にも気がつかなかった…
千葉にいる両親と息子は、最初連絡がとれなくて心配したけど、夕方には電話出来て、何とか無事でした。
無事とはいえ、かなりひどかったようです。
病院に行っていた年老いた父は、病院の回りは津波による水浸しで、バスもJRも不通で帰宅出来ず、タクシーで同じ方向の人と乗り合わせて、やっと帰宅したのが夜中の12時だったそうです。
弟の家族が住んでいる横浜は停電してるとのことです。

あと、仙台の叔母の家族、いとこの家族、山形の親戚、全く連絡がとれず、
テレビの映像をみると、涙がとまりません。

被害に遭った方々の状況は想像を絶します。
何も出来ませんが、ひたすら祈っております。